移転しました。https://www.madisons.jp/murder/text2/oakes.html

 

オークス事件
The Oakes Case (イギリス・バハマ



ハリー・オークス


謎に満ちたオークスの遺体

『黄金狂時代』のラストで金鉱を探し当てたチャーリー・チャップリンは、ハリー・オークスのような人物になっていたのだろうか? アラスカで一山当てたこの金鉱成金は、不動産やゴルフ場開発で手広く儲け、今では英国領バハマで悠々自適の暮らしを送っていた。バハマ総督のウィンザー公(エドワード8世)はカジノを誘致して観光収益を上げたい考えだったが、オークスはこれに反対だった。彼はゴルフさえ出来れば満足なのだ。余生を送る安住の地が今以上にせわしなくなることを望んでいなかった。

 そんなハリー・オークスが殺害されたのは1943年7月7日のことだ。翌朝、彼の屋敷に泊まっていた不動産業者のハロルド・クリスティーが、いつまで経ってもオークスが起きて来ないことに心配して寝室のドアを叩いた。しかし、返事がない。これはおかしいぞと中に踏み込むや否や、彼の眼に極めて異常な光景が飛び込んで来た。
 半ば焼け焦げた遺体の上には、どういうわけか羽毛が撒き散らされていた。後頭部を4回に渡って鈍器で殴打され、頭蓋骨が陥没している。顔には血が伝わった跡があった。このことはつまり、下を向いた状態で殴られて、その後に仰向けで寝かされたことを意味していた。
 そのあまりの異常な状況に、地元の黒魔術との関連を噂する者もいた。しかし、羽毛を遺体の上に撒いたのは、おそらくそうした方がよく燃えると犯人が思ったからだろう。ところが、実際には火は途中で消え、遺体を焼失させるには至らなかった。
 しかし、どうして遺体を焼失しようとしたのだろう? 階段が泥で汚れていたのも奇妙だ。謎は深まるばかりである。

 ウィンザー公のその後の行動も奇妙である。彼は地元警察やロンドン警視庁の協力を仰ぐことなく、マイアミの2人の刑事に捜査を依頼したのだ。噂によれば「自殺の線で解決せよ」との指示を出したとも云われている。

 現場を一瞥すれば自殺でないことは明白だ。そこで2人の刑事が名指しした犯人は、フランス生まれの放蕩貴族にしてオークスの娘ナンシーの伴侶、アルフレッド・ド・マリニーだった。理由は「彼の指紋が現場で見つかったから」だが、他の者の指紋も見つかっている。これだけの証拠で有罪に持ち込むのは無理というものだ。かくして陪審は無罪を評決したが、あたかも裏取引があったかの如く、マリニーをバハマから追放すべき旨の答申が付されていた。

 追放されたマリニーの妻ナンシーは、父親の死の真相を探るべく、アメリカの有名な私立探偵を呼び寄せて調査を依頼したが、行く先々でバハマ警察の妨害に遭ったという。
また、再捜査の依頼もウィンザー公にはね除けられた。こうしたことから、裏があるのではないかと勘繰られている。背後に蠢くのは、あのラッキー・ルチアーノの影である。

 ルチアーノの参謀マイヤー・ランスキーは、キューバに続いてバハマにも投資することを考えていた。バハマはいいカジノになると睨んでいたのだ。このことはウィンザー公の思惑とも一致した。ところが、地元の名士オークスはこれを拒んだ。そのためにオークスは消された。事実、彼が殺された晩にオークスがハロルド・クリスティーの運転で港に行くのが目撃されている。彼は港のクルーザーでランスキーと会い、慇懃無礼な態度で接した。そのためにその場で殺されて、浜からナッソーの屋敷に運ばれたのだ。だから、階段は泥で汚れていたのである…。

 ありえない話ではない。しかし、ランスキーほどの切れ者がこんな杜撰な犯行をよしとするだろうか? 甚だ疑問だ。
 少なくともウィンザー公がこの件について何らかの関わりを持っていることは、その後の不審な行動からして間違いない。しかし、それが何であったのかは、依然として謎のままである。

(2007年11月29日/岸田裁月)


参考文献

『殺人紳士録』J・H・H・ゴート&ロビン・オーデル著(中央アート出版社)
『世界犯罪百科全書』オリヴァー・サイリャックス著(原書房)
『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス)


counter

BACK