シェイクスピアの有名な喜劇《じゃじゃ馬馴らし》は、悪態つきのじゃじゃ馬女が武骨な男に調教されて貞淑な妻になるという、フェミニズムの闘士が読んだら逆上しそうな物語である。 ところで、洗脳ということで必ず思い出されるのが、パティ・ハーストの事件である。反社会的な団体に洗脳され、すったもんだの挙句に保護されて再洗脳を施されて「社会復帰」したというその概要は、我が国の飯星某や山崎某のそれと同じなのであるが、パティの事件はこれらと一線を画している。というのも、彼女は《市民ケーン》のモデルとなったことで有名な新聞王、ウィリアム・ランドルフ・ハーストの孫娘だったのである。 |
1974年2月4日、一人の娘が誘拐された。新聞王ハーストの孫娘にして、《サンフランシスコ・エグザミナー》紙社長ランドルフ・A・ハーストの三女パトリシアである。バークレー大学に通う19歳の彼女は、大学講師を勤める婚約者、スティーブン・ウィードとの同棲生活を送るため、親元から離れて大学付近のアパートメントに引っ越したばかりだった。この新居に銃で武装した二人組の暴漢が現われた。婚約者は張り倒されて気絶、その間にパティは車のトランクに閉じ込められて連れ去られた。
誘拐団からの犯行声明を受け取ったのはサンフランシスコのラジオ局だった。彼らはシンバイオニーズ解放軍(以下SLA)を名乗り、パティの肉声を収めたカセットテープも添えられていた。 「わたしはちょっとすりむいたけどだいじょうぶです。かぜもひきましたがお薬をくれました。わたしは武器をもった人たちといっしょにいます。でも、わたしにはとても親切にしてくれます。安心してください」。 SLAは西海岸ではちょっとは名の知れたテロリストだった。リーダーはドナルド・デフリーズ。30歳の黒人で「陸軍元帥サンク」を自称していた。1830年代の奴隷船反乱の首魁の名からの引用だ。しかし、彼の素性は脱獄者。なんのことはない、SLAは政治団体とは名ばかりの単なる犯罪者集団だったのである。 「パパ、ママ、この人たちの要求は、私には無理なものには思えません。だって世界中の人に食べ物をあげろと言っているのではないのですもの。ですから 速やかに指令を実行しなさい。さすれば、すべてはうまく行くでしょう」。 パティの我が儘ぶりは相変わらずだったが、彼女の口調には確かに変化が現われていた。 |