貴方の腕の中
|
ずるいわよ。 私はちゃんとごめんねって言ったのに、なんで抱きしめたの? 後ろから、包み込むように。 その腕がいつものおちゃらけたあんたと全然違って、あんまりにも優しく切なくて・・・ その夜、眠れなかった・・・
ミリエールの事件が解決して一週間が過ぎたある日、メイはぼんやりと街を歩いていた。 国家の実権を握っていた大貴族が失脚し、一人の少女の運命が左右されたあの事件も一時、人々の口にさざ波のように広がったものの、今はもうすっかり忘れられたようになっている。 実のところ、実権を握っていた貴族が失脚したところで、民衆の生活が変わるわけではないし、今は隣国の動きという民衆にとっては切迫した問題が側にあるのだからそれもしかたがないことなのだろう。
しかしメイにとってあの事件は別の意味を持っていた。 それはあの事件に深く関わっていたもう一人の人物―筆頭王宮魔導士、シオン=カイナスのこと。 メイは飄々としたあのシオンに事件にすっかり巻き込まれ、結果的に彼の過去を知ることになった。 それはいつも人くったようにおちゃらけたシオンではなくひどく傷ついて今なお血を流し続ける傷を持つ一人の男で、メイの知らない人間のようだった。 だからシオンに自分の中にある沼にはまってくれないか、と言われた時、反射的に言ってしまったのだ。 『ごめんね。他にもっといい人捜してよ。』と・・・
その時、自分がどういう顔をしたのかシオンはわかっていないだろう。 口元は笑っているのに縋るような視線でメイを見つめていて・・・その瞳が痛くてメイは背を向けた。
瞬間、ふわっと花の香が香ったと思った。
気がついたら細い腕に抱きしめられていた。 ドクッと大きく心臓が鳴った。 でもきっといつものようにふざけているんだと思ったから、眉を寄せて肩越しに睨み付けた。 でもシオンの瞳は髪に隠れてて見えなくて・・・ 戸惑っているとすっと腕が離れて呆然と佇んでいるメイを追い越して歩きながらシオンは言ったのだ。 『俺は待ってるからいつでも来いよ。』 呆然とその背中が消えるまで呆然とそこに佇んでいたメイはやっと動こうとしてふと気がついた。 抱きしめられたその感触が残っていることに・・・
「ずるいよ・・・」 何が、なのかはわからないままメイはそう呟いていた・・・
それから一週間、メイはシオンに会っていない。 あんな事もあったことだし、なんとなく会いづらい気持ちはあったが、一刻も早くこのなんだかわからないモヤモヤした気持ちを消したくてメイはシオンの出没ポイントをお休みを多めにとって捜していたのに、いっこうに筆頭魔導士は姿を見せないのだ。 昨日など業を煮やしてシオンの執務室まで出かけてみたが、留守だと告げられた。
「待っているとか言ったくせになんでいないかな〜」 もういいかげんシオン探しにすっかり疲れたメイは前はよくシオンと遭遇した大通りをブラブラ歩きつつぼやいた。 (別に特別会いたいとかいうわけじゃなくて、会って普通に世間話でもすればこのモヤモヤした気持ちが収まるかな、と思ったのに。) メイが溜め息をついた、ちょうどその時だった。 前の人混みに見覚えのある・・・というかここ一週間捜していた群青色の髪が横切った。 (!あれはシオン!) メイはあわてて人混みをかき分けるようにして頭一個分飛び出しているシオンを追いかける。 しかしそういう時に限ってうまくいかないもので、人混みに推されるばかりでちっとも進めない。 (も〜イライラする!) イライラする。ファイヤーボールの一発でもかませばあっというまにおいつけるだろうが、100%犯罪だ(当たり前だ!) 「ちょっと待って!シオン!」 もどかしさにメイはとうとう大きな声で彼を呼んだ。 ちょっと恥ずかしいほどの大声だったが、狙い通りシオンは弾かれたように振り向いた。
琥珀色の瞳と枯葉色のそれがぶつかる。
