(今日も何も決まらなかったわね……)
 書類を両腕に抱いて、アリスはクローバーの塔を歩いていた。『引っ越し』によって、ここへ暮らすようになってしばらく。クローバーの塔では役持ちをはじめ、大勢の人々が集う会合が催されている。
 ……何ひとつ、これっっっっっっっぽっちも決まる気配の無い会合が……。
「不毛だわ……」
 会合はいつもナイトメアがたじたじと仕切ろうとして失敗し、議題が明後日の方向へ飛び、これ以上に
無いくらいに紛糾して紛糾して収拾が付かなくなって時間切れで終わってしまう。
 誰も全く興味の無い議題ならば、全員がしらーっと無視しているうちに進行していくのだろうが、なまじ多少なりとも誰かの関心を買う議題が上がるせいなのか、そんな穏便(?)に会合が終わった試しは無い。一度たりともだ。
 無意味な時間とまでは言わないが、結果が出ないのはどうにも虚しい。
 まして、アリスは今その会合のための準備も業務の一環として行っているのだから。
 せっかく準備したのに……と、そっと溜息をつくくらいは許される……と思う。
「おや、溜息などついてどうしたんだい、お嬢さん?」
 そこに掛けられた聞き慣れた声は、帽子屋ファミリーのボス、ブラッド=デュプレのものだった。どこかへ出かけた帰りなのだろう。そういえば確か、ブラッドの部屋はこのエリアの一角にあったはずだ。
 こんなところを見られてしまうだなんて。恥ずかしいとは思わないが、ブラッドにこういった姿を見せてしまうのは、どうにも弱みを握られてしまうような感覚に近い気がして、アリスは苦手だ。いつ、何を利用してくるのかわからない。そんな底知れなさを持つ男が、相手だからこそ。
「別に。今日の会合も、また何も決まらなかったなって思っただけよ」
「なんだそんな事か。別にお嬢さんのせいではないのだから、気に病む必要など無いだろう」
 いちいち気にしていては胃に穴が開いてしまう、と笑うブラッド。むしろ彼はもう少し責任を感じた方がいいんじゃないかと思わないでもないが、わざわざそれを口にするつもりは無かった。
 それこそ、不毛だし。
「それとも、何も決まらない会合が退屈なのかな? お嬢さん」
「退屈ってわけじゃ……。ただせっかく準備をしているのに、何の実りも無いのはちょっと……って思っただけ。決まらないものは決まらなかったのだから仕方ないわ」
「ああ、そういえばお嬢さんは今、この塔で働いているんだったな。なるほど、報われない仕事の切なさは理解できなくもない」
 うんうん、と頷くブラッドだが……。
 ……マフィアにとっての「報われない仕事」って……いやいや。考えないでおこう。
「確かに主催側の人間としては複雑な心境だろう。職務は職務として従うべきものではあるが、リターンが乏しいのではモチベーションにも差し障るというものだ。そう部下に思わせてしまうとは、君の上司はなんとも不甲斐ないものだが……ふむ……」
 何かを考えるような仕草で、ブラッドは手のステッキで己の肩をトントンとつつく。上司を軽く馬鹿にされ、何か反論しようとしたものの、あの会合でのナイトメアの様子では言い返すには言い返せないと、アリスが口をつぐんでいると。
 その間にブラッドは何かを閃いたようだった。
「それならばお嬢さん、こういうのはどうだ? 会合の面子を集めて、ちょっとした余興を私が主催しよう。せっかく会合期間中には非戦協定があるんだ、たまに親睦を深めても悪くあるまい? それにそういったきっかけがあれば、多少なりとも会合を円滑に進むようになるかもしれないじゃないか」
 ブラッドの提案とは思えないほど、きちんとした妥当な内容のように聞こえて、アリスは思わず耳を疑った。最初はアリスの願望からの空耳かと思ったが、どうやらそういう訳ではないらしい。
「……何それ。本気?」
「もちろん本気さ、本気だとも。どこかおかしな所でも?」
「ええ、とてもすごく色々な意味でおかしく聞こえたわ」
「おや心外だな……。しかしお嬢さん、君も面白そうな催しだとは思わないかね?」
「それは……そうだけど……」
 日頃いがみ合っている事が多いとはいえ、会合の出席者にはアリスの友人達も多く混ざっている。彼らが殺しあうのに比べれば、親睦を深めてくれる方が、そりゃあ勿論いいに決まっている。
 …………いきなり急に仲良くなっても気持ち悪い気がするけど。
「そうだろう、そうだろう。なら話は決まりだ。クローバーの塔には、その為の部屋を貸して貰いたい。広さと時間は……」
 ブラッドの指定した規模の部屋は、塔でもかなり大きめのものになるが、用意するアテが無いわけではない。当分使う予定の無い部屋の1つが、ちょうどブラッドの要求にピッタリだ。
 滞在客が、たとえば仲間同士での集会や会合に使うからと、部屋の使用許可を求めてくることは決して珍しくない。それに便宜を図るのもアリスの仕事のひとつ。アリスの権限で許可してしまっても構わない範囲のことだ。
「……わかった。確か空いていたと思うから手配しておくわ。もし行き違いで埋まっていたら、こちらで別の時間帯に調整していいかしら?」
「ああ、構わないとも。だが時間帯はやはり夜がいい。夜に相応しい催しとなるからな」
「……? 何をする気なの?」
 にやりと笑っているブラッドへ思わず尋ねるアリスだったが、ブラッドは「それは当日のお楽しみだよ、お嬢さん」と答えてくれない。
「まあ、それほど難しいことはしないよ。ところでお嬢さん、当日はお嬢さんも協力してくれるだろう?」
「え? ええ、まあ……私に出来ることなら何でも手伝うけど……」
 どうせ部屋の手配や準備をするのだ。当日の担当もアリスがする事になるだろうし、雑用などの手伝いが必要で、自分に出来る範囲のことなら、まあ手を貸すのは別に構わない。
「……手荒なこととか流血沙汰はご免だからね」
「勿論だとも。この余興は実に紳士的なものだ、そのような心配はいらないよお嬢さん」
(一体、本当に何をする気なのかしら……?)
 気になりはするが、さっきのあの反応では問いただしてもブラッドは決して教えてくれないだろう。あの面倒臭がりのブラッドが、どうにも楽しげにしているというだけで、そこはかとなく妙な不安がよぎってしまうが……。
 とはいえ、今は会合期間中だ。そうそう滅多なことは起こらないだろう。

