―― 君の心が僕を呼ぶまで 抱きしめあえる日まで・・・・ 『・・・・・呼ばないで・・・・・』 一度も聞いた事のないような弱々しい声。 誰であっても抱きしめてしまいたくなるような声にシオンは唇を噛む。 目を開けたいのに指一本すら動かない。 『・・・・・呼ばないで・・・・・お願いだから・・・・・』 そんな風に拒絶しないでくれ、と心が悲鳴を上げる。 これ以上拒絶しないでくれ、と。 しかし声は紡ぐことをやめない。 『・・・・・呼ばないで・・・・・でも・・・・・』 「メイ!!」 悲鳴と大差ない声をあげて飛び起きたシオンはからみついた髪を掻き上げて息をはいた。 「またかよ・・・」 シオンは呻いた。 数日前からシオンを苦しめ続ける夢。 メイに呼ばないでと乞われる夢・・・・そしてきまって闇の中で飛び起きる。 たまらない、とシオンは大きく肩を落として片手で目を覆った。 くっくっくっ 「?!」 押し殺した笑い声にシオンははっと顔を上げた。 ―― そして初めて気付く。 今、自分がいる場所が己の部屋ではない事に。 否、海色に統一された部屋ではあるが、そこはシオンの部屋であってそうではない、どこか異質な空間だった。 しかしこの空間が異質であると決定付けているのは普段メイの座っている椅子にある人影、揶揄するような笑みを口元にはいた海の色を纏った青年 ―― 己の姿。 「誰だ、お前は」 「おやおや、切り替えの早い事だね。心は引き裂かれんばかりに痛んでいるだろうに」 シオンは無言で相手を見る。 その視線を受けて相手はくっと再びおかしそうに喉をならした。 「図星。でも同時に僕を探っている・・・そうだろう? 僕は何者か、ここは何なのか、そしていつ攻撃をしかけるか。」 「・・・・・・・・・・・」 黙ったままシオンが握りしめていた右手を降ろすのを見てとって相手は満足そうにうなずく。 「そう、それが正しい。じゃあ賢いシオン殿に教えてあげよう。 ここは彼女の夢の中。」 まるで歌うように言って彼は左手を振った。 瞬間、大きく空間が歪む。 絵に水を落としたように部屋が溶け、海色の部屋は濃い紫苑の闇に飲まれ・・・・後に残ったのはシオンと彼の姿を持つ者、そして1本の透明な柱。 その柱に抱かれた人影を見とめてシオンの唇から名がこぼれ落ちた。 「メイ・・・・」 そう、柱の中にメイがいた。 瞳を閉じ、うつむくように柱の中に立つ少女はひどく幻想的で現実味がない、まるで女神の像のようだった。 思わず1歩踏み出したシオンとメイを遮るようにシオンの姿をした者が柱の前に立った。 「僕の正体をまだ聞いていないよ、シオン。 ここは彼女の夢、そして僕はこの夢の守人。」 「お前は夢魔か!」 シオンの声に反応するように大きく闇が蠢き彼 ―― 夢魔の姿を切り裂いた! しかし2つに割れた夢魔は倒れることも、消えることもなくゆっくりと1つに戻る。 「まったく、物騒だなあ。僕は確かに夢魔と呼ばれる事もある。でも・・・・」 そう言ってすいっと柱を撫でる。 それだけで柱の表面に波紋が広がり、柱の中のメイが少し身じろぎした。 「少なくとも僕は彼女にとって僕は『魔』ではないよ。彼女が僕を呼んだのだから。」 くすっと笑って。 夢魔は柱に口付けた。 瞬間、メイがうっすら微笑んだ。 「ほら、彼女が必要としているのは夢。自分を包んでくれる夢だった。だから僕は彼女に呼ばれて夢を与えてる。」 「っ!」 噛みしめすぎた唇から一筋血が零れた。 現実では一瞬たりとも揺らがなかったメイの表情を揺らがせることができるのは夢だと、突きつけられた事が心を切り裂く。 「メイは強い少女だね。」 ふいに夢魔の声色が変わった事にシオンは目を上げた。 夢魔は柱の中の表情が消えたメイを見上げていた。 「本当に強い少女だ。強くて綺麗で・・・君はそんな彼女に惹かれたんだろう? でも・・・・」 シオンを振り返って夢魔は皮肉げに口の端を歪めた。 「彼女は夢に逃げた。」 「!」 「自分がこれ以上傷つく事を恐れて、夢に安住を求めた。自分の弱さに負けてしまった・・・・」 「違う!!」 叩き付けるようにシオンは夢魔の声を遮った。 「違う!メイは強いばかりの女じゃなかった。忘却武人に振る舞ってるように見えてちゃんと周りの連中を気遣ってる。いつでも自分の大事な人間が傷つかないようにそればっかり考えて・・・それを気付かないうちに必死にやっちまうような奴だった!」 