愛の証明 05


「アリス!? どこだ!?」
 エリオットは焦っていた。
 ――アリスがいない。
 すぐに追いかけたのに、エリオットはアリスを見失ってしまった。
 アリスの姿は忽然と消えてしまい、通りすがりの人や、近くの店の人に聞き込んでも行方が掴めない。
 正確には、途中までは追えたのに、突如忽然と痕跡が失われてしまったのだ。
 まさかという不安。元の世界へ帰ってしまったのでは、という恐怖すらエリオットが感じ始めた頃、エリオットはそれを見つけた。
 路地への入口だった。見覚えのある鈍色。拾い上げれば表面の光沢が光を反射して銀に輝く。
 間違いない。自分で贈っておきながら忘れるはずが無い。これは、アリスのブレスレットだ――たとえ、引きちぎられていようとも。
 一瞬にして呼吸が止まりそうになる。普通、ブレスレットをこんな風に落とす事など有り得ない。アリスの身に何かが起こってしまったのは明らかだった。
 エリオットは、呼吸の仕方を思い出す。吸って、吐く。二度繰り返せば十分だった。エリオットは、こういう場面では決して鈍くない。それがたとえ、この上なく怒りに染まっていようとも。
 可能性を潰す。ハートの城や何やらの連中の仕業だという可能性もゼロではないが、連中が相手ならこのような状況にはなるまい。痕跡が残っていない、目撃情報すらない事が、彼らの仕業にしては不自然だ。
 となれば、やはり犯人は――。
「おにーさん」
 跳ねるように振り返ったエリオットに、かなり下から目を丸くした子供の視線が帰ってくる。
 その手には、封筒。――実に不愉快なことに見覚えのある封蝋付きの。
「あ、えっと……これ、おにーさんに渡して欲しいって……」
「誰に頼まれた」
 おずおず告げてきた子供に、優しい対応が出来た自信は無い。
 びくっと震えた少年は、すぐそこで呼び止められ、エリオットのことを指差す黒いスーツの男から「あのウサギのお兄さんに、これを渡してくれるかい?」と、この手紙を渡されたのだと説明した。
「そうか。ありがとうな」
 張り詰めた声で、そう言ってやるのが今のエリオットの限界だった。引きちぎるようにして開封する。
差出人の名は無いが、その封蝋が帽子屋ファミリーと敵対関係にあるファミリーの物であることは、よく知っている。
 ついほんの少し前の時間帯にも、連中の下っ端達と小競り合いが起こったばかりだ。
 このタイミングで彼らが、このような方法でエリオットにコンタクトを取ってくる理由など。
 ひとつしかない。
「…………」
 簡潔かつ分かりやすい文章に目を通し、エリオットは手紙を握り潰した。
 アリスの身柄と引き換えに、連中が欲しがっている権利書をいくつか寄越せ……という内容だ。ご丁寧に場所と時間と、それから……三月ウサギ、エリオット1人だけで来るように、という指定つき。
 もちろん、これら全てが守られなければ、アリスの身の安全は保障しないという脅迫も添えてある。
 連中の言い分を鵜呑みにすることは出来ない。彼らが指定してきたのは、交渉を幾重に重ねても、簡単に譲ってやるわけにはいかないと決裂し続けている権利書ばかり。
 エリオットならば確かにそれを用意し、彼らに引き渡すことはできる。だが、それはあまりに論外すぎる取引だ。よりにもよって無償で譲渡するなど……帽子屋ファミリーのNO.2として、そんな真似は絶対にできない。
 アリスの身柄と天秤にかける?
 もちろん、そんな事もできるはずがない。
 今のエリオットにとって、アリスはとても大切な存在だ。ブラッドに匹敵する、いや、それ以上の存在だと言い切ってしまってもいい。自分はどんな目に遭おうとも構わない。だがアリスは――。
「……指一本でも触れてみろ。ぜってー殺す」
 触れていなくても全員皆殺しにしかねない表情で、しかし、エリオットは淡々とした声で、こぼした。

 ゆるゆると、失われた意識が戻ってくる。アリスは冷たい床に転がっていた。体を動かそうとして節々に威圧感がある。拘束されているのだと気付いたのは、一瞬後のこと。両手と両足がロープで固く縛り上げられ、口には布で猿轡を噛まされていた。
 気付かれないようにしたつもりだったが、アリスが意識を取り戻したことはすぐに知れたらしい。かすかなざわめきの後、声が降ってくる。
「お目覚めのようだな、お嬢さん」
 一見、優しそうな笑顔だった。もちろん、そんなはずが無いのはよく分かっている。ああも古典的な手で攫っておいて、何をぬけぬけと。
「窮屈そうだが、三月ウサギが来るまでの間はそのままでいたまえ」
 残念ながら体は全く動かない。起き上がる事すらも難しそうだ。しばらくこのまま、床に転がったままでいるしかない。
 倉庫のような場所だった。広い空間の中に、一見乱雑に木箱やドラム缶が配置されている。意識を失っている間に連れてこられたらしく、ここがどこなのか、さっきの場所からどれくらい離れているのかはサッパリ分からない。
 意識を失っていた間、何がどうなったのかは分からないが、会話の脈絡からして彼らは、もう既に何かしらの脅迫を行ったのだろう。それも、おそらくは帽子屋ファミリーではなく、直接エリオット個人にぶつける形で。
(こんな風に足を引っ張るだなんて、情けないわね……)
 エリオットは今頃どうしているだろうか。
 おそらく、アリスを盾に無茶な要求をされているはずだ。アリスにその価値があると、そう彼らが思っていなければ、アリスが攫われる理由など無いのだから。
 ……胸の奥から、ぐるぐると何かがこみ上げてくる。
 自分に、そんな価値なんて、ない。
 エリオットは帽子屋ファミリーのNO.2だ。そう、NO.2なのだ――。
 アリスは考えるのをやめた。ああ、と小さく息を吐いて瞼を閉じる。
 何も考えない考えない考えない。そう、考えるな、考えるな――。

 アリスが自分に言い聞かせた……その刹那。
 銃声が響いた。

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