Tame event4 「納得のいく生き様」



―― 慶応四年

鳥羽伏見の戦いにおいて賊軍とされた旧幕府軍は、江戸に帰り着くもそこでは意見が二分していた。

官軍となった新政府軍に恭順し、江戸を守ろうとする勢力と徹底抗戦を叫ぶ勢力。

新選組は後者に属したが、やがて勝海舟を中心に前者の意見が優勢となり徹底抗戦を叫ぶ勢力は徐々に戦場を移さざるをえなくなる。

同年四月。

新選組局長、近藤勇が板橋にて捕らえられ斬首。

捕縛に従った野村利三郎と助命嘆願のために捕らえられていた相馬肇は、近藤の訴えにより放免となる。

翌明治元年。

土方を含む旧幕府軍は箱館五稜郭に入場。

蝦夷地新政権として、真っ向から明治政府に喧嘩をふっかけたわけである。

土方は陸軍奉行並となり、その傍らに相馬肇と野村利三郎は当然のように付き従った。

そして

明治二年。

前代未聞の計画が蝦夷地新政府の中で決定される事となる ――
















「軍艦を乗っ取る!?」

最初にその計画を相馬に聞かされた時、さすがの野村も目を剥いてしまった。

幸い割り当てられている部屋だったので、大きな声を出しても誰にも聞きとがめられる事はなかったが。

そんな野村の反応も予想済みだったのか、相馬はさして表情も変えずに頷いた。

「ああ。薩長軍が手に入れたという新型の軍艦の事ぐらいはお前でも聞いているだろう?」

「えーっと、あれだろ?あの外側が全部鉄でできてるってやつ。」

「そうだ。甲鉄鑑という、米国から買った船らしい。薩長の誰が提案したかは知らないが、内部から強い要望があって買ったらしいが、あれがあるとこちらとの海軍力に差が出すぎる。」

苦々しそうに相馬が言った意味を受け取って野村も眉を寄せた。

確かに明治政府側が蝦夷地新政府を警戒していた最たる理由は、開陽丸を含むこちらの海軍力にあった。

ところが開陽は先日蝦夷独特の風浪にやられて江差沖で座礁沈没してしまったのだ。

そこへ明治政府が甲鉄鑑を手にいれたという情報が舞い込めば、自然と焦りも生まれただろう。

「けどさ、乗っ取るって難しくないか?」

「ああ、だから最初は甲鉄を破壊するという案が出たんだ。海軍の甲賀さんが弾頭に鉄を使って装甲を打ち抜く弾丸を開発したからと。」

「へえ〜、すぜえな。」

「・・・・だが、せっかくの甲鉄鑑だ。破壊するのは惜しいから、乗っ取ってしまえばどうか、という案がニコールさん達から出た。」

「あの外国の人たちか。さすが、考えることが違うよなあ。」

「アボルタージュ(接舷襲撃)というらしい。」

「あぼるたーじゅ・・・・なあ、それってどうやんだ?」

さっきのおどろきはどこへやら、子どものように目を輝かせて聞いてくる野村に相馬は少し顔をしかめた。

「野村、お前少しは緊張感とかないのか?」

「え?ないとだめなもんか?」

「・・・・・・・・・もういい。」

野村と出会ってはや五年はたつが、いいかげん繰り返し慣れてしまったやりとりに、相馬は軽くため息をついた。

もちろん、その反応にも慣れっこになっている野村はまったく怯むことなく話の続きを催促する。

「で?どうするんだって?」

「簡単に言えば回天、蟠竜、高雄の三隻で出撃して、蟠竜と高雄で甲鉄を挟み込んで甲板から乗り移り襲撃する。回天はその援護だ。」

「うお、すげえな。斬り合いで軍艦を乗っ取る気かよ。」

「まあ、そういうことだな。」

「いいな、それ。俺たちらしい戦い方じゃねえ?」

頷きながらそう言う野村に、相馬は少し驚いた顔をして・・・・それから僅かに笑った。

「確かにその通りだな。ところで、野村。」

「ん?なんだよ?」

「お前、この作戦に参加するつもりか?」

「?どういう意味だ?」

相馬の問いかけに野村は首を捻った。

そんな野村に相馬は真剣な目を向ける。

「俺は局長を守りきれなかった。けれどまだ土方さんがいる。あの人に付き従って戦う事になんの躊躇いもない。例えそれで死ぬことになろうともだ。
・・・・だが、お前は心残りがあるんじゃないか?」

