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レオポルド・ディオン
Leopold Dion (カナダ)



レオポルド・ディオン

 殺人者は被害者を誘き出すために様々な手段を用いる。例えば、テッド・バンディは腕にギブスを嵌めて包帯で吊り、同情を買うことで被害者を誘き出した。ハーヴェイ・キャリナンは己れの店のアルバイトを募集することで被害者を誘き出した。ハーヴェイ・グラットマンは己れをカメラマンと偽り、モデルを募集することで被害者を誘き出した。

 ケベック州ポン=ルージュ在住のレオポルド・ディオン(42)もまた己れをカメラマンと偽った一人だった。但し、彼はグラットマンとは異なり、写真そのものには興味がなかった。何故なら、カメラの中にはフィルムが入っていなかったからだ。カメラはあくまでも誘き出すための小道具に過ぎなかったのである。

 1963年4月20日、ディオンは道端でギュイ・リュックニュックという12歳の少年に声を掛けた。
「僕はアメリカの雑誌で働いているカメラマンなんだが、モデルになってくれないかな。君はイメージにぴったりなんだ。もちろんモデル料は払うよ」
 こう誘われて断らない少年はいないだろう。自己顕示欲が満たされた上に小遣いが貰えるのだから。彼は疑うことなく自称カメラマンの車に乗り込んでしまった。そして、人里離れた荒れ地に連れて行かれて、首を絞められて殺害された。

 2週間後の5月5日、ディオンは道端で遊ぶ2人の少年にモデルの話を持ち掛けた。10歳のミシェル・モレルと8歳のアラン・キャリエである。ディオンは2人を人里離れた廃屋へと連れて行き、このように提案した。
「戦争ごっこをしよう。君たちは捕虜だ」
 まさか殺されるとは思っていないので少年たちは同意した。そして、手足を縛られて、首を絞められて殺害された。

 3週間後の5月26日には、ピエール・マルキという13歳の少年が犠牲になった。手口は全く同じである。殺害した場所も最初の犯行と同じだった。

 ディオンが逮捕されたのは、5人目の少年が慎重だったからだ。彼は自称カメラマンの言葉を信じなかった。そして、帰宅後にその旨を両親に報告した。直ちに警察に通報されて、自称カメラマンはお縄となった次第である。

 レオポルド・ディオンは4件の殺人で有罪となり、一旦は死刑判決が下されたが、後に終身刑に減刑された。そして、1972年11月17日、獄中で囚人仲間に刺し殺された。やはり子殺しは囚人仲間からも恨まれるのである。

(2011年4月27日/岸田裁月) 


参考資料

http://en.wikipedia.org/wiki/Leopold_Dion
http://fr.canoe.ca/cgi-bin/imprimer.cgi?id=127221
http://lesplusgrandscriminels.skyrock.com/2266294261-Leopold-Dion-dit-le-Monstre-de-Pont-Rouge.html


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