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 シェイクスピアの有名な喜劇《じゃじゃ馬馴らし》は、悪態つきのじゃじゃ馬女が武骨な男に調教されて貞淑な妻になるという、フェミニズムの闘士が読んだら逆上しそうな物語である。
 で、ここでの調教方法が面白い。メシと睡眠を与えないのである。メシはともかく、睡眠を与えないのはどこかの宗教法人の洗脳マニュアルと同じではないか。
 ちなみに、盟友のちちはるおがかつて某学会員に入信の勧誘をされた時も、朝まで寝かしてくれなかったという。ホテル招待型の詐欺商法のテクニックも、部屋に押し入り、契約書に判を押すまで寝かせないというものである。
 どうやら「寝かせない」という洗脳方法は、シェイクスピアの昔からある伝統的なテクニックのようだ。

 ところで、洗脳ということで必ず思い出されるのが、パティ・ハーストの事件である。反社会的な団体に洗脳され、すったもんだの挙句に保護されて再洗脳を施されて「社会復帰」したというその概要は、我が国の飯星某や山崎某のそれと同じなのであるが、パティの事件はこれらと一線を画している。というのも、彼女は《市民ケーン》のモデルとなったことで有名な新聞王、ウィリアム・ランドルフ・ハーストの孫娘だったのである。
 新聞王ハーストの壮大なる馬鹿人生については第9章で詳述したのでそれに譲るとして、本章ではその孫娘パティの、これまた馬鹿な人生にスポットをあてることにしよう。大富豪の御令嬢のじゃじゃ馬がどのように調教されたのか。そして、いったい何をしでかしたのか。さらに、彼女の「社会復帰」がどのようなものであったのか。
 それは、とても間抜けなものであった。



 1974年2月4日、一人の娘が誘拐された。新聞王ハーストの孫娘にして、《サンフランシスコ・エグザミナー》紙社長ランドルフ・A・ハーストの三女パトリシアである。バークレー大学に通う19歳の彼女は、大学講師を勤める婚約者、スティーブン・ウィードとの同棲生活を送るため、親元から離れて大学付近のアパートメントに引っ越したばかりだった。この新居に銃で武装した二人組の暴漢が現われた。婚約者は張り倒されて気絶、その間にパティは車のトランクに閉じ込められて連れ去られた。

 誘拐団からの犯行声明を受け取ったのはサンフランシスコのラジオ局だった。彼らはシンバイオニーズ解放軍(以下SLA)を名乗り、パティの肉声を収めたカセットテープも添えられていた。

「わたしはちょっとすりむいたけどだいじょうぶです。かぜもひきましたがお薬をくれました。わたしは武器をもった人たちといっしょにいます。でも、わたしにはとても親切にしてくれます。安心してください」。

 SLAは西海岸ではちょっとは名の知れたテロリストだった。リーダーはドナルド・デフリーズ。30歳の黒人で「陸軍元帥サンク」を自称していた。1830年代の奴隷船反乱の首魁の名からの引用だ。しかし、彼の素性は脱獄者。なんのことはない、SLAは政治団体とは名ばかりの単なる犯罪者集団だったのである。
「陸軍元帥」の最初の標的はマーカス・フォスター。カリフォルニア州オークランド市で教育委員会の委員長を勤めていた彼は、1973年11月6日、以下の理由で処刑された。
 学校警察班の設置の提案。
 児童の身分証明カード制の導入。
 少年犯罪の減少を目的とした教師、警察、保護司相互間の協力の推奨。
 なんだこりゃ。いずれも犯罪大国アメリカとしては已むを得ない正当な主張じゃないか。たしかに自由主義、個人主義の観点から行き過ぎの感も否めないが、アメリカの現状を考えれば無茶な政策には思えない。
 どうやらSLAの同志たちは、自分たちに都合のいい「犯罪国家」を築き上げたかったようだ。
 明けて74年1月10日、フォスター殺しの容疑者であるSLAの同志2名が逮捕された。そして2月4日、パティ・ハーストが誘拐された。誘拐の目的は客観的には明らかだった。案の定、「陸軍元帥」は同志の釈放を要求してきた。そして、パティの父君には、なんとも風変わりな命令を下した。
「カリフォルニア州の貧民6万人に、それぞれ70ドル分の食料を与えよ」。
「陸軍元帥」は貧民どもの英雄になりたかったのだろうか。しかし、それにしても法外な請求である。単純に計算しても経費は400万ドルを越える。いくらハースト家が大富豪とはいえ屋台骨が傾きかねない。しかし、パティは平気である。

「パパ、ママ、この人たちの要求は、私には無理なものには思えません。だって世界中の人に食べ物をあげろと言っているのではないのですもの。ですから 速やかに指令を実行しなさい。さすれば、すべてはうまく行くでしょう」。

 パティの我が儘ぶりは相変わらずだったが、彼女の口調には確かに変化が現われていた。