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ジェフリー・ダーマー
Jeffrey Dahmer (アメリカ)



ジェフリー・ダーマー


塩酸の入った樽を運び出す捜査官

 1991年7月22日午後11時30分、ウィスコンシン州ミルウォーキーのダウンタウンでの出来事である。2人の巡査がパトカーで巡回していると、左手首から手錠をぶら下げた黒人の青年が金切り声を上げて飛び出して来た。なんでも若い白人の男にアパートに連れ込まれ、いきなり手錠をかけられたのだと云う。半信半疑だった巡査たちは、彼があまりにも真剣なので、一応そのアパートに行ってみることにした。

 その付近一帯はストリップ小屋やゲイ・バーが密集し、売春婦がたむろするいかがわしい場所で、住人もほとんどマイノリティーだった。
案内されるままにオックスフォード・アパートメント213号の呼び鈴を鳴らすと、この場所にふさわしくない、大人しそうな男が顔を出した。ジェフリー・ダーマーと名乗るその白人男性は、至って冷静に対応した。
「いや、ほんの冗談のつもりだったんですよ。彼とは酒を飲んでいたんです」
 巡査が手錠の鍵を出すように云うと、ダーマーは隣の寝室に取りに行った。
「あいつ、ナイフを持っていますよ」
 手錠をされた男が小声で云った。
「待て。戻って来い」
 巡査の1人がダーマーを制して、自らが寝室に取りに行った。
 酷い臭いだった。よくこんなところに住んでられるな。呆れつつも、鍵を探して引き出しの中を覗くと、トンデモないものが彼の眼に飛び込んで来た。それはバラバラ死体のポラロイド写真だった。
「なんだこりゃ!」
 その声を聞くや、ダーマーは逃げ出そうとした。
「おい、そいつを逃がすな!」
 ダーマーはその場で床にうつぶせにされ、後ろ手に手錠をかけられた。
 やがて騒ぎを聞きつけたやじ馬が集まって来た。巡査たちには臭いの原因が判り始めていた。恐る恐る冷蔵庫を開けると、やじ馬の一人が叫んだ。
「なんてこった! 人の頭が入ってやがる!」
 その瞬間、ダーマーは叫び声を上げた。この世のものとは思えない、獣のような声で叫び続けた。

 冷蔵庫の中には4つの頭部といくつもの肉片が保存されていた。ファイリング・キャビネットの上段には3つの頭蓋骨、下段には各部の骨が、箱の1つには2つの頭蓋骨とおぞましい写真のアルバムが収納されていた。鍋の中では2つの頭部が煮えて崩れかけており、その他の容器も手足や臓物でいっぱいである。ガラス瓶の中には男性器がホルマリン漬けにされている。玄関に置かれた青い樽は塩酸で充たされ、中では3つの胴体が溶解されていた。
 まるで屠殺場である。更に恐ろしいことに、冷蔵庫の中には人肉の他に食料らしいものがまるでなかった。このことはダーマーが被害者を食べて暮らしていたことを示唆していた。



連続殺人犯の父親による史上初めての手記

 理解できない事件である。いったいどうしたら物静かな青年が凶悪な食人鬼と化してしまうのだろうか? その答えを探す一助となるのが父ライオネル・ダーマーによる手記であるが、彼もまた、控えめではあるが、母親の情緒不安定と薬物への依存を原因の一つとして推察するのみである。息子が多くの人を食べてしまったことに困惑し、苦悩する姿が痛ましい。これから子を持つ世の親すべてが本書を読むべきだと私は思っている。親になることの責任を嫌というほど痛感させられるからである。

 ジェフリーが生まれたのは1960年5月12日、父ライオネルがまだマーケット大学の工科学生だった時のことである。当時の妻ジョイスとの初めての子だった。
「いま思えば私たちのどちらもまだ子供をもつ覚悟ができていなかった」
 ジョイスは激しいつわりに悩まされ、ライオネルに当り散らし、様々な薬を服用した。時には1日に26錠も飲んでいたというからただごとではない。そのために食人鬼が生まれたわけではないだろうが、妊娠中に薬物を乱用する姿勢には問題があると云わざるを得ない。
 ジェフリーの誕生後、ライオネルは学業に専念し、やがて1962年には学士号を、4年後には分析化学の博士号を取得した。その間、一人で育児を受け持つジョイスの精神状態は次第に悪化して行った。夫婦仲は険悪になり、口論が絶えず、時にはジョイスがナイフで切りつけることさえあったという。

