幸せは歩いてこない!
「神子殿、私の後ろに!」
怨霊の攻撃に頼久はあかねを庇う。
「っつ!」
「頼久さん、大丈夫?!」
あかねの悲鳴のような声に心配をかけまいと僅かに顔を向けて頼久は微笑んでみせる。
「神子殿がご無事なら私の事など構いません。」
「・・・・・」
一瞬、あかねの顔が曇る。
「?神子ど・・・」
「頼久!次が来るぜ!」
天真の声に今の状況を思い出した頼久は刀を構え治す。
「頼久さん、回復符です!」
もとの快活なあかねの声と共に頼久の体が光に包まれ、さっき受けた傷が癒される。
「はあっ!」
頼久の攻撃が怨霊の気を削ぐ。
「あかね、今だ!」
「うん!めぐれ天の声、響け地の声!彼の者を封印せよ!!」
カアアアアアアー!!
封印の布陣が輝き、怨霊を包み込んだ!
― やがて薄れた光の下に残された一枚の符。
それをそっと拾い上げて頼久はあかねに渡す。
「怨霊は封印されました。これでこの地の穢れも消えるでしょう。」
さすがは神子殿ですね、という意味を言外に持った言葉にあかねはいつものように照れたような
輝く笑顔を見せてはくれなかった。
ただ少し寂しそうな微笑みで、頼久から符を受け取った。
シュッシュッ
朝靄が僅かに残る時刻、頼久は刃で風を切りながら朝稽古を行っていた。
最近までただの習慣だった朝稽古だが、ここのところ軽快に刃が走るようになった。
夏が近づき空が青さを増したせいか、などと無骨者の自分にしては風流な事を考えたことに頼久は
苦笑する。
(嫌・・違うな。神子殿がいらっしゃるからだ。)
頼久はふとまだこの時間、夢の中にいるであろう主の少女を思った。
あかねが龍神の神子としてこの地に現れてから、そろそろ二ヶ月がたとうとしていた。
最初こそ見知らぬ世界に突然連れてこられ、自分に科せられた使命に戸惑っていたあかねだったが、
『四方の札』を取り戻していくうちにこの世界に慣れたのか、四神の呪いを解くべく奔走する今では突然
姿を消して八葉と藤姫の寿命を縮めるような事もやってのけるようになった。
(墨染で木の上から落ちてこられた事もあったな。)
その時の事を思いだして頼久はふっと心が温かくなるのを感じた。
あれはまだ桜が満開だった時期、兄の命日の墓参りに行くために墨染に出かけた頼久を
藤姫から話を聞いたあかねが追いかけてきてくれたのだ。
寄り道をしていた頼久より先についたあかねは何を思ったか木に登ってた。
そして頼久が兄の墓の前で喋り出したちょうどその時、落ちてきたのだ、頼久の上に。
反射的に抱き留めたからよかったようなものを、今思い出して血が凍る気がする。
しかし思わず涙目になる頼久をあかねは逆に慰めてくれた。
その後、兄の事まで話した頼久にあかねは自らも頼久の痛みを感じているかのように顔を悲しみに
歪めつつ、それでも「頼久さんが幸せにならなくちゃ、お兄さんきっと悲しむ」と一生懸命言い募った。
自分が今まで考えなかった事だった。
兄が何を願って自分を庇ったか、そんな当たり前の事すら自分が兄を死においやった罪悪感に覆い
隠されていた事に頼久はやっと気がついた。
その瞬間、自分を被っていた無色透明な世界という檻が崩れていく音を頼久は聞いた。
そして頼久の枷を取り払った一番光り輝く存在に言葉では言い尽くせないほどの愛しさを感じている
自分を自覚したのだ。
それからは自分でも戸惑うほどに急速にあかねに惹かれていった。
あかねが笑う姿を一番近くで見ていたい、辛い思いをした時、一番近くで支えになりたい・・・
しかしその想いを口にするわけにはいかなかった。
それは主に向ける想いとはまったく別種のものだったから。
ふとした瞬間に目を奪われ、名を呼ばれるだけで嬉しさに震える胸を忠義心で巧みに覆い隠した。
それでも彼には十分だった。
家臣としてでもあかねを一番近くで守れることには変わりないのだから。
(それにしても、昨日の神子殿はご様子がおかしかった・・・。何かあったのだろうか。
・・・今日、伺った時に尋ねて見た方が良いかもしれないな。)
頼久は今まで軽快に振り下ろしていた刀を腰の莢に納めると、手近に置いてあった手ぬぐいで流れた汗
を拭った
(そろそろ神子殿がご起床されるな。)
此処しばらく毎日共を申し出ていたために覚えた時間なので間違いはない。
頼久は支度のために一度家に戻ろうとしてふと、あかねのいる西の対を見やった。
そしてそこにいる最愛の少女を見たかのように切なげな溜め息をつくとさっと背を向けた。
― そこで一騒動起こっているなど、今の頼久に知る術はなかった・・・