 この時、アリスは自分が一体どれほどのミスを犯していたのか、微塵も気付いていなかった。
 それを知るのは数時間帯後、血相を変えた様子のナイトメアが直接アリスの心へ、ダイレクトに語りかけてきた時だ。
『アリス、今どこにいる? いやどこだっていい。とにかく今すぐ私の部屋まで来るんだ! 何の仕事よりも最優先だ、大至急だぞっ!』
「う、うん……。……なんだ?」
 塔のどこかにいるのは把握しているのだろう。ナイトメアの勢いに押されて応じたアリスだったが、果たして一体何の用事なのやら。全く予想が付かず、首を捻りながらナイトメアの執務室へ向かう。
 そもそも、ナイトメアがこんな風に呼びかけてくるのは珍しいことだ。余程の何かがあった。そう考えるのが自然だ。
「ナイトメア? 私よ、入るわ……」
「アリス! 君はこの内容に覚えはあるか!?」
 ガチャリとドアを開けながら声をかけるアリスだったが、最後まで言い終わらないうちに駆け寄ってきたグレイの剣幕に押される。
 グレイの手には一通の書状があった。封蝋の形状から差出人は帽子屋ファミリーだと分かる。これを使っている以上、相手はおそらくブラッドだろう。そこに入っていたと思われるカードは既に剥き出しになっており、グレイはそれをアリスの方へ突き出した。
 帽子屋屋敷のメイドか誰かが代筆したと思われる、丁寧に書き記された招待状だった。
 内容は、例の『余興』についてで、時間帯や部屋はまさにアリスが頼まれて確保したのと同じもの。
 これなら知っているわ……と、答えようとしたアリスの口が止まる。
 そこには、アリスも初めて知る情報が――それも衝撃と驚愕に満ちたフレーズが記されていた。

 ……そこで次の会合後、最初の夜の時間帯に、盛大な「カジノ・パーティ」を催す運びとなりました。
 会合に深く関わる貴殿にも、ぜひともご参加いただきたく思う所存です。
 なお、ささやかながら当パーティの優勝者へ、賞品を用意させていただきました。
 奮ってご参加いただけることを楽しみにしております。

 優勝賞品:アリス=リデル嬢の身柄

 ……アリス=リデル嬢の身柄。
 アリス=リデル。
 何度読み返しても間違っていない。思わずグレイから招待状をひったくって、しげしげと内容を見つめてみたが、自分の目が悪くなったわけでも夢や幻を見ている訳でもない。
 見間違いでは、ないようだ。
 そして……アリス=リデルという名の人間が、この状況で、他にいるとは思い難く……。
「なっ、なっ、なによこれっ……!」
 ブラッドの顔を脳裏に浮かべながら、力の限りにアリスは叫んだ。



インペリアル・カジノ





 続く