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マーティン・ブライアント
Martin Bryant
a.k.a. The Port Arthur Massacre (オーストラリア)



マーティン・ブライアント

 記憶に新しい事件である。映画『タスマニア物語』のおかげでタスマニアが日本人の人気観光地として定着した矢先の出来事だった。それだけに衝撃は大きく、我が国でも大々的に報道された。

 1996年4月28日日曜日、タスマニア州の観光地、ポート・アーサーでの出来事である。午後1時30分頃、その男は大きなズックのバッグを担いで「ブロード・アロー・カフェ」に現れた。店の前のバルコニー・エリアで昼食を摂った男は、このように呟いていたという。

「今日はワスプばっかりだな」
(There's a lot of wasps about today.)

 普段は日本人が多いので、そう呟いたのだろう。
 男は食事を終えると、徐にバッグの中からAR15アサルトライフルを取り出して、店員や客に向けて発砲し始めた。僅かな間に20人を死に至らしめ、15人を負傷させたのだから大した腕前だ。
 いや、褒めてどうする。
 ひとしきり撃ち終えた後、駐車場に向かった男は、そこでもバスの運転手と観光客を射殺。愛車のボルボに乗り込むと、その場からズラかった。

 驚くべきことに、この男の犯行はまだ終わっていなかった。300mほど走らせたところで2人の子供とその母親を射殺。その後、料金所でBMWに乗っていた4人を殺し、車をBMWに乗り換えて逃走を続けた。
 やがてガソリンスタンドでトヨタに乗るカップルを脅し、男性の方を人質に取ってBMWのトランクに閉じ込め、女性の方は射殺した。普通は逆だと思うのだが、そうしたのだから仕方がない。
 BMWの目的地はゲストハウスのシースケープ・コテージだった。男はBMWに火を放つと、このコテージに籠城した。
 間もなく警察がコテージを取り囲んだが、人質を取られているために身動きが出来ない。電話による交渉も、ハンディフォンのバッテリー切れで中断されてしまった。

 事態が進展したのは翌朝になってからだ。コテージが突然に燃え上がり、中から背中に火傷を負った男が飛び出したのだ。犯人だろうか? 男の名はマーティン・ブライアント。29歳の若者だった。
 安否を気遣われていた人質男性は、ゲストハウスのオーナー夫妻共々遺体となって発見された。かくして死者35人、負傷者15人の前代未聞の大殺戮は幕を下ろしたのである。35人という数は、個人の記録としてはノルウェーのアンネシュ・ブレイビク(77人)、韓国のウ・ポムゴン(57人)に次いで歴代3位である(但し、火災や爆破は除く)。

 現場のあらゆる状況からマーティン・ブライアントが犯人であることはまず間違いない。しかし、目撃者の一部が否定していることや、彼の知能がかなり低かったことから、その犯行を疑う声もある。中には「銃規制を目論む輩が仕組んだでっち上げだ」などという陰謀論めいたものもあるが、ブライアントが犯人とする結論は覆ることはないだろう。

 かくしてブライアントは有罪となり、仮釈放なしの35回の終身刑が云い渡された。責任能力に多少問題があるが、この点は「問題なし」とされている。事の大きさを慮ったのだろう。しかし、動機について詳しいことは何も判っていない。

(2009年3月28日・2014年11月17日に補足/岸田裁月) 


参考文献

『THE ENCYCLOPEDIA OF MASS MURDER』BRIAN LANE & WILFRED GREGG(HEADLINE)


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