時を同じくして類似の事件が各地で頻発することがままある。それは時代が事件を生んだからに他ならない。イギリスではアメリア・ダイアーが、ニュージーランドではミニー・ディーンが、そして、デンマークではダグマー・オーヴァーバイが嬰児殺しで断罪された。背景にあるのは近代化に伴う女性の社会進出である。未婚の母が増加したことが事件の引き金になっている。以下はアメリア・ダイアーの項からの引用。
《今日では未婚のまま子を産むことは当り前だが、一昔前は恥ずかしいこととされていた。職を失い、家を追い出されることもざらだった。貧しい者にとっては死活問題である。故に私生児を殺さざるを得なかった。裕福な者は里子に出した。金を出し、子供を引き取ってもらったのである》
その子供をことごとく殺してしまったのが彼女たちなのだ。
時は1920年7月、デンマークの首都コペンハーゲン。或る未婚の母親が新聞広告に応じて、ダグマー・オーヴァーバイという37歳の女性に里親の斡旋を依頼した。代金は200クローネだった。
子供を預けた翌日、母親は思い直して斡旋屋のアパートを訪ねた。子供はもういなかった。
「どちらのお宅に預けたのですか?」
訊ねれども、オーヴァーバイはシドロモドロで、
「ええと、どちらのお宅でしたっけ? ド忘れしちゃったわ」
などと誤摩化す始末。こいつは怪しいってんで警察に通報。直ちに家宅捜索したところ、ストーブの中から嬰児の遺骨が発見された次第である。
厳しい追及の結果、オーヴァーバイは1913年から1920年にかけて、16人の嬰児を殺害したことを認めた。実際には少なくとも25人(我が子を含む)は殺害したと見られている。首を絞めたり風呂に沈めたりすることで殺害し、ストーブで焼却したのである。
結局、証拠が残っている9件の殺人でのみ起訴されたオーヴァーバイは、有罪となり死刑を宣告された。後に終身刑に減刑されて、1929年5月6日に獄中で死亡。46歳だった。
(2010年12月9日/岸田裁月) |