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BTK
BTK (アメリカ)



デニス・レイダー

 2005年2月25日、一人の男が逮捕された。デニス・レイダー60歳。彼こそが31年前にマスコミに犯行声明を送りつけた連続殺人犯、BTKの正体だった。どうして今頃になって逮捕されたのか不思議に思って調べたら、自ら墓穴を掘ったようだ。再びマスコミに接触したことが命取りになったのである。

 それではBTKについておさらいをしよう。
 1974年1月15日、ジョセフ・オテロと妻のジュリー、そして娘のジョセフィーヌ(11)と息子のジョセフ(9)の一家4人が、カンザス州ウィチタの自宅で絞殺された。一家は縛られて、猿轡を噛まされていたが、中でも特にジョセフィーヌの扱いが酷かった。裸にされて地下室の天井から吊るされていたのだ。
 警察は容疑者の似顔絵を公表したが、手掛かりは一向に掴めなかった(今だから判ることだが、その似顔絵は似ていない)。そして、事件から9ケ月後、地元の新聞社に犯行声明が届けられた。現場の正確な描写から、犯人が書いたものに間違いなかった。彼は自らをBTKと名乗っていた。BTKとはすなわち「縛る(bind)」「拷問する(torture)」「殺す(kill)」の頭文字である。
 なお、オテロ一家殺害から3ケ月後の4月4日、BTKは21歳のキャサリン・ブライトを刺殺していたが、当時はBTKの犯行であるかは不明だった。

 その後、BTKはしばらく沈黙した。活動を再開したのは3年後の1977年3月17日になってからだ。
26歳の主婦シャーリー・ヴィアンが絞殺されたわけだが、意外にもBTKは3人の子供には手を出さなかった。そのうちの一人、スティーヴン・レルフォードは後にこのように語っている。
「『両親はいるか?』と訊かれて『お母さんがいる』と答えたら、そいつがいきなり家に入ってきたんだ。母は裸にされて、両手を後ろ手に縛られた。そして、頭にビニール袋をかぶせて、ロープで首を絞めたんだ」
 彼はその後の2年間、トラウマの余りに誰とも会話をすることが出来なかったという。

 同年12月8日、25歳のナンシー・フォックスを絞殺した時には大胆にも自ら警察に通報した。そして2ケ月後、地元のテレビ局に再び犯行声明を送りつけた。
「俺は自分自身をコントロールできないんだ。怪物が俺の脳ミソに入ってくると、何が何だか判らなくなる。あんたたちなら奴を止めることができるかも知れない。俺には無理だ。奴は既に次の犠牲者を決定した」
 ウィチタはパニックに見舞われた。ところが、BTKの犯行はそれで終わった。そして、長い間、未解決事件の一つとして語り草になっていたのである。手元の資料の記述も、ここで終わっている。

 ここまでの彼の犯行を振り返って思うことは「出たがり」だということだ。自己顕示欲が旺盛なのだ。ボストン・ストラングラーよりも、ゾディアックよりも、サムの息子よりも有名になりたいという野心が透けて見える。そう、コピーキャットの臭いがするのだ。私がこれまでこの事件にあまり興味を抱かなかったのはそういうわけだ。オリジナリティが感じられなかったのである。
 彼がどうしてBTKをやめて、どうしてまた始めたのかはよく判らない。判らないが、大して売れなかったので引退した往年のアイドルが、また有名になりたくてヌード写真集を出版した。そんな感じがするのだ。犠牲になった方々には申し訳ないが。



地元のテレビに送りつけられたパズル(拡大可)


地元のテレビに出演するデニス・レイダー

 BTKが再び犯行声明をウィチタの新聞社に送りつけたのは、2004年3月のことである。それによれば、1986年9月16日にヴィッキー・ウェガリーが絞殺された事件も彼の犯行だという。手紙には彼女の免許証のコピーが同封されていた。
 模倣犯の可能性もあったが、同年12月、市内の公園でナンシー・フォックスの免許証が発見されて、BTKのカムバックが証明された。フォックスは1977年にBTK自らが警察に通報した時の犠牲者である。その免許証を持っているのはBTK以外にあり得ないのだ。
 しかも、BTKは警察を挑発するかのように、不気味な人形を現場に残していた。その人形は後ろ手に縛られ、頭にビニール袋をかぶされていたのだ。
 まったく「出たがり」である。
「出たがり」の極みはパズルである。彼は地元のテレビ局に不可解な文字の羅列を送りつけた。そこには様々なキーワードが隠されていたが、なんと、BTKの本名「RADER」まで隠されていたのだ(このことはもちろん、レイダーの逮捕後に判ったことではあるのだが)

 そんな「出たがり」BTKが逮捕されたのは、一枚のフロッピーディスクが切っ掛けだった。彼がテレビ局に送りつけたディスクに、それを書き込んだコンピューターの情報が残されていたのだ。捜査の結果、それは市内の教会が所有するものであることが判明した。そして、ここに通うデニス・レイダーが容疑者として浮上し、逮捕されるに至ったのである。

 BTKの正体を知った地元の市民は驚いた。レイダーは1974年、すなわち犯行を始めた年から警備会社に勤務し、警報機の設置や作動の状況などを調べてまわる仕事に従事していたのだ。その後、1991年にはウィチタ郊外のパークシティで法令順守員の仕事をしていた。つまり、市民を守る側の人間が犯人だったのである。しかも、彼は法令順守員としてエラそうに地元のテレビにも出演していた。素顔の彼も「出たがり」だったのだ。
 レイダーは1985年9月16日のマリン・ヘッジ殺し、1991年1月19日のドロレス・デイヴィス殺しも自供し、合計10件の殺人容疑で起訴された。法廷では一切争わず、全てを認めた上で、2005年8月18日に終身刑を宣告された。

 カンザス州では1994年に死刑制度が復活されたが、BTKの犯行は全てそれ以前のことである。彼が素直に自供したのは、死刑にならないことを知っていたからだろう。ひょっとしたら、捕まって有名になりたかったのかも知れない。BTKももう60歳だ。残りの人生をデヴィッド・バーコウィッツ(サムの息子の正体)のように有名人として過ごしたい。「出たがり」の彼がそう思ったとしても、何ら不思議ではない。


参考文献

『連続殺人紳士録』ブライアン・レーン&ウィルフレッド・グレッグ著(中央アート出版社)


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