72年ぶりの 金砂大祭礼
幸い、以前(40年前)に通った母校(小学校)を通り抜け、小高い裏山を通って祭場の裏側に抜ける道を思い出し、どうにか田楽祭場に潜り込めた。兎に角、想像を絶する人出で、数百名は収容出来ると思われるスタンドはスズなりの状態。もう、これ以上入り込むのは、非常に危険な状況だった。
期待していた絶好の場所は諦め、気を取り直して舞台からかなり離れた所に場所をとった。
茅さんの生まれ故郷
生まれ故郷の茨城県久慈郡水府村で、実に72年ぶりに、金砂大祭礼が取り行われた。
祭りを司るのは、両神社「西金砂神社(金砂郷町)、東金砂神社(水府村)」の宮司、氏子が中心となり、五市町村地区が協力して行う。
9祭場で田楽舞を披露しながら、10日間の全日程(3.22〜3.31)を、平安時代や江戸時代の衣装をまとった人達が、大行列を行うものである。
私自身も水府村町生まれの為、祭りの応援参加を予定していたが、2月下旬に都合が悪くなり、直接の参加は見送ることになった。
とは言っても、平安時代から72年に一度行われる故郷の祭事を、この眼で確かめたくて、3月23日(日曜)に一観光客として祭りに参加した。
当日、水府村中染祭場近くの駐車場に着いたのが、午前7時半頃であったが、既に一杯になりつつあった。駐車場には何とか入れたものの、田楽祭場までの沿道には、沢山の人が溢れて居る。まともに進んでも何時に祭場に入れるか解らない状態であった。
金砂田楽祭は、「一本高足」で最終章となる。
飛ぶ回数が多と豊作になる。
3月23日水府村中染祭場にて
人出の様子<延べ94万人>
「旗持ち」
極めてロ−カル色の強い山村にもかかわらず、当日の人出が15万人という事に驚いてしまう。
これだけの賑わいは何なのか?・・・ふと祭りを見ながら、今、世の中のいたるところで「変わるべきこと」が強いられているが、同時に「守るべき大切なこと」の存在も又、非常に重要なことである事を感じさせる祭りであった。
そして、自分にとって”故郷の祭りと関わる事”が、具体的には何なのか?その時ハッキリとは掴まえる事が出来なかったので、できれば7年後の小祭礼に、今度は実際に参加して、その確かな答えを見つけようと思いつつ、故郷を後にした。
ティ・タイムへ M310topへ
この場所は、事前に良いアングルと思い狙っていた場所だが、既に沿道の観客に埋め尽くされていた。
行列が近づくと、更に人がふくれ上がり、殆んどのシャッタ−チャンスが奪われてしまった。
それでも、デジカメの倍率(望遠)を最大にして、何とか田楽舞最終章の写真を何枚かとることが出来た。
祭りのシンボル・50人で担ぐ 「神輿」
引っ張りだこの 「神猿」
受け継ぐ喜び 「稚児」 の大役
2003/4/12
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