 ジェフリーが4歳の時のことである。ダーマー家の床下で小動物の骨の山が見つかった。ジャコウネコの餌食らしい。ジェフリーはその一つをつかむと、熱心に見つめた。そして、地面に叩き落とし、砕ける音を聞いてうっとりとしていた。

「ここ数年、私はあの日の午後に見た息子の姿をたびたび想い出す。その光景は、もう子供の頃の単なるエピソードに思えない。なんの意味もないことだったのかも知れないが、今はどうしても違ったふうに思えて、もっと邪悪な気味の悪い出来事だったように思えてしかたがない。かつてはかわいい息子のほほえましい想い出に過ぎないのに、今は彼の運命の前触れだったように思え、想い出すたびに崖っぷちに立ったような寒気をおぼえる」

「4歳のとき、あの子は自分のおへそを指さして、もしだれかがここを切り取られたらどうなるのと訊いたことがあった。あれは自分の体に興味を持ちはじめた子供の無邪気な質問にすぎないのだろうか? それとも、心の中にすでに病的ななにかがひそんでいた兆候だったのだろうか? 釣りに行くと、彼ははらわたを抜かれた魚にすっかり魅せられたように見え、明るい色をした臓物を目を輝かせて見つめていた。あれは単なる子供の好奇心だったのか? それとも、アパートの213号室でのちに発見されたおぞましいものを見る目つきの前触れだったのだろうか?」



ダーマーの少年時代のモニュメント

 一方で、幼いジェフリーは父の研究室で見た化学薬品やビーカーにはまったく興味を示さなかった。グレアム・ヤングならば眼の色を変えたであろう品々である。ジェフリーとグレアムの性質の違いを物語る興味深いエピソードであるが、この段階をもって殺人者としての将来が約束されていたとは到底考えられない。グレアムには化学者としての将来が、ジェフリーには外科医としての将来だってあった筈なのだ。
 では、何故にそうならなかったのか?
 2人には家庭での愛情が欠落していたのだ。ジェフリーに関して云えば、父は研究に忙しく、息子にほとんど構ってあげられなかった。母の精神は次男を産んでからは悪化の一途を辿り、1970年には精神科に入院してしまう。そして1977年に離婚する。そんな中でジェフリーはひとり森の中で過ごすことが多くなった。孤独のうちに彼の心は静かに、しかし確実に病んで行ったのである。

「1992年2月の公判の時に初めて知ったのだが、彼は近所の通りをいつも自転車でうろついていた。その自転車には、道すがら見つけた動物の死骸を回収するためのビニールのゴミ袋が積まれていた。そして、動物の死骸を集めては、自分で墓を作っていた。また、路傍の腐りかけた動物の死骸から肉をはぎ取ったり、杭に犬の頭を刺したりしていたという。
 裁判でこのことを初めて聞いた時、なぜ当時だれもそのことを教えてくれなかったんだろうと思った。さらに戸惑いを覚えたのは、そんな行為の証拠をなぜ一度も目にすることがなかったのかということだった。裁判が終わって何ケ月も経ってから、私は道をはさんだ隣人の敷地の雑木林に、その『墓』らしき塚があったことを知った。そして、杭に刺した犬の頭は我が家から少し南西に行った、人があまり足を踏み入れない森の中にあったことも」

 私が思うに、問題なのは「親に教える者がいなかった」ことではなく「親が気づかなかった」ことである。ジェフリーとしては、気づいて欲しかったのかも知れない。森の中の犬の頭は、物静かな彼が発した精一杯の危険信号だったのではないだろうか。



17歳の頃のジェフリー・ダーマー

 ジェフリーが初めて殺人を犯したのは18歳の時である。
 この頃の彼は、己れがゲイであることに気づき、苦悩していた。
「友達もいない僕に
、男の恋人など出来るだろうか?」
 そして架空の恋人を思い描いた。裏切らず、口答えせず、逃げ出すことのない恋人。それは限りなく死体に近い存在だった。
 1978年6月半ば頃、高校を卒業してブラブラしていたジェフリーは、町外れでスティーヴン・ヒックスというヒッチハイカーと出会った。一目惚れした彼は、酒とマリファナを餌に自宅へ誘った。ちょうどいいことに両親は別居中で、家には誰もいなかった。やがてスティーヴンがそろそろ帰ると云い出した。帰したくないジェフリーは、バーベルで殴って殺害した。そして、死体を犯した後に床下に埋めた。取り返しのつかないことをしてしまった…。ジェフリーは救いを酒に求めた。両親の離婚が成立して父に引き取られた頃には、彼はアル中になっていた。

