『ゾンビ』でお馴染みのジョージ・A・ロメロ監督による「吸血鬼映画」である。
しかし、通常の「吸血鬼映画」とは一線を画している。主人公が本当に「吸血鬼」であるかどうかが判らないのだ。たしかに、彼は女を襲い、その鮮血をすするが、その口元には牙はない。催眠剤を注射して眠らせてから、手首を剃刀で切るのである。だから、吸血鬼妄想を抱える普通の青年に過ぎないのかも知れない。そんな主人公の苦悩を描いた吸血鬼版「青春残酷物語」とでも呼ぶべき異色作である。
一人の青年がピッツバーグにやってくる。彼の名はマーティン。夜行列車の中で女性を襲い、その鮮血をすすったばかりだった。
彼を迎えたのは「いとこ」と称する老人だった。老人は彼を「吸血鬼」だと断じていた。家の中は十字架やニンニクだらけで、
「もし、この町で人の血を吸ったら、その時はお前を処刑する」。
と宣告する。しかし、マーティンは十字架もニンニクもへっちゃらで、電車に乗って隣町で人の血を吸う。
そんなマーティンも「吸血鬼」として生きることに罪悪感を抱き、孤独に苛まれていた。ラジオの人生相談に、
「吸血鬼なんですけど、どうしたらいいでしょう?」。
と電話をすれど、面白がられて「番組の名物男」になるばかり。
そんな折り、彼は或る人妻に好意を抱き、出会いを重ねていくうちに70歳にして童貞を捨てる。
「俺にもようやく春が巡って来たか」。
と喜ぶのも束の間、その人妻が手首を切って自殺してしまう。
翌朝、目覚める彼の眼前には、胸に向けられた杭があった。いとこの老人が、人妻の死は彼の仕業だと勘違いしていたのだ。弁解の余地もなく杭は打ち込まれ、マーティンは孤独のうちに絶命するのであった.....。
というATG映画のような話で(『祭りの準備』とか『サード』の感触に近い)「ホラー映画」として見ると冗漫な印象を受ける。そのためか、本国アメリカでは2年間もオクラ入りした。
仕方がないのでカンヌ映画祭に出品、評判となり、サントラをゴブリンに差し換えて、まずイタリアで公開された。これを観たダリオ・アルジェントがロメロに興味を持ち、それで『ゾンビ』の製作が実現したという経緯がある。だから、本作がなければ『ゾンビ』は存在しなかったのであり、その意味でエポック・メイキングな作品と云えよう。
なお、本作の特殊メイクは『ゾンビ』で名を上げるトム・サヴィーニ。ラストの処刑シーンでの飛び散る血のりにはスタッフも驚いたとか。これがロメロとの初コンビで、役者としても出演している(明らかにミスキャストだが)。
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