―しかしほっとしたのも束の間、シオンがとった行動はメイの 予想をことごとく裏切ったものだった。 シオンは何も見なかったかのようにメイに背を向けたのだ。 「?!」 あきらかに自分の存在を認めた上での無視。 あっけにとられたように立ちつくすメイを一度も振り返ることもなくシオンは人混みに消えていった。
「なんなのよ!なんなのよ!!いつでも会いに来いっていったくせになんで無視されなきゃならないの!」 翌日、ふれたら一瞬にして炭になってしまいそうなほど怒りのオーラを背負ったメイは王宮の廊下を踏み抜かんばかりの勢いで歩いていた。 目的地はもちろん昨日自分を無視した王宮筆頭魔導士の執務室。 一晩かけて自分の悪かった所などを検討したメイだったが、確たる答えがでるはずもなく、いい加減苛立ったメイは朝一番にこんな思いをさせる原因に怒鳴りつけることに決めたのだ。
王宮の人々をおそれさせながら、やっとメイは目的の扉の前に辿り着いた。 ドンッドンッ! 自然に乱暴になるノックの音に帰拍子抜けするほど明るい声で返事は帰ってきた。 「おう、開いてるぜ。」 「お邪魔します!」 バタンっと乱暴に扉を開けたメイの目に飛び込んできたのは一週間前と変わらない飄々とした筆頭魔導士の姿だった。 「よお、元気そうだな。」 「元気そうだなって、あんた・・・」 まったく何もなかったような人くったような笑顔と言葉にメイは言葉を詰まらせた。 (何?なんでこんなに普通なの?) 頭の中に?を乱舞させるメイ。 「何してんだ?嬢ちゃん。なんか用だったんじゃないのか?」 「あ・・・うん。えっと・・そういえばしばらくいなかったけど、何してたの?」 なんだか昨日人混みで会ったのはこの目の前の青年ではなかったのではないか、という不安が浮かんできてとっさにメイは一番当たり障りのないことを口にした。 「お、気にかけてくれてたわけ?嬉しいね〜」 「べ、別にそういうわけじゃ・・で、何してたの?」 「残念だけどそいつは内緒。」 相変わらずのふくみのある笑い。 情景反射でメイはむっとして言いかえす。 「内緒ってなによ?」
「お前さんには関係ない事だからさ。」
間髪いれずシオンは硬質な声でそう告げた。 「嬢ちゃんの関わる事じゃない。わかったか?」 そう言う声が、視線が自分を拒んでいるようで、メイはこくっと頷いた。 「そう、いい子だ。じゃあ、もういいか?俺も仕事があんだよ。」 何か言おうとして、メイは失敗した。 中途半端に開いた口から零れたのは「じゃあ、またね」というありきたりな退出の言葉だけ。
パタン 後ろ手に執務室の扉を閉めたメイはなぜか動く事が出来ずに立ちつくしていた。 (・・・胸が痛い・・・) メイは制服の胸元をきゅっと握った。 シオンの言った『関係ない』という言葉、自分を拒む視線・・・ (私はシオンを拒絶したんだから・・・) 頭ではわかっている。 でも感情がついてこない。
ふいにふわっと抱きしめられた腕が蘇ってきて、メイは自分の手できつく自分を抱いた。
・・・本当はあの抱きしめられた感触が消えない。 シオンに会わなかった一週間、何度もあの腕に悩まされた。 何かしていてもを気を抜いた瞬間にまるで空気にシオンが溶けていて、その透明なシオンがあの時のように抱きしめたかのように包まれた感覚に戸惑った。 振り向けば瞳が隠れたシオンの顔が見えるようで何度も振り返ったしまった。 (この気持ちをなんて言うかぐらい私だってわかってる・・・) だから捜してた。 会えばまだあの時、手放したモノを取り返す事が出来るかもしれないと思って。 でも・・・
メイは顔を伏せてぱっと走り出した。 風のようなスピードで奇跡的に誰にもぶつからずに研究院の自室へと駆け込む。 ドアを閉めるのと同時に、メイはその場に崩れ落ちた。 「・・・もう、遅い・・・私、信じられないくらい馬鹿だよ・・・」 戻れるなら、あの夕日の時間に戻りたかった。 でも時間は戻せない。 手放したモノはもう手に入らない。 選んだのは自分だから、いくら後悔してもどうにもできないから。 それでも・・・ 「・・っく・・」 嗚咽を堪えきれずにメイはその場に突っ伏して、大声で泣いた・・・ |