ジェフリー・ダーマー |
ジェフリー・ダーマー 塩酸の入った樽を運び出す捜査官 |
1991年7月22日午後11時30分、ウィスコンシン州ミルウォーキーのダウンタウンでの出来事である。2人の巡査がパトカーで巡回していると、左手首から手錠をぶら下げた黒人の青年が金切り声を上げて飛び出して来た。なんでも若い白人の男にアパートに連れ込まれ、いきなり手錠をかけられたのだと云う。半信半疑だった巡査たちは、彼があまりにも真剣なので、一応そのアパートに行ってみることにした。 |
連続殺人犯の父親による史上初めての手記 |
理解できない事件である。いったいどうしたら物静かな青年が凶悪な食人鬼と化してしまうのだろうか? その答えを探す一助となるのが父ライオネル・ダーマーによる手記であるが、彼もまた、控えめではあるが、母親の情緒不安定と薬物への依存を原因の一つとして推察するのみである。息子が多くの人を食べてしまったことに困惑し、苦悩する姿が痛ましい。これから子を持つ世の親すべてが本書を読むべきだと私は思っている。親になることの責任を嫌というほど痛感させられるからである。 |
ダーマーの少年時代のモニュメント |
一方で、幼いジェフリーは父の研究室で見た化学薬品やビーカーにはまったく興味を示さなかった。グレアム・ヤングならば眼の色を変えたであろう品々である。ジェフリーとグレアムの性質の違いを物語る興味深いエピソードであるが、この段階をもって殺人者としての将来が約束されていたとは到底考えられない。グレアムには化学者としての将来が、ジェフリーには外科医としての将来だってあった筈なのだ。 |
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ジェフリーが初めて殺人を犯したのは18歳の時である。 |
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1987年9月15日、出入り禁止となった店とは別のゲイ・バーで、ジェフリーはスティーヴン・トゥオミという黒人青年と出会い、ホテルへとしけこんだ。朝、目が覚めると、スティーヴンは口から血を流して死んでいた。泥酔していたジェフリーは何があったのかまるで覚えていなかったが、自分が絞殺してしまったことだけは確かである。慌てた彼はクローゼットに死体を隠し、外出してスーツケースを買い求めると、死体を詰めて祖母の家へと運んだ。そして、地下室でバラバラに切断して廃棄した。但し、頭部だけは茹でて頭蓋骨を取り出し、漂泊して保存した。 |
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ジェフリーが相手を睡眠薬で眠らせるのは、無抵抗にするためである。性的関係を拒まれることを極度に嫌うのである。だから、裏切らず、口答えせず、逃げ出すことのない恋人が隣にいれば、彼は殺害を繰り返す必要はないのだ。 |
参考文献 |
『息子ジェフリー・ダーマーとの日々』ライオネル・ダーマー著(早川書房) |