「私はどうやって息子にまともな人生を送らせたらいいのか、まるで見当がつかないでいた。彼の顔はまるで壁と同じで、目はうつろだった。息子はアルコール漬けになった頭のせいで人格まで冒されているのだ、と当時私は思っていた。だが、目の裏ではいつもなにかが動いているような気がした。彼の心はまるで鍵のかかった部屋に閉じ込められているようで、その心に耳を傾けられるのは本人しかいないみたいだった。
 けれど、彼がどんなことに耳を傾けていたのか、今は判っている。彼が居間のソファに身じろぎもせずに座り、生気のない目で窓の外を見つめている時、心にどんな思いが去来していたのか、今は判っている。
 彼は、数ケ月前に犯した殺人現場の音を聞いていたのだ。恐怖とおそろしい不安を抱えながら、彼は何度も何度もくり返しその光景を見ていた。あの落ちつかない目の裏で果てしなく流れ続けるホラー・ショーを。
 あの時、寝て酒ばかり飲んでいることを非難する私の話を聞きながら、彼は魂のない表情でうなずいていた。私の叱責はどれほど的はずれに聞こえ、すでに自分が犯していたことに比べてどれほど些末なことに思えただろうか」

 大学に入れてみたがダメ、軍隊に入れてみてもダメだった。ジェフリーは酒浸りの毎日で、まったくやる気がみられなかった。息子を持て余したライオネルは、母に預けてみることにした。
 やがてジェフリーはチョコレート工場に職を見つけ、転地療養は奏功したかに思われた。しかし、或る日のこと、祖母のキャサリンはジェフリーの部屋で男のマネキン人形を発見した。報告を受けたライオネルが問いただすと、ジェフリーはデパートから盗んだのだと答えた。
 いったい何のために?
 ジェフリーがゲイであることを知っている我々には何のためだかは判っている。オナニーのためである。しかし、父も祖母もそのことは知らない。ただ、父の再婚相手だけは薄々気づいていたようで、言葉を濁しながらも警告を発した。
「なにかおかしなところがあるわよ。具体的にはよくわからないけど、なにかがおかしい」
 これは後に判ったことなのだが、このマネキン騒動の直後、ジェフリーは近所の少年が自動車事故で死亡した旨を新聞で知り、その墓を暴きに行ったことがあるという。死体をマネキンの代わりにしようとしたのである。しかし、真冬のことである。凍土のためにはかが行かず、途中で諦めて逃げ出した。

 この頃のジェフリーは夜になると足繁くゲイ・バーに通っていた。しかし、寡黙なジェフリーはなかなかパートナーを見つけることが出来なかった。そこで思いついたのが睡眠薬である。気に入った男に酒を奢り、隙を見て睡眠薬を盛った。そして、意識朦朧とした相手を個室に連れ込みおイタをした。やがてジェフリーに薬を盛られたという苦情が店に殺到。遂には意識が戻らず、救急車で病院に運ばれる者まで現れた。この件でジェフリーは警察にしょっぴかれたが、相手に告訴の意思がなかったために起訴は免れた。しかし、その店への出入りは禁止となった。当然である。
 ここで諸君はマネキン→墓荒らし→睡眠薬とエスカレートしていることに気づくだろう。そして、この次に来るのが、そう、殺人である。いよいよ我々の知る食人鬼「ジェフリー・ダーマー」が覚醒するのだ。



子供たちに大人気、ジェフリー・ダーマー人形

 1987年9月15日、出入り禁止となった店とは別のゲイ・バーで、ジェフリーはスティーヴン・トゥオミという黒人青年と出会い、ホテルへとしけこんだ。朝、目が覚めると、スティーヴンは口から血を流して死んでいた。泥酔していたジェフリーは何があったのかまるで覚えていなかったが、自分が絞殺してしまったことだけは確かである。慌てた彼はクローゼットに死体を隠し、外出してスーツケースを買い求めると、死体を詰めて祖母の家へと運んだ。そして、地下室でバラバラに切断して廃棄した。但し、頭部だけは茹でて頭蓋骨を取り出し、漂泊して保存した。

