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ウ・ポムゴン
Woo Bum-kon (韓国)



ウ・ポムゴン

 さて、いよいよ真打ちの登場である。大量殺人のワールド・レコード保持者のお出ましだ。8時間で58人(彼自身も含む)と来たもんだ。余りのことに開いた口が塞がらない。

 事件当時27歳の警察官、ウ・ポムゴンはかつてはソウル市内で勤務していた。ところが、どういうわけかキョンサンナムドはウィリョン郡の辺鄙な村に左遷されてしまう。古い因習が残る村では、恋人と籍を入れずに同棲を続ける彼は白い眼で見られた。それが彼には不満で堪らなかった。出来ることなら結婚したい。が、今の少ない稼ぎでは結婚式が挙げられないのだ。

 事の発端は恋人との些細な口喧嘩だった。腹の虫が治まらないウ・ポムゴンは警察の武器庫に侵入し、そこでしこたま酒を呷ると、2挺のM2カービン銃と実弾180発、そして7発の手榴弾で武装して、夜の村へと出陣したのである。1982年4月26日のことである。

 彼はまず電話局に押し入り、3人の交換手を射殺して外部との連絡を遮断した。その後、巡回を装って一軒一軒に訪問し、家人を皆殺しにしたのである。ある一家などは手榴弾で吹き飛ばされたという。恐ろしいことである。辛うじて生き残った者曰く、
「村中が死体で埋め尽くされ、助けを求める叫び声で溢れていた」
 負傷者も35人にも上ったのだからトンデモねえ狼藉だ。

 結局、5つの村を襲ったウ・ポムゴンは、翌朝の午前5時30分頃、3人の人質と共に手榴弾で爆死した。何とも豪快な死に様である。逡巡がない。清々しいとさえ思えてしまう。

 しかし、残された者にとっては迷惑な話だ。現職警官が犯したワールド・レコードの大量殺人。ノーガードだった武器庫。おまけに事件当夜、当直警官が遊興で不在等、問題は山積みで、チョン・ドゥファン政権を揺るがす騒ぎにまで発展した。最終的に時の内務長官は辞任を余儀なくされ、その後釜に据わったのが次期大統領のノ・テウである。

註:ウ・ポムゴンの大量殺人ワールド・レコードは、2011年7月22日にノルウェーのアンネシュブレイビクにより更新された。

(2009年3月20日/岸田裁月) 


参考文献

『THE ENCYCLOPEDIA OF MASS MURDER』BRIAN LANE & WILFRED GREGG(HEADLINE)


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