長月の青い空



長月の半ばを過ぎてなお、鹿児島の太陽は眩しい。

空を覆うように幾重にも生い茂る木々の間から零れるその光に目を細めていた別府晋介は、ふいに何かに気がついたように目線を地上へ戻した。

そしていつの間にかすぐ近くに来ていた男の姿をみとめて声をかける。

「半次郎さん。」

「こんなところにいたのか。探したぞ。」

「ごめん、ごめん。ちょっと空が見たくなってさ。」

晋介がそう言って肩を竦めると、半次郎は無言でその隣まで歩み寄った。

無造作に歩いているようでかさりとも音がしないその歩の進め方に晋介は少しだけ苦笑する。

「まったく、半次郎さんといると自分が弱くなった気がするよ。」

「?何の話だ?」

「なんでもない。それより探してたって、何かあったの?」

「ああ・・・・」

頷いて半次郎はさっきまで晋介が見上げていた空を仰いだ。

そしてそのままぽつりと言った。

「政府軍が城下まで来た。西郷さんは明日にはあの洞窟を出るつもりだ。」

「・・・・」

田原坂や熊本城の激戦で西郷の率いる軍の数はわずかになっている。

これから政府軍の総攻撃をうければ、もう生き残る術は無いに等しいだろう。

故に今の半次郎の言葉は死の宣告にも近い物であったが、晋介はただ頷いた。

「結構、頑張った方かな。」

「さあな。」

不釣り合いなほど軽やかな晋介の言葉に、半次郎は目線も戻さず呟く。

そして零れてくる眩しい光に少し目を細めた。

心地よさそうなその様を何とはなしに見ていて、晋介はふっと小さく笑った。

その声に半次郎が怪訝そうに目を晋介に向ける。

「どうした?」

「いや、ちょっと懐かしい事を思い出して。」

「?」

「大分前だけどさ、俺の顔をじーっと見て『やっぱり似てますね』って言った人がいるんだ。」

「それは俺とお前がか?」

「そう。その時はそんな事無いんじゃないかと思ったけど、今の半次郎さん見てたらちょっと俺に似てたかもしれない。あの時はからかってわるかったなあ。」

「からかった?」

「ああ。『俺の顔を見て半次郎さんを思い出すなんて酷いよ』って言ったら珍しく慌てちゃって、可愛かったな。」

『俺の顔を見て半次郎さんを思い出すなんて酷いよ』

『え!?あ、いえ、別にそういうわけではなくって、その・・・・』

なんて言ったらいいのだろう、と困ったように寄せられた眉。

首を傾げて揺れた色素の薄い髪。

困惑している瞳の色まで鮮明に思い出せる。

「・・・・倫さんか。」

ぽつりと半次郎が言った声が柔らかい。

「そう、倫さん。」

頷いて答えた晋介の声も、また。

チュピピピピ・・・・・・・ツツピピピ・・・・・・・

鳥の声を運んで風が吹く。

暖かく飾らない、そして心を揺らすこの風のような少女だったと偶然にも半次郎と晋介は同じ事を思った。

志月倫、という少女は。

年頃の少女にしては珍しく冷静で、飾ることを知らない娘ではあったけれど不思議な輝きを持っていた。

それは倫を知れば知るほどに目につくようになり、気がつけば彼女の僅かな感情にも心躍らせるようになってしまった。

ここから遠く離れた京の都にいるはずの少女。

花街にある道場という変わった場所で今日も変わらず稽古に励み、自分たちが起こしているこの戦の情報を知って心を痛めてくれているだろうか。

「・・・・ねえ、半次郎さん。」

「なんだ?」

「どうして、倫さんに好きだって言わなかったの?」

晋介の言葉に半次郎は珍しく驚いたように彼を見た。

開かれた目に一瞬の動揺が走るものの、半次郎はすぐにそれを綺麗に覆い隠して言った。

「こんな時に何を言ってる。」

子どもに言うように呆れた口調で言われた台詞は、この話はもう終いだと言外に告げていたけれど晋介は怯まなかった。

「こんな時だからさ。聞いておきたかったんだ。・・・・もしかして半次郎さんは知ってたの?」

「何をだ。」

「俺が倫さんを好きだって事を。」

「・・・・・」

半次郎は答えなかった。

けれど、沈黙が肯定であることは疑う余地もなくて晋介は苦笑した。

「なんだ、やっぱりそうだったんだ。」

もしかして、とは思っていた。

戊辰戦争で京を離れざるをえなくなった時、晋介は半次郎が倫を伴ってくるとばかり思っていたのだ。

けれど半次郎は一人で戦場に現れその後、東京、九州にいたる今まで倫と連絡を取っている気配もない。