 1988年1月16日、ジェフリーはゲイ・バー付近のバス停留所でジェイムス・ドクステイターというネイティブ・アメリカンの血を引く白人青年と出会い、祖母の家へと連れて行った。そして、睡眠薬入りのカクテルを飲ませて絞殺した。屍姦した後は前回とほぼ同じである。やはり頭蓋骨は記念として保存した。

 3月24日、ジェフリーはゲイ・バーでリチャード・グェレロというヒスパニック系の青年と出会い、祖母の家へと連れて行った。その後は前回と同じである。この頃にはジェフリーは解体用のナイフ一式を揃えていた。

 祖母のキャサリンは地下室から漂ってくる異臭に悩まされていた。そこでライオネルに電話し、地下室を調べさせた。床にどす黒い液体がこぼれている以外は特に変わったところはなかった。しかし、息子をこれ以上母に預けておくわけにもいくまいと、ジェフリーに独立を促した。

 9月25日に北24番街808番地のアパートに引っ越したジェフリーは、翌日の午後にケイソン・シンサソンフォンというラオス人の少年を部屋に連れ込んだ。睡眠薬入りのコーヒーを飲ませて姦淫したが、彼は殺さずにリリースした。ケイソンは自宅に戻るや否や昏睡状態に陥り、病院に運ばれた。この件でジェフリーは逮捕され、未成年者に対する強制猥褻の罪で起訴された。しかし、ライオネルが1万ドルの保釈金を払ったため、1週間後に釈放された。

 1989年3月25日、ケイソンに対する容疑が係争中であるにもかかわらず、ジェフリーはアンソニー・シアーズとゲイ・バーで知り合い、祖母の家に連れて行き、殺害した。自分の部屋に連れて行かなかったのは、警察に監視されているのではないかと思ったからである。そして、いつものように解体し、頭蓋骨と性器を保存した。

 5月23日、ジェフリーはケイソンに対する容疑で有罪となり、1年間の刑務所外労働を云い渡された。おかげでミルウォーキー刑務所からチョコレート工場に働きに出ることができた。たまにはゲイ・バーにも寄ることもできた。更正などする筈がない。そして1990年3月3日に仮出所となり、北25番街924番地に部屋を借りた。後に「ジェフリー・ダーマーの神殿」として恐れられることになるオックスフォード・アパートメント213号である。

 5月29日、レイモンド・スミスを殺害。
 6月14日、エディ・スミスを殺害。
 そして9月3日、ジェフリーの犯行は新たな局面を迎える。食人である。7月8日にヒスパニック系の少年を殺害しようとしたが逃げられてしまったために自粛していたジェフリーであったが、欲求不満が募り、殺人衝動がピークに達していた。ゲイ・バーで拾ったアーネスト・ミラーを連れ込むと、喉を掻き切って殺害した。そして、浴室で首から股間まで切り裂いて、はらわたを愛撫しながら屍姦した。まるでポール・モリセイの『悪魔のはらわた』か筒井康隆の『問題外科』のような惨状である。否。ジェフリーの所業は『問題外科』を越えている。その上でステーキにして食べてしまったのである。恐ろしいことである。
 9月22日にはデヴィッド・トーマスが、翌1991年2月18日にはカーティス・ストローダーがジェフリーの胃袋に納まった。この後、ジェフリーは更に進化する。今度は「ゾンビ」の創造を企てるのである。



映画『ジェフリー・ダーマー』より、ゾンビの創造

 ジェフリーが相手を睡眠薬で眠らせるのは、無抵抗にするためである。性的関係を拒まれることを極度に嫌うのである。だから、裏切らず、口答えせず、逃げ出すことのない恋人が隣にいれば、彼は殺害を繰り返す必要はないのだ。
 そこで思いついたのが「ゾンビ」の創造、すなわち「ロボトミー手術」である。前頭葉白室を切り離してしまうと無抵抗な人間になってしまう。かつては手に負えないキチガイの治療法として広く行われていたが、あまりにも非人道的ゆえに今日では禁止されている。映画『女優フランシス』ではその恐るべき手術現場が再現されていたが、ジェフリーの所業はあれを遥かに上回る。

