一応、筋が通っているように思える。実際にジャン・キンクと長男のギュスターブは行方不明だった。逃走中の可能性も否定できない。
しかし、妻が憎いならば妻だけ殺せばよいわけで、5人の子供まで殺す理由がない。それが不倫相手の子なら話は別だが、長男までもが可愛い弟や妹たちを惨殺するというのは解せない話だ。それでも大衆がトロップマンの供述を信じたのは、おそらく単なる物盗りの犯行にしては凶悪に過ぎるという当時の常識が働いたのだろう。
ほどなくギュスターブの遺体が現場付近で発見されて、トロップマンの嘘が露見した。それでも彼は「キンク氏が殺したキンク氏が殺した」とオウムのように繰り返していたが、2ケ月後に当のジャン・キンクの遺体がアルザスで見つかり、ようやく諦めて事の次第を打ち明けた。
アルザスでジャン・キンクと懇意になったトロップマンは、キンクがブラシ工場を経営していることを知って妬ましく思った。その財産を奪って俺も一旗上げようと、嘘の投資話を持ちかけて郊外に誘き出し、青酸入りのワインを飲ませて殺害した。ところが、キンクは小切手帳しか持っていなかった。あら、ショックぅ! とんだ番狂わせである。
仕方がないのでルーベーまで出向いて奥方に会い、
「御主人が右手に怪我をされて小切手にサインすることができません。代わりに現金を引き出して頂けないでしょうか?」
オレオレ詐欺の出張版みたいなことをやってみたが信じてくれない。かくなる上は皆殺しじゃ。手始めに手強そうな長男を始末し、
「御主人がパリで待っています。その際は現金や証書も忘れずに」
言葉巧みに誘い出し、順繰りに殺害したのである。
1870年1月19日に行われたトロップマンの処刑はちょっとした見世物だったという。刑務所のまわりには前夜のうちから何千人という見物人が陣取り、屋台が並ぶ大盛況。ツルゲーネフ等、当時の文士や文化人までもが招待されて、所長にフォアグラやワインを振る舞われた。大観衆が見守る中、サクッと斬り落されたトロップマンの生首は執行人の手にガブリと喰いつき、そのまま離れなかったとの逸話も残っている。
|