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ジョン・ジョージ・ヘイグ
John George Haigh (イギリス)



ジョン・ジョージ・ヘイグ

 ジョン・ジョージ・ヘイグは完全犯罪を企んでいた。彼は死体が見つからなければ殺人の罪には問われないと信じていたのだ。だから、死体をこの世から消し去った。しかし、彼がよく口にしていた「Corpus Delicti」というラテン語は、文字通りに「死体」の意味ではない。「罪体」の意味である。つまり犯罪を構成する事実そのものを指すのであり、それが客観的に証明されれば必ずしも死体は必要ないのである。また、死体はなかなかこの世から消し去ることは出来ない。必ず何らかの痕跡を残してしまう。

 1949年2月20日、正午を少し回った頃、チョビ髭を生やした小男が、身なりのいい年配の御婦人を伴ってロンドンの警察署に訪れた。
「私たちは近くのオンスロー・コート・ホテルで暮らす者なんですが、同じホテルのオリーブ・デュランド=ディーコン夫人が一昨日から行方不明なんですよ」
 夫人は2月18日の朝、チョビ髭の男=ヘイグと落ち合うために出掛けたきり、姿を消していた。心配した親友のコンスタンス・レーン夫人が警察に行くと云い出すと、ヘイグが「私も行きます」とついて来たのである。
「ヘイグさんが夫人をご自分の工場に案内されましたのよ。彼女は付け爪の製造に乗り気でしたから、そのお話をするためでしたの」
 ヘイグは慌ててレーン夫人の言葉を遮った。
「いやいや、あの日は結局、会えなかったんですよ。夫人は待ち合わせの場所に現れなかったんです」
 付け爪製造の事業だって? 怪しげな話である。今日なればいざ知らず、当時はまだ英国でも配給制が敷かれていたのだ。そんな貧しい時代に付け爪が事業として成り立つとは思えない。警察がチョビ髭を「狡猾な詐欺師」と疑ったのも当然である。その過去を調べると、3度も服役したことがある前科者であることが判明した。



「工場」の内部


新聞に掲載された溶解作業の再現図

 夫人を案内する予定だったというサセックス州クローリーの「工場=ちっぽけな倉庫」を捜索した警察は、ガスマスク、ゴム手袋、ひどく汚れたゴムの前掛け、ゴム長靴、手押しポンプ、そして、鉄枠と藁のクッションで補強された大きなガラス瓶を発見した。
 あいつはここでいったい何をしていたんだ?
 また、机の上には、この場所にはふさわしくない婦人用の帽子箱が置かれていた。開けてみると、中には最近発砲された痕跡のある38口径のリボルバーが入っていた。
 更に、数々の聞き込みにより、ヘイグが夫人の毛皮のコートや宝石類を売り捌いていたことも判明した。何らかの犯罪が行われたことは明白だ。
「夫人を何処にやったんだ?」
 尋問されたヘイグは平然と答えてのけた。
「夫人はもう、この世にはいませんよ。跡形もありません。硫酸で溶かしてしまったんです」
 そして、唖然とする捜査官に挑戦的な眼で問いかけた。
「死体がないのに、どうやって殺人を立証するんですかね?」
 不敵に微笑むヘイグは、更に5件の殺人を告白した。やはりいずれも溶かしてしまったという。
 以下はヘイグの供述書からの抜粋である。

「私と夫人は一緒にホテルを出て、私の車でクローリーに向いました。倉庫に夫人を連れ込み、夫人が付け爪の材料を見ている隙に後頭部を撃ちました。そして、ナイフで喉を切り裂き、グラスに血を溜めて飲み干しました。その後、衣服を脱がせると、死体を45ガロン用のドラム缶に入れました。それから手押しポンプで硫酸を注ぎ、後は化学反応に任せました。ホテルには夜の10時半頃に戻りました。
 翌朝、朝食をとりながら、夫人の姿が見えないことをレーン夫人と話し合いました。その後、宝石店で彼女の時計を10ポンドで売り、クローリーに行ってドラム缶の中を覗いて反応を確かめました。まだ十分ではなかったので、宝石を鑑定してもらうために宝石店を訪ねました。
 警察に届け出た翌日の月曜にクローリーに行くと、反応はほとんど終わっていましたが脂肪と骨のかけらがまだ浮いていました。溶け滓をバケツで汲み出し、建物の外の地面に撒くと、ドラム缶に硫酸を足して、残りの脂肪と骨を溶かすことにしました。(中略)
 木曜にクローリーに行くと、死体が跡形もなく溶けていたので、ドラム缶の中身を空けました」



問題のドラム缶と溶解物の入った木箱

 上の供述の中に解決の糸口があった。彼は溶解物を下水に流すことなく、庭に撒いていたのである。捜査官はドラム缶を転がす際に地面についた跡を辿ってその場所を特定し、一帯の土壌を綿密に調べ上げた。結果、決め手となるいくつもの証拠を発見した。
 まず、胆石である。胆汁の固まりである胆石は脂質で覆われているので、酸に溶け難いのである。
 次いで、辛うじて残されていた18個の骨から、被害者は女性で、関節炎を患っていたことが判明した。つまり、被害者は「胆石ができるほど肥満し、関節炎を患うほど高齢の女性」ということで、その特徴は全て夫人に合致する。
 そして、何よりも決定的だったのが、アクリル樹脂製の義歯である。それは間違いなく夫人のために作られたものであることが歯科医により証明されたのだ。

 公判に臨んだヘイグは余裕のよっちゃんで、公判そっちのけでクロスワードパズルを解いていたそうだが、陪審員はたったの17分(事務的な手続きを除けば、ほんの数分)の議論で有罪を評決、ヘイグは死刑を宣告された。

 なお、この事件でマスコミが注目したのは「硫酸風呂」はもちろんだが、むしろ彼が供述した「飲血」の部分であった。「この男は吸血鬼か?」と大騒ぎになったのであるが、多数意見は「精神異常を装おうための嘘」ということで落ち着いている。事実、彼は供述の前に捜査官にこのように訊ねている。
「ブロードムアから出られる見込みってあるんですかね?」
 ブロードムアとは、あのグレアム・ヤングを釈放してしまった刑事犯専門の精神病院である。


 ヘイグは1949年8月10日に処刑された。40歳だった。


参考文献

『殺人紳士録』J・H・H・ゴート&ロビン・オーデル著(中央アート出版社)
『連続殺人紳士録』ブライアン・レーン&ウィルフレッド・グレッグ著(中央アート出版社)
週刊マーダー・ケースブック14(ディアゴスティーニ)
『死体処理法』ブライアン・レーン著(二見書房)
『恐怖の都・ロンドン』スティーブ・ジョーンズ著(筑摩書房)
『世界犯罪百科全書』オリヴァー・サイリャックス著(原書房)
『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス)


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