怪しきモノたち


怪しきモノたち・その100 或る住職の叫び







前回はお寺の見事な掲示板の絵をご紹介したが、今回もそれに負けぬ位にある意味すごいお寺の掲示を。

これは奈良のとある処を歩いていたところ、歴史的にも有名な環濠集落の残る旧き良き街並みに差し掛かったのですが、その集落の中心にあるお寺さんの、それも皆が拝むところに、こんな掲示が貼られていたのですが、その文面が、


 お金を出したのだから誰にも
 迷惑かけていないと思うのは、
 何もかもをお金だけの関係に
 しています。
 生きた人間を見失っています。



私は住職に問うてみたい、

 
何があったのですか?

と。。。しかし残念ながら、その時はお寺には誰もいなかったので会って話を聞くことは出来なかったが。

これが門前の掲示板に掲げられていたら、我々衆人への戒めとして書かれたモノであろうと思われるのであるが、このような拝む処にこれほどの内容を衆目に晒してまで言わんとされているのには、よっぽどのことがあったに違いない。

お金だけでは解決できぬ、そして生きた人間とは。。。人の世の難しさを、仏様はどのようにご覧になられてるのだろうか?

なにか、この住職の叫びが我々の心にもひっかかってしまうような気を感じてしまうのは私だけだろうか?

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