今日では未婚のまま子を産むのは当たり前だが、一昔前は恥ずかしいこととされていた。職を失い、家を追い出されることもざらだった。貧しい者にとっては死活問題である。故に私生児を殺さざるを得なかった。
裕福な者は里子に出した。金を出し、子供を引き取ってもらったのである。これをビジネスにしていたのがアメリア・ダイアーである。里親になった彼女は子供を育てなかった。みんな殺してしまったのだ。
事件発覚の発端は1896年3月30日、テムズ川ではしけの船頭が茶色い包み紙を拾い上げたことに始まる。何が入っているのだろう? よく見ると、紙の裂け目から小さな足が突き出している。
ぎゃっ。
船頭は思わず包みを手放した。
赤ん坊を包んだ紙には「ケイバーシャム、ピゴット通り20番地、ハーディング夫人」と記載されていた。自分のところに来た郵便包みをそのまま使ったようだ。愚かなり。間もなく、この「ハーディング夫人」なる人物が、今ではケンジントン通り45番地に住むアメリア・ダイアーであることを警察は突き止めた。
アメリアは「ハーディング夫人」の名義で新聞に広告を出し、里子を募集していた。彼女のビジネスを支えていたのが娘のポリーと、その夫アーネスト・パーマーである。彼らは赤ん坊の受け渡しのために母親を送迎し、棄てる手助けもしていた。
テムズ川を浚った警察は、更に6つの遺体を発見した。しかし、アメリアが棄てたものかどうかは判らない。問いただすと、
「私のは、首にテープが巻いてありますから」
6つの遺体には、その通りに首にテープが巻かれていた。
アメリアは獄中で自殺を謀ったり、精神異常を申し立てたりしたが、結局、死刑を宣告され、1896年6月10日に絞首刑に処された。
彼女のビジネスは実に15年にも及んでおり、その間に何人の赤ん坊がひねられたのか、正確な数は判っていない。1900年には彼女が以前住んでいた場所から4組の骨が発掘された。首にテープが巻かれていたので、これらも彼女の犠牲者としてカウントしてよいのだろう。
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