1月6日、今年の仕事始めの日、会社のすぐそばにある有名な「えべっさん(今宮戎神社)」へ、支社の皆で「商売繁盛の祈願」に出かけた。毎年、恒例の行事である。
“苦しい時の神頼み”・・・境内には、まさに、この「“狂争時代”」を勝ち抜こうと目論む同類の輩が、悲痛な趣で手を合わせていた。
やれ不況(‘普’況)だ、リストラだと辛く厳しいこの時世を、皆がぼやいている。
見ている自分も、その渦の真ん中にいるのである。
折角来たのだから、俺も何かをお願いしなくちゃと気を引き締めて、〈一刻も早く年金を貰える年になりますように、、、〉先輩諸氏のレベルに到達したいと一心に祈った。
でも懐具合も淋しく、御利益の期待度とお賽銭のギャップは甚だしく大きく、自責の念に駆られながら帰路についた。
気力も萎え、悶々としながらの帰路、本屋に立ち寄った。ふと目にした一書を買い読んだ。作家、浅田次郎の最新刊、中央公論新社の「五郎殿御始末」。日本と言う国は130年前に歴史上最大の転換を遂げた。それは明治維新で、この時あらゆる価値観が覆り、武士階級のほとんどが失職(業)した。
しかし、この新時代の価値観に翻弄されながらも、彼らは決して”誇り”を失わずに生き続けた。そして己の人生をしっかりと始末している。・・・うーん思わず目から鱗が落ちた。
当時の大転換を思えば、今日の不況など大したものではない(小泉総理の言?)。
世界中には、物が食えなくて死んでいく人が沢山いる。戦争で命を落とす人もいる。 「現代の日本人の悩みなんて、贅沢なものだ」と、無理矢理自分に言い聞かせ、気持ちを落ち着かせている今日この頃です。
なにしろ、最近は若い人にも相手にされなくなってきたので、己の行動が変わってきました。2月11日、(建国記念の日)橿原神宮に詣で、「日本とはいかなる国ぞ」を、じっくりと考えてきました。現実から逃避し天下国家を論じ、とても良いストレス解消になりました。
読む本も変わってきました。「なぜ日本人はかくも幼稚になったのか」→「続編あり」福田和也著、角川書店の「昭和16年夏の敗戦」猪瀬直樹著など。
随筆風に書こうと思ったけど、なにしろ“根”が真面目でアバウトな面が全くない性格なものですから固くなってしまいました。
また機会がありましたら投稿します。それではお元気で。
(See attached file: 「青年の主張」.jpg)
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