そう、だから惹かれた。 ただ強いだけではなく、同時に優しさすら内包したメイだからいつの間にか彼女といるのが心地よくなって。 メイならばこの血にまみれた手すらとって、自分のすべてをなんの気負いもなしに受け入れてくれるような気がして・・・・ 「随分とよくわかっているんだねえ。」 嘘か本当かしれないが感心したような夢魔の言葉にシオンは虚勢だけでにやっと笑ってみせた。 「当然だろ?惚れてんだからな。」 「・・・・・じゃあ、シオン。賭をしてみないかい?」 「?」 訝しげに見やった夢魔は柱に片手を添えて言った。 「君がメイに呼びかけてみる。そして彼女が起きたなら彼女を現実に帰してあげよう。・・・・でももし彼女が起きなかったなら、その時は現実の彼女ごと夢にもらっていく。どうだい?」 「な、んだと・・・?」 とっさに意味を理解できずシオンは聞き返した。 しかし夢魔は肩を竦めただけで繰り返すことはしない。 「・・・・・なんで俺なんだ?」 「彼女を起こす最後のチャンスを与えられたのがって事?それは自分で考えるんだね。さあ、どうする?」 一歩、夢魔が柱から離れた。 シオンの前に残されたのは水晶の柱とそれに抱かれるメイだけ。 「どうする?」 夢魔の声が紫苑の闇に響く。 「・・・・・わかった・・・・・・」 憎らしいほど楽しげな夢魔の笑い声が賭の始まりを告げた。 足が自分の足でないような感覚を味わいながらシオンは柱へと歩き出す。 (おいおい・・・戦場でだってこんなに緊張した事はねーぜ) 自嘲ぎみに引きつらせた口元すら感覚が危うい。 柱に抱かれたメイはシオンが少し見上げる位置にその瞳を伏せている。 柱の元まで辿り着いたシオンは真っ直ぐにメイを見つめて口を開いた。 「メイ」 喉が引きつるように乾いていたことをその瞬間知る。 『・・・・・呼ばないで・・・・・』 微かな声にシオンはぴくっと肩を跳ね上げた。 「それは・・・無理だろ、メイ。」 『呼ばないで・・・・じゃないと・・・・』 「できない!俺は呼び続ける!」 シオンは大きく頭を振った。 「たとえお前が拒んでも、俺は必ずお前を呼ぶ。」 『どうしてよ・・・・どうして?忘れてよ・・・・』 「できると思ってんのか?!」 バンッ! シオンは力一杯柱に手を叩き付けた! 無性に腹が立ってたまらなかった。 さっきはあれほどあっさり揺らいだ柱が力一杯叩き付けても波紋一つもたたないことも、いつのまにか姿を消しているが成り行きを楽しんでいる夢魔の視線が・・・・一片も自分の想いをわかってくれないメイが! 「忘れる?!そんな事ができるんだったらこっちが教えて欲しいぜ。 どうやったら忘れられる?お前の事を。俺の事など目にも入れないお前を。 気が狂いそうなほどのこの想いを。 わすれられたらどんなに楽かと思うのに忘れることができない!」 ほんのわずか、柱の表面が波だった。 そのことに気付くことなくシオンは柱に縋るように両手をついて言葉を絞り出す。 「お前が見つめるのは俺じゃない。そのことに気づいてからもずっと・・・勝手に目がお前さんを探しちまう。だからわかったんだ。他の誰にも気付かれなかったお前の想いが・・・・お前の嘘が。 笑っちまうよな、お前が目一杯神経を使って嘘をついているのを俺はどうしようもなく見ている事しかできなかった。 だから俺は・・・・お前が俺の前で眠りについた時、本当はどこかで喜んでいた。 メイを守ることが、俺にもできると。 ・・・・心のどこかでお前が目覚めないことを、俺だけのものでいてくれることを望んでいたのかもしれない」 吐き捨てるように呟いてシオンはメイを見上げる。 その瞳には女神に懺悔をするかのように苦しげな決意が宿っていた。 ひどく、ひどく喉が乾く。 (それでも・・・・お前がいなくなることだけは耐えられない) シオンは僅かに目を閉じる。 今まで紡いだどんな言葉よりも己の想いを伝えられるように生まれて初めてシオンは女神に祈った。 そして目を開いたシオンはたった一言だけ言った。 「お前を、メイを愛してる」 『・・・・シオン・・・・!』 一筋、メイの瞳から透明な雫がこぼれ落ちた。 ピシッ 柱が軋む。 『シオン・・・・』 どんな言葉よりも雄弁に彼女の戸惑いを現す己の名にシオンはゆっくりとメイに両手を差し伸べる。 「メイ」 『シオン・・・あたし・・・・』 ピシッ・・・ピシッ・・・・ 「メイ、帰ってこい!」 『あたし・・・・帰りたい!』 