暗に含められた次の作戦への危険度と、相馬の気遣いに野村は笑った。

ただ、笑った。

野村らしい、裏も表もないからりとした顔で。

そして相馬に視線を合わせてきっぱりと言った。

「ないぜ、心残りなんてさ。」

そう言った言葉は野村自身の中で今や完全な真実だった。

近藤と一緒に捕らえられ、牢の中で彼の処刑を聞いた時、野村は抱いていた何か大切な物の一つが崩れ落ちた気がした。

近藤を助けることができなかったと悔し涙を流す相馬の横で、彼の背を叩きながら崩れ落ちたその気持ちを抱きしめた。

それはおそらくは一つの道の亡骸だったのだろう。

新選組に属し、局長の信念に添って走り抜けてきた道の。

その残骸を唇を噛んで受け止めたあの日から野村の道はたった一つになった。

それはいつか鈴花にだけ打ち明けたことのある決意。

『相馬を生きて倫さんの元へ帰す』

(だから、お前のいる戦場にいなくちゃ何の意味ねえんだって。)

言葉には出さずに胸の内だけで呟いて、野村は威勢良く相馬の背中を叩いた。

「なんだよ!んな、辛気くさいことばっか言ってると老けちまうぜ?そうでなくても相馬は老け気味なんだからさ。」

「!野村〜」

「ははっ!」

口許を引きつらせる相馬から逃げるように笑いながら野村は部屋を飛び出した。

途端に冷たい空気に包まれて、野村は身震いした。

「さっみいな〜」

暖房設備をつけた部屋の中ならともかく、廊下では真冬の蝦夷の空気がどこからか忍び込んできてしまう。

暖かい飲み物でももらおうか、と賄所へ向かいかけて野村はふっと窓の外に目をやった。

そこには見飽きたほどの白い白い一面の雪景色。

その白さと、独特の厳しさのようなものに、いつも胸の奥にしまっている面影が浮かんで野村は口許を少し緩めた。

(倫さん)

『はい?なんですか?・・・・お昼なら奢りませんよ。』

脳裏に蘇る幻の声にさえ余計な一言がついてきて、野村はくっくっと笑った。

(俺に心残りがあるとすれば、もう彼女に会えないって事ぐらいかな。)

