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 では、ハイチでは何故このような技術が発達してしまったのか?。
 その答えは、ハイチという国の暗い歴史と密接に関連している。
 西インド諸島のハイチは、1492年にコロンブスにより発見された。入植したフランス人は、アフリカから連行した黒人奴隷をこき使い、この地に広大な砂糖きび農場を開墾した。
 奴隷たちは想像を絶する惨い仕打ちを受けた。逃亡者は木に吊るされて、耳から釘を打ち込まれた。あるいは、体中に糖蜜を塗られて、蟻が喰うにまかされた。肛門に爆薬をつめて着火するという凄まじいものもある。こんな大残酷にもめげず、奴隷たちは機会があれば逃亡した。そして遂に、一部の山岳地帯には白人禁制の暗黒部落が形成されるに至った。
 奴隷たちの報復が始まったのは1740年に入ってからである。まず家畜が、次いで白人たちが大量に毒殺された。殺人結社への怯えから、1790年にはフランス支配の体制はほとんど壊滅状態に至る。ナポレオンの武力介入でなんとか持ちこたえたものの、1859年には黒人政権に支配を譲る。しかし、毒薬を自在に操る殺人結社の暗躍は以後も続いた。
 以上から判るように、ヴードゥの原形は対白人支配の殺人結社だったのである。だから、必然的に「呪い」に重点が置かれ、「呪い」を支えるために毒殺の技術が進んだ。そして、その副産物としてゾンビ化の技術が発達した、というわけなのである。


 以上のような歴史を引きずっているわけだから、ゾンビ化の儀式は本来は「悪事に対する懲らしめ」であった。いわば「必殺仕事人」のようなものである。事実、前述のナルシッスは、土地を巡る争いではなく、悪事の代償としてゾンビにされたらしい。彼はいわゆる女ったらしで、いたるところに私生児を作り、しかもその養育の一切を拒んでいた。
 ところが、最近では「私欲」のためにゾンビ化が為されることが増えてきた。冒頭のフランシーヌの場合がその典型である。彼女は婚礼の晩に毒を飲まされ、花嫁衣装のまま埋葬されたが、それは婚約者が彼女の持参金着服を企てたために引き起こされた悲劇であった。

 とまあ、これまで「ゾンビ事例」がさも事実であるかのように書いてきたが、ウェード・ディヴィスの説も事実だと証明されたわけではない。追試した研究者によれば、「ゾンビ」を検査したところ、まったくの別人だったりとか、単なる精薄だったりとかしたらしい。
 とにかく、ハイチというところはかなりアバウトなお国柄らしく、町をウロつく精薄が死んだ親族に似ていると「生き返った」とか云って、勝手に連れて来ちゃうのだそうだ。
「ゾンビ事例」も結局「なんでもなかった」ってことなのかも知れないが、私はディヴィスの調書が真実であると信じたい。その方が、夢があって面白い。


【参考資料】
*《世界不思議百科》ワールドフォトプレス編(光文社)
*《世界不思議百科・総集編》コリン・ウィルソン(青土社)
*《新トンデモ超常現象56の真相》(太田出版)
*《さばおり劇場2》いがらしみきお(講談社)