1970年代のカリフォルニア州には3人の「フリーウェイ・キラー」がいた。ウィリアム・ボーニンとランディ・クラフト、そして、このパトリック・カーニーである。いずれもゲイで、犠牲者は若い男性に限られ、遺体をフリーウェイに遺棄していたという点で共通している。但し、カーニーの場合は、犠牲者を必ずビニールのゴミ袋に入れて遺棄していた。そのために彼は「トラッシュ・バッグ・キラー」と呼ばれている。
最初の遺体が見つかったのは1975年4月のことである。その後、2年余りに渡って、ロザンゼルスからメキシコ国境へと至るフリーウェイでゴミ袋入りの遺体が間断なく発見された。遺体はいずれもハリウッドやロスの新宿二丁目にたむろする若い青年で、撃たれた上、身体を切り刻まれていた。
やがて警察はヒューズ・エアクラフト社に勤務する技師、パトリック・カーニーと、その恋人のデヴィッド・ヒルに目星をつけたが、2人はメキシコに逃亡した後だった。しかし、数日後には観念して出頭した。指名手配のポスターを指差して、
「これ、私たちです」
1977年7月5日のことである。但し、相方のデヴィッド・ヒルは証拠不十分のために釈放されている。
3件の殺人の容疑で有罪となり、終身刑を云い渡されたカーニーは、死刑にならないことを条件に18件の余罪を認めた。その後、更に11件を認めたので〆て32人である。32人も殺しておいて、のうのうと税金で生きてていやがるのだから、アメリカという国はおめでたい。
(2009年4月3日/岸田裁月) |