ちくり、と胸が痛むことにはもう慣れた。

けれど、それでいいと決めたのは自分で、その事になんの後悔もない。

だから。

「もう少し、待っててくれよな。」

―― もう、あんな風に二度と泣かなくてもすむように。

微かな野村の囁きは誰にも届くことはなく、ほんの少しだけ浮かんだ彼らしくない切なそうな表情も雪の他に見たものはいなかった。















明治二年、三月二十五日未明。

宮古湾に停泊している明治政府の軍船、甲鉄の船室の一つに夜中にもかかわらず灯りがついていた。

トントンッ

船室のドアを叩く音にその部屋の主 ―― 志月倫は顔を上げる。

軍という男所帯に一人の女である倫は警戒するように言われているが、時間が時間だけに倫はあっさりドアの鍵をあけた。

そして予想通りの人が予想通りの表情をして立っていたことに少しだけ苦笑する。

「夜更かしですね、庵さん。」

「その言葉、そっくりそのまま返せそうだが?」

渋い顔のままそう言った庵に少し困った顔をしつつ、倫は彼を船室に通した。

「その、夜更かしじゃなくて早起きです・・・・なんてどうですか?」

「屁理屈を相手に聞くんじゃない。そういうものは陸奥君のように押し切って初めて力になるものだ。」

「・・・・まあ、そうですね。」

懐かしい屁理屈の権化の手法を思い出して納得したように頷くと、庵に小さくため息をつかれてしまった。

「眠れないのか。」

「・・・・そういうわけではないです。」

微かに首をふって倫はそう応えた。

嘘をつくな、とでもいいたげな顔をされたが倫にとっては嘘ではないからしかたない。

眠れはするのだ・・・・ただ夢を見てしまうだけで。

それが良い結果の夢であろうと、最悪の結果の夢であろうと同じ事だった。

野村の出てくる夢を見ては飛び起きる、ただそれが習慣付いてしまっただけだ。

「寝てはいますから、心配しないで下さい。」

そう言いきった倫に、庵は一瞬なにか言いたそうな顔をして、それからすぐに目線をそらした。

その目線を何とはなしに追って、小さな船室の窓へ行き着く。

その向こうには濃紺の闇が広がっているばかりだった。

黙り込んだ船室には船体にあたる波の音が響く。

(・・・・この音にも慣れたな。)

物心ついた時には京の島原にいた倫はいままで小さな手こぎ船はともかく外洋を行くような船という物に乗ったことはなかった。

それが鳥羽伏見の戦いからこちら、幕府側の勢力と抗戦を続ける庵について何度となく軍船に乗った。

けれど、まだ倫は一度もその目的を達してはいなかった。

(野村さん・・・・)

心の中で呼びかけるのがくせになってしまった名を、倫は無意識にまた呟く。

庵について戦場に出るたび、その姿を探してしまう。

会えば斬り合わなくてはいけないとわかっているのに。

一度、近藤勇が捕まったという知らせを受け同じ時に野村もまた捕縛されたと聞いた時には全身が凍り付いたかと思ったが、その後釈放されたと聞いて崩れ落ちるようにその場に座り込んでしまった事もあった。

立場的には完全な敵同士。

けれど、会いたい、会いたいと心が騒ぐのをどうしても倫は押さえられなかった。

(戦場でもいい。会えたら斬られたっていいから・・・・)

そんな事を思って、ふいに倫は庵に気づかれない程度に顔を歪めた。

(・・・・こんなことばかり思ってるから、夢を見るのよね。)

例えばそれは懐かしい花柳館だったり。

例えば新選組の屯所だったり。

例えば戦場だったり。

そんな風景の中で倫は野村を見つける。

言葉を交わすわけでもなく、ただ人の中から野村の姿を見つけると野村の方も倫に気が付いて。

そうして ―― 笑ってくれる。

倫が求めて止まない、あのくったくのない笑顔で。

大概、そこで倫はいつも目を覚ますのだ。

どうしようもない喪失感と、行き場のない愛おしさだけを痛烈に感じて。

(でも、今日の夢は違った。)

庵が訪れる前、浅いながらも眠っていた倫の夢の中で笑った野村は、言ったのだ。

―― 『もう少し、待っててくれよな』 ――

・・・・何故だか、酷く嫌な予感がした。

飛び起きた時には全身が汗だくになっていて、不安を振り払うように灯りを灯したのが先刻のこと。

(言葉だけなら、私の願いが見せたって思えるのに。)

そう、言葉だけなら再会を予感させる言葉だ。

それなのに、倫は酷く酷く不安になった。

「庵さん」

「なんだ?」

再び胸を押しつぶすような不安を感じて、それを振り払うように倫は庵に声をかけた。

「この先はどうする予定なんですか?」

「蝦夷の箱館へ向かう予定だな。あそこは湾になっているから、陸からの隊と連動して拠点である五稜郭を攻撃する事になるだろう。」

「そうですか。」

明治政府の間では開陽という最大の軍船を失った蝦夷政府をこの気に潰してしまった方が良いと意見で一致している事は知っている。

だとすれば、まもなく起こるその戦いは新選組にとって最後の戦いになる可能性が高いだろう。

何も言えず、倫は船室の窓に再び目を向けた。

少しずつ、ただの漆黒だった闇に青い海が戻りつつあるその景色を見て倫は呟いた。

「・・・・夜明けが近いですね。」

図らずも二重の意味を含んだその言葉に庵が頷いた、その時だった。

「左舷後方より日の丸を掲げた艦船が接近!!敵艦です!!」

「「!?」」

甲板から聞こえた叫び声に庵と倫はほぼ同時に立ち上がり、船室を飛び出した。

―― 夜明けはもう間近だった。