 1991年4月9日、エロル・リンゼイに睡眠薬を飲ませたジェフリーは、頭部に電気ドリルで穴を開け、調理用の注入器を用いてエロルの脳に塩酸を注入した。余りの激痛にエロルを目を覚まし「いたたたたたた」と転げ回った。ご近所迷惑の大騒ぎを制止するためにジェフリーは彼を絞殺した。かくして初回の手術は大失敗に終わった。

 次の犠牲者のトニー・ヒューズは聾唖者だった。そのためなのかは知らないが、ジェフリーは彼とは性的関係を持たなかった。しかし、気がついたら彼の部屋で死んでいた。5月24日のことである。

 5月26日、トニーの屍体をベッドの上に放置したまま、ジェフリーは次なる獲物を探しに出掛けた。そして、ショッピング・モールでまだ14歳のコネラク・シンサソンフォンに声をかけた。
 ここで記憶力のよい方はハッとされたことだろう。彼は3年前にジェフリーに睡眠薬を飲まされたケイソン・シンサソンフォンの弟だった。ジェフリーがそのことを知っていたかは不明だが、とにかく彼の頭に穴を開けて塩酸を注入した。
 やがて日が暮れて、ビールを買い忘れていたことに気づいたジェフリーは、コネラクをそのままにして出掛けた。そして、バーで一杯やってから帰宅すると、アパートの前でコネラクが全裸のままでウロウロしていた。ヤベっ。ジェフリーは慌てて駆け寄るが、やじ馬が集まり始めていた。警官までもが駆けつけた。すわ一大事。ジェフリーは必死になって弁解した。すいません。この子は僕の恋人なんです。ちょっとした痴話喧嘩なんです。すいません。すいません。
 なんだ、おかまの痴話喧嘩かあ。「事件性なし」と判断した警官は、それでも一応ジェフリーの部屋を改めた。この時、寝室も調べていれば、ジェフリーは逮捕されていた筈である。ベッドの上にはトニーの死体が放置されていたからだ。ところが、居間を見回しただけで警官は去った。ジェフリーはコネラクを絞殺すると、バラバラにして食べてしまった。

 この件が物語るのはジェフリーの無計画性である。死体が寝室にあるというのに新たな獲物を誘い入れ、それを放置したまま一杯飲みに出掛けてしまう。いったい何を考えているんだろうと不思議に思う。おそらく何も考えてなかったのだろう。人としての心を完全に失い、ただ獲物を襲う野獣と化していたのだ。事実、その後の犯行は、
 6月30日 マット・ターナー
 7月 5日 ジェレミア・ワインバーガー
 7月12日 オリバー・レイシー
 7月19日 ジョセフ・ブレードホフト
 凄まじい頻度である。ほぼ1週間に1人殺害している。この間にジェフリーはチョコレート工場をクビになり、家賃滞納のため7月いっぱいで追い出されることが決まっていた。つまり、彼にとっては「殺し納め」だったのである。
 そして7月22日、トレイシー・エドワーズの脱走により逮捕された。犠牲者は17人にも及んだ。

 ウィスコンシン州では死刑が廃止されているため、ジェフリーは終身刑を宣告された。そして1994年11月28日、コロンビア刑務所の浴室で囚人仲間に撲殺された。
 ジェフリーが殺される前に出版された父ライオネルによる手記は、以下の言葉で結ばれている。

「父親であるということは永遠に大きな謎であり、私のもうひとりの息子がいつの日か父親になるかもしれないことを考えると、彼には次のようにしか言えないし、これから父親になろうとしている人たちにも次のように言うしかない。『気をつけて、しっかり頑張ってほしい』と」

 しかし、頑張らない父親が多いのが現状である。虐待される小児が如何に多いことか。我が国にもジェフリー・ダーマーが生まれる日は近い。私は予言する。


参考文献

『息子ジェフリー・ダーマーとの日々』ライオネル・ダーマー著(早川書房)
『連続殺人紳士録』ブライアン・レーン&ウィルフレッド・グレッグ著(中央アート出版社)
『続連続殺人者』タイムライフ編(同朋舎出版)
週刊マーダー・ケースブック9(ディアゴスティーニ)
『食人全書』マルタン・モネスティエ著(原書房)
『カニバリズム』ブライアン・マリナー著(青弓社)
『完全犯罪を狙った奴ら』M・ウルフ&Kマダー著(扶桑社)
『世界犯罪百科全書』オリヴァー・サイリャックス著(原書房)
『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス)


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