私が最初にカメラを買ったのが、1969年の結婚の時だ。誰だったかは忘れてしまったが、良いものの方が長く使えると言う薦めで、当時のブランド"ASAHIペンタックス"の一眼レフを購入した。カメラの知識が無い自分には、本格的なカメラだが随分高いものを買ったという思いだった。

旅行と子供達の記念写真が中心になったが、子供達が大きくなってからは殆ど手にする事もなくなった。急に必要になっても何処にあるのか大騒ぎで探すような状態で、何時の間にか錆ついて動かなくなってしまった。それ以来、このカメラには縁がなくなっている。

98年7月に入って、「写真を楽しんでいる女性が増えている。私もやろうかな〜」と言う女房の"ささやき"がきっかけで、2度目の購入となった。カメラの軽量化と操作のオート機能化が進んだ結果、女性層に拡大したもので、マニアが使う一眼レフが簡単に扱える優越感と、ガシャ!ガシャ!と言うシャッター音の心地よさが人気で、一寸したブームになっていた。

子供の手が離れた時期で、「新しい趣味として良いね〜」と賛同すると、店頭で薦められた"ミノルタαスイート"の最新型を、望遠レンズ付きで購入した。これが、現在もミノルタカメラを愛用している理由である。

なんと言っても、ズームレンズを通して見る世界は、今までにない楽しさだった。最初はお決まりのコースで、花から入って朝日や夕日などの風景を楽しむ。専門誌や色んな展示会も見て勉強しながら、「何時か自分も・・・」と毎週外へ出ていった。最初は、2人で交互にシャッターを押していたが、直ぐに各々がマイカメラを持つようになり、今は本体3台とレンズ数本が乾燥機一杯に収納されている。
80  審査委員長 秋山庄太郎
03/2/8
今年2003年1月16日、"写真家の秋山庄太郎さん(82歳)死去"のニュースが流れた。私が写真を始めた1998年(平成10年)11月に、軽い気持ちで応募したコンテストの選考委員長で、初入選と言うささやかな思い出を残して頂いている。
そんなある日、浦和市内のSCが主催する「わたしの浦和」と言うフォトコンテスト案内を持って帰ってきた。後援も埼玉TV,埼玉新聞等など地元のトップ企業ばかリだし、何より審査委員長が秋山庄太郎である。

「こんな展示会に出すなんて、何考えてんだよ」と思ったが、「初心者、歓迎なのだから・・」と言う言葉と、遊び心から応募することにした。11月までの間に撮った中から、浦和市に関する写真5点を選んだ。

この時、初めて知ったのだが、コンテストの作品には「副題」と「コメント」が必要であった。何も考えずに、料理番組宜しく楽しいタイトルを付け、簡単な内容紹介で応募したが、これが相当に重要である事が後で判って恥ずかしくなった。

コンテストの審査ポイントは、「副題」と「コメント」の内容に沿って、その感動が上手く表現出来ているかどうかを採点するのものである。ここが、シャッターチャンス8、テクニック1、カメラ1と言われる所以である。
暫くして、2点が一次通過をした事を知らせるハガキが着いた。1次通過すると会場に作品が展示されるのだ。「これは凄い事だ!」と驚いていたら、更に1週間後、その中の1点、「写生」が佳作に選ばれたと言うから、2度目の驚きとなった。応募の際に、女房がこれも良いと選んだ5番目の写真だったが、思いもかけない結果に舞い上がるような喜びだった。

続いて、1月30日夕刻から、審査員長と入賞者の懇親会、約1Hのパーティーが催されることになった。それまで、秋山庄太郎さんについて詳しく知らなかったので、図書館で代表作等何冊かの本を借りて俄勉強をした。花・女など「女性と花の一番きれいなところを撮る」事をモットーに数々の作品で幅広い層に親しまれている事、日本写真協会副会長等多くの要職を勤め、86年紫綬褒章をも受章された事などを知った。
秋山庄太郎さんは、黒っぽいネクタイで壇上に上がり、表彰式が進められた。入賞者が数十名いるので、グランプリ受賞者が総代となった。

一人一人の表彰が無かった事を、少し寂しく思いながら審査の好評を聞く事になったが、更に残念な事に、緊急の用事の為パーティーには参加出来ないと言う。

長年の友人だった"三木のり平さんの通夜"と重なってしまったのだ。黒いネクタイの訳がやっと判ったが、なんとも面倒くさがり屋さんだと感じた。

間もなく80歳。この年代の人にしては大柄だが、マイクを通す声は少々小さい。その分、全員聞き耳をたて静かになるのだが、これも、計算されているのだろうか。決して雄弁と言う感じはないが、いろんな場面でお話になっているので、笑いを取るのは心得たスピーチだった。

先週、山に行って写真を撮っていて転んでしまった。まだ足が痛むが、カメラの修理に50万円も掛かると聞いて、更に痛みが増したとか、今でも数多くの審査をしているが、昔も今も量的には同じ数をこなしている。しかし、今の方がずっと大変だと言う。以前は、ピントが合っていない写真を最初に選別することで半数以下になったが、今はカメラも良くなり、どの写真もピントずれが無くなってしまったと言う。その通りだと思うが、目の前で言われては参加者全員、苦笑いを返すだけだった。

また、あの有名な原節子さんや夏目雅子さんは、とびっきり美しかったとか、最近の山本陽子さんは、皺を見られるのが嫌だと言う理由で、私には近づいてくれないとか、秋山庄太郎を語るに不可欠な女優さんの話を約10分程されて、そのまま、急いで東京へ戻って行った。

こんな訳で、秋山先生と話をする事は出来なかったが、記念の賞状を頂いてから大いにその気になり現在に至っている。この間、知識も経験もないままに入選した事が申し訳ないと思い、あちらこちらに出かけて学習に励んだ。ある年のゴールデンウイークは奥入瀬に出かけたり、昨年は、北海道までタンチョウ鶴を撮りに行ったりしたが、思う様に腕の方は上達していない。「始めた頃の写真の方がいいね〜」と冷やかされている始末である。

今は、"滝めぐり"と樹齢何百年の"一本桜"を追いかけているが、「日本の滝百選の全部を行けたらいいね」と言う夢をもっており、夫婦一緒に遊べる趣味に導いて頂いた事に感謝している。また写真を通じて、新しいコミュニケーションが生まれる事に喜びを感じている。

    " フィルムの 現像までが グランプリ "と、何時までも洒落た気分で、写真を楽しんでいきたい。


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<フラッシュが使えなかったので!>
(展示会場にて)
【 朝霞 】  一次通過作品
【 写 生 】
・・この場合のピントは、書かれている絵に会わせる・・
黒いネクタイの 秋山庄太郎 先生}
(浦和市の見沼公園にて)
(浦和市の見沼公園にて)