恋仲になったという話は聞かなかったが、半次郎が倫を想っている事は一目瞭然だったというのに。

「馬鹿だなあ。」

思わず口をついてそんな言葉が出てしまう。

「言えばきっと倫さんはついてきてくれたのに。」

今となっては彼女の想いを知る術はないけれど、倫が半次郎の事を他の男達よりは尊敬し敬意を払っていたことは確かだった。

だから半次郎が好きだと言っていれば、きっと彼女はついてきただろう。

―― それで幸せそうな彼女の笑顔で自分の恋が終わるとばかり思っていたのに。

「・・・・だからこそかもしれぬな。」

「え?」

耳に届いた言葉に晋介が半次郎をみると、彼はさっきのようにまた空を見上げていた。

「お前がどうこうというより、彼女を巻き込みたくなかっただけかもしれん。確かにあの時点ではこうなるとは思っても見なかったが、戊辰戦争に連れて行けば彼女に必ず見せたくない光景を見せてしまうとわかっていたからな。」

誰よりも大人びていた少女だったから、これ以上彼女に辛い物は見せたくなかった、と。

半次郎が言った意味が少しわかって晋介も静かに空を見上げた。

ただ穏やかな場所でこの空を見上げて倫が幸せであってくれればいいと。

どう足掻いても血塗られた自分たちとは別の場所で幸せに。

それはなんと勝手な自己満足で ―― 悲痛な願いだろうか。

愛する少女を手に入れることさえ躊躇うような道をひた走って、結末はもう目の前に迫っている。

・・・・・・・ツツピピピ・・・・・・・チュピピピピ

風が吹く。

砲撃の音一つしないこの静けさが心の中をしみ通り、最後に残っていた物さえも攫っていく。

「俺、さ」

ぽつりと晋介は言った。

「もし、生まれ変わりなんてものがあって、次に生まれた時代が戦なんか無い時代だったら」

もしも。

そんなものは存在しないと言われるかと思ったのに半次郎は何も言わなかった。

もしかしたら、半次郎もまたその「もしも」を望む心を僅かに心に持っていたのかも知れない。

もしも。

もしも、そんな時代がくるのなら。

晋介は半次郎を見据えて、僅かに笑った。















「俺は半次郎さんが相手でも倫さんを奪ってみせるよ。あの人を俺の手で幸せにしてあげたい。」















「・・・・言うな。」

そう言って半次郎はくっと口角を上げた。

挑戦的なその笑みは半次郎が若い頃よく浮かべていたそれにとても似ていて晋介も笑いたくなる。

「無論、俺とてそのつもりだ。」

「へえ。今度は真っ向から戦ってくれるんだ。」

「お前こそ、変な遠慮はするなよ。」

晋介は軽く肩を竦める。

「その戦いに比べたら今の戦なんてどうってことないって気になってきたよ。」

「そうかもしれぬな。」

くくっと笑う半次郎は子どものようで晋介も思わず笑ってしまった。

その時。

ザアアアッ!

強く風が吹いて、頭上の木々を大きく揺らした。

重なっていた枝が揺らされて刹那、長月の空が二人の視界に広がる。

青く、蒼く。

突き抜けるような空と、目を灼くような太陽の光。

―― 『別府さん!中村さん!』 ――

愛おしい少女の声が聞こえたような気がして、半次郎と晋介は少しだけ顔を歪めた。

できるなら、この時代で出会った君を幸せにしたかった。

抱きしめて好きだと言いたかった。

・・・・けれど、叶わないならどうか幸せに。

「・・・・じゃあ、暴れるだけ暴れて大久保さん達に見せてやりますか。」

ことさら明るく張り上げた晋介の声に半次郎も頷く。

「ああ。薩摩隼人の意地を見せてやるまでだ。」

笑い合って二人は歩き出す。

チュピピピピ・・・・・・・ツツピピピ・・・・・・・

風が吹く。

鳥の声を運んで。

二人の男の声を運んで。
















―― 遠くで砲撃の音が聞こえた・・・・・




















                                                 〜 終 〜















― あとがき ―
鹿児島で城山を登りながら考えていたネタでした。
来世思考は江戸時代の町民の間では当たり前の思考だったみたいですけど、武士はどうなんでしょうね。

本当に転生したとしたら、はこちらから。