日本に「キリストの墓」が存在することを知ったのは10歳の頃、少年少女集英社文庫《世界の謎と怪奇》を読んだ時のことである。 《昭和の初め、茨城県の皇祖皇太神宮という神社から、キリストはゴルゴダの丘で磔になったのではなく、死んだのは身代わりになった弟のイスキリで、キリストは日本に来て108歳で死んだ、というようなことを書いた古い文書が見つかった。場所は青森県三戸郡新郷村。昭和10年、皇祖皇太神宮の調査隊は新郷村に出発、村の小高い丘の上に塚を見つけ、これこそキリストの墓に違いないと判断を下した》。 《キリストの墓とされたその塚は、代々沢口家が守ってきた。この沢口家の家紋は星型で、古代イスラエルの王ダビデのマークとよく似ている》。 |
《皇祖皇太神宮は茨城県北茨木市にある。この神社が有名になったのは昭和の初め、神社に古くから伝わる謎の御神宝と古文書を世に発表したからで、キリストの来日を記した記録もこの中にあった。これらの古文書は、もとは神代文字(漢字が中国から伝わる前に日本にあったとされる表音文字)で書かれていて、そこには空飛ぶ舟などUFOを思わせる記録もある》。 この記述は間違っている。皇祖皇太神宮が有名になったのは、御神宝や古文書を発表したからではない。これらの発表が不敬罪に該るとして起訴されたからである。 |