地元のテレビに送りつけられたパズル(拡大可)
地元のテレビに出演するデニス・レイダー
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BTKが再び犯行声明をウィチタの新聞社に送りつけたのは、2004年3月のことである。それによれば、1986年9月16日にヴィッキー・ウェガリーが絞殺された事件も彼の犯行だという。手紙には彼女の免許証のコピーが同封されていた。
模倣犯の可能性もあったが、同年12月、市内の公園でナンシー・フォックスの免許証が発見されて、BTKのカムバックが証明された。フォックスは1977年にBTK自らが警察に通報した時の犠牲者である。その免許証を持っているのはBTK以外にあり得ないのだ。
しかも、BTKは警察を挑発するかのように、不気味な人形を現場に残していた。その人形は後ろ手に縛られ、頭にビニール袋をかぶされていたのだ。
まったく「出たがり」である。
「出たがり」の極みはパズルである。彼は地元のテレビ局に不可解な文字の羅列を送りつけた。そこには様々なキーワードが隠されていたが、なんと、BTKの本名「RADER」まで隠されていたのだ(このことはもちろん、レイダーの逮捕後に判ったことではあるのだが)
そんな「出たがり」BTKが逮捕されたのは、一枚のフロッピーディスクが切っ掛けだった。彼がテレビ局に送りつけたディスクに、それを書き込んだコンピューターの情報が残されていたのだ。捜査の結果、それは市内の教会が所有するものであることが判明した。そして、ここに通うデニス・レイダーが容疑者として浮上し、逮捕されるに至ったのである。
BTKの正体を知った地元の市民は驚いた。レイダーは1974年、すなわち犯行を始めた年から警備会社に勤務し、警報機の設置や作動の状況などを調べてまわる仕事に従事していたのだ。その後、1991年にはウィチタ郊外のパークシティで法令順守員の仕事をしていた。つまり、市民を守る側の人間が犯人だったのである。しかも、彼は法令順守員としてエラそうに地元のテレビにも出演していた。素顔の彼も「出たがり」だったのだ。
レイダーは1985年9月16日のマリン・ヘッジ殺し、1991年1月19日のドロレス・デイヴィス殺しも自供し、合計10件の殺人容疑で起訴された。法廷では一切争わず、全てを認めた上で、2005年8月18日に終身刑を宣告された。
カンザス州では1994年に死刑制度が復活されたが、BTKの犯行は全てそれ以前のことである。彼が素直に自供したのは、死刑にならないことを知っていたからだろう。ひょっとしたら、捕まって有名になりたかったのかも知れない。BTKももう60歳だ。残りの人生をデヴィッド・バーコウィッツ(サムの息子の正体)のように有名人として過ごしたい。「出たがり」の彼がそう思ったとしても、何ら不思議ではない。
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