81, 記念すべき 旧友との再会      03/4/14



近々、入社時の寮仲間4人と久しぶりに旧交を温める事になった。

この仲間は、記念すべき社会人として最初に知り合い、”名前だけで呼び合える友人"と言う間柄である。私が,、入社2年目のS40年に、東京から大阪へ異動になった為、その中の1人は、実に38年ぶりに顔を合わせる事になり、今から心がわくわくしている。

中学生の頃、先生から「10年間使っている腕時計だ!」と自慢され、驚いたことを思い出す。当時は、毎日が活力に満ち溢れ、1学年1学年、確実に成長を続けて行く喜びと、何かにつけ先輩の威圧を受け、「たった1年の違いじゃないかァ」と嘆きながらも、その差の大きさを痛感していた年代である。10年先と言えば、二十歳過ぎてしまう計算になり、とてつもなく長い歳月に思えたものであった。それが、今は"38年振り"と一言であっさり言えるのが、なにやら不思議に感じる。

宮城県で生まれた私は、兄弟5人の末っ子。最初から、家を出て東京で働くものと決め付けられて育てられた。S39年3月末、7人で楽しく暮らした家を後にして、まさに、一人で東京へ旅立つ日だった。孫を背負い仙台駅まで見送りに来てくれたお袋と、初めて経験する別れ。2人とも動揺を押さえる為、意識して他愛のない話を続けていたのを思い出す。

シーズン柄、ホームは見送りで一杯だった。当時の中・高卒男子の大半は、学生服のままで入社したもので、真新しい替えズボン姿が初々しかった。心配を掛けまいと笑顔を作り、話を途切れさせまいと一生懸命になっている姿は、自分と一緒の気持ちなのだろう。暫くして列車の発車時間が近づくと、流石のお袋の目が潤んできた。私は、それを見ないように精一杯努力するが、どうしても目が合ってしまう。一瞬たまらなくなった。

午後3時に、川崎にある鉄筋4階建ての立派な寮の前に立った。平日の静かな廊下を通り、南棟3階の320号室に案内されたが、約8畳ほどの広さの左右にベッドがセットされていた。アレッ?2人部屋なのか〜。どんな人と一緒に暮らすのであろうか。「先に、寮の中を案内します」と言う年配の寮長に連れられて、食堂から浴室、娯楽室、洗濯室等を見て廻ったが、当時の自分には想像できない、立派な設備ばかりだった。

部屋に戻り、一人、ベッドに腰をおろして落ち着く事が出来た。"やっと辿り着いたな〜"と朝からの緊張から開放されて、つい独り言が出る。これから、どんな展開が待っているのだろうか・・・。先に送っておいた布団袋が、妙に家族の一部の様に思えて、そっと引き寄せもたれ掛かった。

少し物思いに浸っていたら、急に腹が減った。そう言えば、"お袋が用意してくれたおにぎりを、列車の中、一人で食べる勇気がなくて、そのままだったなぁ〜"と、おにぎりを出し食べ始めた。何が悲しいわけではないのだが、涙が出てきてしまった。理由の無い18歳のこの涙、"大人への脱皮の喜び"と言う事にしておこう。

気を取り直して、荷物を整理していたら、隣の321号部屋で掃除をしている気配が感じられた。同じ新入生だろう。どのタイミングで挨拶に行こうかと様子を探っていたら、廊下が急に賑やかになった。どんな人達だろうか?覗き見したい気持ちを押さえて、ドアの前で、大きな深呼吸をする。ドアを開けて、廊下の2人に挨拶したが、声になっていたかどうか覚えていない。それほどの緊張だった。

一人は、隣の321号室で、黙々と掃除をしていた郡山出身のH君である。童顔のうえに伸びきっていない髪型と伏目がちで控えめな話し方が、誠実でやさしい人柄を表している。もう一人は、酒田出身で322号室のY君だった。上背が高く堂々としている。既に大人顔だったので、大卒と間違えたが、なんと言っても、大きな声が特徴で、狭い廊下ではうるさく感じられた程だ。

なんと、部屋繋がりの仲間は、2人とも同じ東北弁だったのです。郡山の"だっべ〜!"を笑いながら、こっちは仙台の"だっチャ〜!"で話ができるこの幸運に、この時ばかりは、"神様を信じる"とはこういう事かと思ったものである。不安から幸運へ、この信じられない出来事に、3人とも小躍りして喜び合い、自然に「H」、「Y」と名前だけで呼び合っていたのである。

そこへ、4階からS君が、軽快なステップで仲間に入ってきた。大変明るく気さくな人柄と好奇心の強さが特徴である。Y君と同じ酒田出身の同級生だが、もう、頭は立派な長髪の形が出来上がっている。ブレザーを着ている様子からは、流行を意識した雰囲気が一杯であった。

4人でワイワイやっていたら、同じ3階の奥の方から、ガッチリした体格の男っぽいK君が加わった。「オッス!どっから来たんや?」と、いきなり大阪弁である。エッ!コエー!「同じ寮は仕方ないが、同じフロアーかよ〜」と、この時は少し心配になったが、関西人特有の開けっぴろげな性格と周りの人間を包み込むやさしさで、直ぐに、リーダー的存在になって行った。

同じ寮には、他に約20名強の新人が入ったが、"気さくさ"と"やさしい思いやり"を持つこの4人との出会いは、私にとっては衝撃と言って良い出会いであった。以降、何かにつけ一緒になる事が多かったが、H君とK君、私の3人は、コンピューターのソフト部門へ。Y君は、勤労部門へ。S君は、サービス部門へと配属が決まり、それぞれの会社生活がこの寮から始まって行ったのである。

そして、私が翌年に大阪へ転勤となった後、321号室のH君と4階のS君の2人は、いろんな事情から会社を辞め、それぞれの地元で"ソフト会社への再就職"と"事務機器の販売"にと、新しいスタートを切っていった。H君とは2年前に再会したが、S君とは、全くの久しぶりとなる。

場所は、"S君の酒田市と東京の中間地点で"と言うことになり、郡山に決まった。昼はゴルフ、夜はゆっくり温泉につかる計画が待っている。先日、日程調整の為に直接電話したが、38年も合っていないのに、「オ〜ッ?オ〜ッ!」で挨拶は終わり、細かい事はぬいてとばかり、直ぐ具体的な用件話になった。

声も話し方も全く変わってはいなかった。さて、どんな容姿で現れるだろうか。演歌のネタにはならないが、楽しみな"郡山の夜"は、どんな昔話で盛り上がるのだろうか。


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