1987年8月19日、ロンドンの西80kmの閑静な街、ハンガーフォードでの出来事である。35歳の主婦スーザン・ゴッドフリーは4歳のハンナと2歳のジェイムスを連れて森へとピクニックに出掛けた。すると、1人の小男が彼らに近づいて来た。その日に「大量殺人」の項目に1ページを綴られることになるマイケル・ライアンである。ハンナはその時の模様をこのように供述している。
「男は銃を持っていました。ママと何かを話した後、私たちはママの車まで連れて行かれ、座席に座らされました。それからママと男は2人で森の中に入って行きました」
2人の間に何があったのかは判らない。おそらくライアンが銃で脅して強姦しようとしたのではなかろうか。スーザンは抵抗し、娘たちがいる車へと走った。ライアンはその背後からベレッタの銃弾を13発も撃ち込んだ。そして、ハンナたちをそのままにして自宅へと向った。「ウォー・ゲーム」の始まりである。
27歳のマイケル・ライアンは人生の敗北者だった。取り柄は射撃がうまいことだけだったが、
「ガンマニアの割にはヘタだった」
と指摘する者もいる。友達は一人もおらず、恋人などいる筈もなかった。
父親のアルフレッドは厳格だったようだが、母親のドロシーは一人息子を溺愛した。欲しがるものはなんでも買い与えたという。10歳の時にはエアガンを、18歳の時にはショットガンを買い与えた。
学校での評判は芳しくない。誘っても仲間に入らずに、遠くからつまらなそうに眺めている。そんな少年だったようだ。成績も芳しくなく、いつもボーッとしている落ちこぼれだった。隣人の一人は語る。
「自分の世界に籠りがちでね。会話するだけでも、そりゃもう大変だったわ」
成人した彼は、熱心に銃器やサバイバルグッズを集める寺門ジモンになっていった。そして、次第に虚言癖が目立ち始めた。
「以前、ガンショップを経営していたんだ」
「自家用飛行機の操縦免許をやっと取れたよ」
「実は元パラシュート隊員なんだ」
「今度、知り合いの大佐からポルシェをもらうことになったんだ」
この大佐の話はどんどん膨らみ、ポルシェがフェラーリになり、インドにある大佐のプランテーションに出かけることになったり、お付きの看護婦とロマンスの花を咲かせたりと、前時代的な冒険小説の様相と呈してきたが、信じてくれるのは母親のドロシーだけだった。
やがて大惨事の引き金とも思える出来事が起きる。勤務先である清掃会社の同僚たちがライアンのことを大嘘つきだと糾弾したのだ。キレたライアンは叫んだ。
「嘘つき呼ばわりするなら、みんな撃ち殺すぞ!」
彼がいつも銃器を持ち歩いていることを知っていたので、同僚たちは蒼醒めた。うちの一人は語る。
「奴は本気でしたよ。怒りのあまりに歯ぎしりする音が聞こえましたから」
畏怖した同僚たちが上司に「ライアンはいつも銃器を所持している」ことを告げ口し、そのために彼は解雇された。同僚たちには、
「大佐のおかげでもっと給料のいい仕事が見つかった」
などと云い残して職場を去ったが、実際には失業生活の始まりだった。これに前後してライアンはセミオートマチック・ライフル2挺を購入している。大量殺戮に用いた凶器だ。スーザン・ゴッドフリーを襲ったのは、この1ケ月後のことだった。
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