パリイィィィィィィンッ!! 柱が砕け散った! 花びらが舞い散るようにこぼれ落ちる透明な破片の中、シオンはその両手に焦がれ続けた大地の色の少女を抱きしめる。 「メイ!」 「シオン!」 確かに耳を打った涼やかな声に心が震える。 その瞬間、舞い散る破片と共に周囲の闇が大きく歪んだ! 「うわっ?!」 「きゃああっ!」 シオンとメイの体が紫苑色の闇に飲み込まれる。 ・・・・どこかへ落ちていくような感覚の中でメイだけをしっかり抱きしめたシオンは意識を手放す寸前、耳を掠める小さな呟きをきいた。 『・・・・賭は君の勝ちだね、シオン。残念だったな・・・・』 ・・・・気がつけばそこは夢の空間ではなく、シオンの部屋だった。 少し目眩のする頭を振ってシオンはしびれるほどに抱きしめている腕の中を見やった。 そこに、夜明け近い薄明かりに照らされたメイがいた。 ふいにシオンは不安に襲われいまだに気を失っているらしいメイを揺する。 「メイ・・・メイ?」 「・・・・ん・・・・」 振動にメイが僅かに身じろぎして・・・・ゆっくりと目を開いた。 「・・・・シオン?」 寝起きの時のように幾度も瞬きをして、メイはシオンを覗き込む。 「シオン?どうかしたの?」 「あ・・・・いや」 彼らしくもない気の抜けたような返事にメイは首を傾げる。 「何?まさかあんた怪我でもしたの?」 あわてて起きあがろうとしたメイをシオンは抱きしめる事で押しとどめた。 「シオン?」 「別にどこも怪我なんかしてねーよ。・・・・ただお前の目に俺が映って・・・・」 「は?」 「だから!お前の目に俺が映って、それでやっとお前が起きたんだって実感したんだよ!」 大地の色の瞳に映った自分の姿を見た瞬間、襲ったのはいったい何と現せばいいのだろう。 愛しさと、嬉しさと、今までの辛さと、安堵と・・・・すべてが一気に襲ってきて口をきくことすら忘れるほどの感情。 それなのに腕の中の枯葉色の少女はあっけにとられたような顔を一瞬して、その後くすくす笑い出したのだ。 「メイ?!」 「ごめん・・・でもあんたでもそんな顔するんだなあって思ったらさ、つい・・・」 (こいつは!まったく・・・・) いままでの人生でだって考えられないような辛い思いをさせられたはずなのだが、この笑顔1つでどうでもいいような気がしてまう。 (ばかみてーな話だけどな) シオンは一つ溜め息をついて、やっと笑いを納めかけたメイを見つめて言った。 「おはよう、眠り姫様。」 「あ・・・・ありがとう」 あまりにやさしいシオンの言葉にさっと染まったメイの頬をシオンはとらえる。 そしてゆっくりと己の頬を傾け・・・・ずっと触れることのなかったメイの唇をやさしく塞いだ。 まるで初めて交わす口付けのようにぎこちなく触れるだけで唇を離した後、シオンは困ったような、どこか嬉しそうな笑みを浮かべてぽつっと呟いた。 「だめだな。やっぱりバランスがとれねー。」 「え?」 意味がわからず首を傾げたメイにシオンは小さくウィンクをして言ったのだ。 「俺の方がずっとメイを愛してるから。アンバランスなキスだな。」 〜 END 〜 |
― あとがき ―
強引?もしかしてかなり強引に終わらせた感じになっちゃいましたでしょうか??
あ〜〜、そう思われてしまったらごめんなさい〜〜。
いや思いっ切り前から考えていたエンディングではあるんですが、どうも筆力足らず
で。書きたいことが書き切れていないような状態になっちゃいました(><)
さんざんのばしといてラストがこれかよ、って感じですよね〜。
でもまあ、終わって良かったというのが正直な感想かも・・・
実はかなり「この先どうしたらいいんだ〜〜〜」と悩みながら、ほとんど丸一日かかっ
てこのエンディングを書いていたもので。
とにかくシオンにはラストのセリフを言ってもらわなくちゃならん!とそれだけを目標に(笑)
というわけでヘタレてはいますが、大方の予想を裏切らずハッピーエンディングとなりました。
あ、あとほんのちょこっとだけ続編がございます。
主役2人は出てきませんが、なぜいきなりシオンがメイの夢の世界に引きずり込まれる事に
なったかのわけぐらいはわかると思いますので、よろしければ読んでくださいませ。
続編を読んでくださる方はこちらからどうぞ♪
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