無差別大量殺人は伝染する。その影響を受けたボンクラが「ならばオイラもいっちょ」などと便乗するのだ。ケヴィン・ウィーヴァー(24)もそんな1人だ。彼がお手本にしたのは、1987年8月19日にハンガーフォードで16人を殺害したマイケル・ライアンだった。たしかに、ウィーヴァーとライアンには共通点があった。共にガンマニアで、孤独に苛まれており、オツムが些かイカれてた。
ウィーヴァーが犯行に及んだのはライアンの事件の2ケ月後、1987年10月14日のことだった。イングランド西部のブリストル近郊、レッドフィールドの自宅で、彼はまず姉のリンダ(27)を殺害した。まだ睡眠中の彼女の頭をハンマーで滅多打ちにしたのだ。その後、買い物から帰宅した母親のマーガレット(55)も同様に殺害した。
どうして家族を殺さなければならなかったのか? 逮捕後のウィーヴァーはこう答えた。
「僕がこれからすることで悲しませたくなかったんです。それに姉さんは僕に車を貸してくれなかったし」
つまり、こいつは姉の車を犯行に用いるために、まず姉から殺害したのである。私が先ほど「オツムが些かイカれてた」と述べた理由が諸君にもお判りだろう。マトモな人間の所業ではない。
2人の遺体を浴槽の水に浸し、自らの返り血を洗った後、ウィーヴァーは対警察用にトラップを仕掛けた。ガス栓を開き、散弾銃とワイヤを用いた起爆装置を施したのだ。そして、姉の車で目的地へと向かった。
目的はただ一つ。かつての恋人、アリソン・ウッドマン(21)を抹殺することだった。そのためならば如何なる犠牲も厭わないことを決意していた。どれだけ殺そうと知ったこっちゃない。なにしろマイケル・ライアンは16人も殺してるんだからな。
「あのアマめ。よくもオレ様をフリやがって。天誅を下してやる!」
天誅を下されるべきなのはむしろ貴様の方なのだが、それはさておき、このアンポンタンはアリソンが働くパッチウェイの「アレクサンドラ・ワークウェア」社前に降り立った。ショットガンを手に社内をズンズンと突き進み、コンピューター・ルームで彼女の姿を見つけるなり叫んだ。
「アリソン、さあ行こう!」
(Come on Alison. We're going !)
アリソンは同行する筈もなく、悲鳴を上げて逃げ惑った。職場はパニックに見舞われた。想定内の反応である。
よしよし。それでは「going postal」と行きますか。
ウィーヴァーは続けざまに発砲し、被弾したジョン・ピーターソン(48)とデヴィッド・パーサル(29)が死亡した。ところが、ウィーヴァーはアリソン・ウッドマンは殺さなかった。何故か?
「彼女の姿を眼にした時、気が変わったんです。まだ好きだったんです」
(But as soon as I saw her I changed my mind. I still like her.)
やれやれ。もうちょっと考えてから行動して欲しいよなあ。とばっちりで殺された者としては堪らない。まだ好きだった女にウィーヴァーはこう告げて現場を後にした。
「ラッキーだったな」
(This is your lucky day.)
そして、ウッチチャーチへと向かうA37号線上で警察に逮捕された。その際に件のトラップも打ち明けたために爆破は未然に防がれた。
かくして4件の殺人容疑で法廷に立ったウィーヴァーは、精神異常と判定されてブロードムア送りとなった。
(2010年3月6日/岸田裁月) |