―― 『あ・・・あの!新選組の方ですよね!?』

―― 『?はい、そうですが・・・・』

―― 『これを!これを渡して下さい!お願いしますっ!』

―― 『これって・・・え!?ちょっと、貴女!・・・・・・・・行っちゃった』















無自覚と自覚の狭間















会津藩お預かり、新選組の屯所である八木邸の一室で桜庭鈴花は眉間に皺を寄せて深々とため息をついていた。

「一体、私にどうしろって言うの・・・・」

途方に暮れた、という感じで呟く鈴花の手の中で所在なさそうに弄ばれているのは、一通の文。

さほど厚みもなく、読むのに難解という感じもさせていないその文を鈴花が受け取ってしまったのはつい数刻前、街へお使いに出た時の事だ。

使いを済ませて気楽な気分で壬生への帰り道を辿っていた鈴花の前に一人の町娘が躍り出てきて、戸惑う鈴花の手に押し込んでいった手紙。

思い詰めた少女の様子から、さすがの鈴花でも手紙の内容はわかった。

十中八九、恋文だ。

(まあ、それは別にいいんだけど。池田屋の事件があって以来、新選組の株が上がってるみたいで、町の人の目も変わってるし。)

実際、隊士の中でも町娘に文をもらっている者がいる事も知っている。

しかし、しかしだ。

問題はこの文の上に楚々とした字で書かれている宛先の名前だ。

美しい字できっちり四文字。

―― 斎藤一様

「・・・・勇敢なお嬢さんだわ。」

思わず鈴花が呟いてしまったのも無理はない。

この個性溢れる新選組の中でも、もっとも恋愛事に縁遠い人物を一人上げろと言われれば鈴花が真っ先にあげる人物は間違いなく斉藤一なのだ。

(・・・・確かに斎藤さんは格好良いけど。)

無駄のない身のこなし、漆黒の髪に、切れ長の目が鋭い光りを常にたたえている青年。

片目を覆っている事さえ見る人が見ればかっこよく見えるに違いない。

―― だが、だがしかし、斉藤一である。

(・・・・無口だし、何を考えてるのかわかんないし、剣は天才なんだってのはわかるんだけど、とてもじゃないけど恋愛なんてしそうにない人なのに・・・・)

だいたい独り身の若い隊士達が遊郭のきれいどころの話をしていようが、下ネタで盛り上がっていようが我関せずの無関心な人なのである。

(永倉さんみたいにしょっちゅう島原〜島原〜って言ってるのもどうかと思うけど、あんまり無関心だとそれはそれで変なのよね。)

そんな相手に自分が書いたものではないとはいえ恋文を渡すなんて、うっかりしたらばっさりやられそうな気がする。

「・・・・さすがにそれは冗談としても、渡しづらいよね。」

はあ、と鈴花がため息をついた ―― 瞬間

「何が?」

「!?」

思いも寄らない近くから自分でない声がして、鈴花は声にならない悲鳴と共に飛び退いてしまった。

そして今まで自分が居た場所のすぐ側に座っている人を確認してさらにぎょっとする。

「さ、斎藤さん!?」

「器用な飛び退き方だな。桜庭。」

「そ、そ、そんなことはどうでもいいんです!なんで人の部屋にいるんですか!?」

とっさに手に持っていた手紙を後ろ手に隠しながら非難するが、斎藤は一向に意に介した様子もなく。

「お前宛に文が届いた。」

「は?なんで斎藤さんがそれを運んでくるんですか?」

そういえば前にも持ってきてくれた気がすると思い出したが、しかし斉藤は新選組幹部である。

いわば重役にあたる彼がなんでわざわざ平隊士の鈴花の手紙の配達なんていう雑用をしているのか。

感謝より先に疑問が先に立ってしまった鈴花に斎藤はさらっと答えた。

「届けたかっただけだ。気にするな。」

あまりにさりげない口調に鈴花は「あ、そうですか」などと返してしまった。

・・・・届けたかった、という言葉に多大に斎藤本人の意志が働いているという重要事項には気がつかないまま、鈴花は話の本題に立ち戻る。

「とりあえずありがとうございます。でも今度から声もかけずに入ってくるのはやめて下さいね?」

「声はかけたぞ。」

「え?」

「かけたが返事がなかったので入った。何かに気でも取られていたのか?」

そう聞かれて鈴花はぎくっとする。

確かに考え込んではいたが、まさか「貴方への恋文の処遇に困ってました」とは言えない。

「え〜っと、その、すみません。気を付けます。それと、手紙下さい。」

「ああ。」

誤魔化すように矢継ぎ早に言われて、斎藤は持っていた文を鈴花に差し出す。

その態勢を見た瞬間、鈴花の頭にきらっと名案が光った。

(今なら!)

