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 コリン・ウィルソン著《世界不思議百科・総集編》によれば、「ゾンビ事例」を初めて欧米に報告したのは、黒人の人類学者ゾラ・N・ハーストン女史である。彼女の記録によれば、1936年10月、アーティボナイト地区を裸でさまよっている女性が保護された。名はフェリシア・フェリス・メンター。彼女は1907年、29歳の時に死亡し埋葬されていた。病院で療養中の彼女を訪れたハーストン女史は、その時の模様を「眼は死んで顔は無表情、まぶたは酸で焼いたように真っ白だった」と述べている。
 なんとまあ、フランシーヌの場合とそっくりではないか。

 アルフレッド・メトローが著書《ヴードゥー》の中で紹介する事例は、まるでよく出来た怪談である。
 ハイチの或る上流階級の男の車が故障した。彼は近隣の家に助けを求めた。その家の主人たる老人はヴードゥーの呪術師だった。男が呪術について疑問を述べると、老人は気分を害した様子で、
「お前さん、セレスタンという名の男を知っているかい?」。
 セレスタンは上流階級でも名の知れた男だ、
「ああ、知っているよ。しかし、半年前に死んでいる」。
「そう。たしかに死んでいる」。
 そう云うと老人は持っていた鞭を鳴らす。すると奥から一人の男がよろよろと現れた。彼は我が眼を疑った。その白痴のような男は、なんとセレスタン本人ではないかッ。
「セレスタンは呪いで死んだ。呪い殺した呪術師は、こいつを私に12ドルで売ったんだ」。

 こうした「ゾンビ事例」は、これまでは単なる迷信として片付けられていた。しかし、今日では科学的に証明しようとする者が現われている。その代表格がアメリカの人類学者、ウェード・デイヴィスである。


 デイヴィスを調査に駆り立てたのは、1980年に起ったナルシッスの事件であった。
 1962年、ハイチの農民クレールビウス・ナルシッスは地元の病院に高熱のために入院した。治療の甲斐なく2日後に死亡。その翌日に埋葬された。それから18年後の1980年、一人の男がナルシッスの妹に近づき、こう告げた。
「私はあなたの死んだ兄である」。
 詳しい事情は以下の如く。
「私は土地のことで争っていた男にゾンビにされて、売られて奴隷のように働かされていた。2年後、主人が死に、それから16年間、あてどもなく国中をさまよった。しかし、最近になってようやく記憶が戻り、こうして戻ってきた」。
 ナルシッスの身元は確認され、英国BBCはこの事件のドキュメンタリーを製作した。同年、ナルシッスが働かされていたハイチ北部で「ゾンビ」の集団が発見され、彼の証言の真実性が証明された。

 早速、ハイチに渡り調査を始めたデイヴィスは「ゾンビ」は「死者の蘇り」ではないことを確認した。彼の調査によれば「死者の蘇り」のように見えるトリックは以下のようなものであった。
 依頼に基づき、呪術師はターゲットに毒を盛る。この毒は、フグの毒だとも、ダツラという花からとれるアルカロイドの一種だとも云われている。いずれにしても、服用した者を仮死状態に陥れる猛毒である。死に至らしめず仮死に留まらせる処方のテクニックが、呪術師の呪術師たる由縁であろう。代々伝わる秘伝というやつだ。ハイチあたりでは検視もいい加減なようで、仮死状態の者は死亡と診断、埋葬される。後日、呪術師が墓を暴き「死体」を持ち去る。そして、解毒を施し、蘇生させる。この際、犠牲者には別の薬物が投与される。知性を白痴のレベルに保つ薬だ。この蘇生の儀式はヴードゥのしきたりに乗っ取って行われる。この儀式によって犠牲者に「ゾンビ」としての自覚が芽生えるという寸法。かくして哀れ犠牲者は「生きる屍」と化し、闇のルートを通じて売られていく.....。
 デイヴィスは以上の調書を《the Serpent and the Rainbow》として出版(85年刊)、ベストセラーとなる。88年にはウェス・クレーブンにより映画化されたので(邦題は《ゾンビ伝説》)、これを観たという方もおられることだろう。