思いつきは一瞬、実行は迅速に。

鈴花は斎藤が差し出した文をその手から抜き取ると、引っ込められる前に目にもとまらぬ早さで後ろでに隠していた例の手紙を突っ込んだ。

「?」

「斎藤さん宛です。」

なくなったはずの紙の感触に僅かに不思議そうにする斎藤と極力眼を合わさないようにして、鈴花はしれっと言った。

「俺に?・・・・お前が書いたのか?」

「あ、いいえ!違います。街で預かったんです。」

「預かった?誰に?」

「えーっと、十七、八の娘さんです。」

そう言った途端、斎藤の肩がぴくっと動いた事に鈴花は気がつかなかった。

ただ何となく恋愛とは縁遠そうな斎藤に恋文の配達などをしてしまった気まずさを誤魔化そうと、無意識に言葉を重ねる。

「なんだか思い詰めた様子で私にこれを渡してくれって言って来て。でもとっても綺麗な人でしたよ〜。薄紅の着物がすごくよく似合う人でした・・・・」

私なんかと違って ――

                                      ―― ズキッ

(あ、・・・あれ?)

思いがけず胸を掠めた痛みに鈴花は心の中で首をかしげた。

(女らしくないなんて当たり前なのに。別にその事を悲観してたりしてないはずでしょ・・・・?)

誰かの為に剣を振るうことは鈴花の誇り。

そのために女らしさが失われようとも後悔はしないし恥もしない、それが自然だったはずだ。

しかし鈴花が疑問に答えを出すことはできなかった。

スッと音も立てずに斎藤が立ち上がったからだ。

「?斎藤さん?」

何も言わずに斎藤が立ち去ろうとする姿に鈴花は驚いて立ち上がる。

「さいと・・・・」

「桜庭」

振り向きもせずに斎藤が言った自分の名に鈴花は思わずびくりと震えた。

いつもの感情が読みにくい彼の口調とはまた違う、恐ろしく固い声だったから。

まるで何も感情などないかのように。

「・・・・手間をかけさせた。すまない。」

何も感じさせない平坦な声。

それでありながらきっぱりと鈴花を拒否しているような口調に何も言うことが出来ず、鈴花はただ斎藤が障子を閉めて去っていった後も呆然とその後ろ姿を見送った形のまま立ちつくしていた。

「な・・・によ・・・・・」

ぽろり、と一人になった部屋に声がこぼれ落ちる。

途端に何とも言えない感情が吹き上がるように胸に満ちて鈴花は唇を噛んだ。

「な、何で私に怒るの!?別に恋文渡されたのは私のせいじゃないのに!」

―― チガウ

心の中で否定する声がして、鈴花は強く頭を横に振った。

分かってる、斎藤の態度がおかしかったからこんな感情が湧き上がってるわけじゃない。

「でも・・・だけど!なんで私がこんな思いっ!」

吐き出すように叫んでも体中に凝った何かはスッキリしない。

何だか分からない。

猛烈に腹が立っているような、それでいてとんでもなく悲しいような、ごちゃ混ぜにしてもまだ足りない。

「私は頼まれた事しただけじゃない!」

綺麗な町娘に頼まれて、恋愛ごとに縁のなさそうな斎藤に一生懸命渡して・・・・

                                              ―― ズキッ

「っ!・・・・知らない・・・・知らない!!斎藤さんの馬鹿ーーーーー!!!」

荒れ狂う感情を無理矢理追い払おうとするかのように鈴花は我知らず、手にあった物を近くの長持ちに投げつけて・・・・

「おい、さくら・・・ぅっっ!!」

「・・・・あ」

鬼副長こと、土方歳三の顔面にヒットした照姫様から鈴花への手紙は、鈴花の末路を表すように、へろりと床に落ちたのだった。