先日、職場の中で、「鍛錬千日」の標語を見つけた。昨今の景気の閉塞感を、一人一人の熱意・研鑚によって振り払おうとの強い願いが込められている。私も、仕事が順調だった30歳代に、この言葉を座右の銘として頑張っていた事を思い出して、実に懐かしく感じた。
私が営業部門へ異動の誘いを受けたのは、29歳の時である。当時は、業務知識も身に付け、技術者としてやっと1人前に活動出来つつあった時期なので断った。また、何事につけ頭を下げる営業の姿勢には、あまり魅力を感じなかったし、社内の人間関係作りや、人脈を通した営業活動等も大変面倒に見えていた事もあり、何回でも断ろうと考えていた。
しかし、「今、君のような技術を持っている営業が必要なのだ」と見え見えの説得に乗せられた訳でもない(?)が、サラリーマンの軟弱さが出て応じてしまうのである。
営業に身をおく以上は、「やってやるぞ!」と決意はしたが、それまで深く考えた事がなかったので、本当の営業の厳しさ・辛さが判っていない。社交下手など不安材料も多く、この先、途中で挫折する事が心配で、「鍛錬千日 勝負一瞬」の8文字を机に貼り付けたのである。
まず、何事にもしっかりした事前準備が大事とばかり、最初におこなった事がなぜか飲み屋の開拓である。「営業にはお客さんとの飲みにケーションが不可欠」と言う、今から思えば浅はかな考え方の様に思えるが、当時は営業に接待は付き物の時代で、私にとっては重要課題の一つであった。自分はお酒が全くダメで、それまで飲み歩くことがなかった為、接待が最大の不安事だった。
しかしこんな事は、これからライバルとなる会社の仲間には相談出来ない。幸い、夜の世界を遊びなれている高校の親友がいる。事情を話したら、「酒を飲めないお前が?」と顔を覗きながらも、二つ返事で引き受けてくれた。
行きつけの店を紹介してもらえるもと思っていたら、「自分が気に入った店であることが一番さ」という勧めで行動を開始する。店の雰囲気と料金を調査する為、ウイスキー一杯だけ飲んで歩く「店巡り」である。但し、調査代は私持ちというクールな条件だった。
水割り一杯、しかも少し口にするだけだが、1日何軒ものはしごに悪酔いしながらも、1ヶ月で50軒ほどの店を廻り、気に入った店を5軒に絞る事が出来た。気取った店、変にテンションが高い店は落着かず、ごくごく一般的な雰囲気の店になった。一寸した出費になったが課題の一つを解決し、営業への不安が解消した気分になった。
次のテーマは、何と言っても雑談等対話でつくるコミュニケーションだ。今までなら"初対面はどうも…"と逃げることも出来たが、これからは全く許されない。商品に関わる内容の説明等は何とかなりそうだが、自分から話題を見つけ"談笑する"等は、全く自信がなかった。
そこで、「説得力・交渉力」「組織における人間関係」「人脈を生かす」等などから「できる男はここが違う」「雑学の知識」まで、参考になりそうな本を集中的に読んだ。読めば読むほどプレッシャーが強くなったが、"聞き上手になる事"がポイント"と判った。
自分から話すのは難しくても"聞き上手"なら上手くやれそうだ。このヒントでかなり楽になったし、実際の活動でも大いに成果を上げた。
変わった本では、能見正比古さんの「血液型研究」6冊がある。軍医の立場から、軍人がいろんな状況で見せる行動を、血液型にあわせ分析したものだが、大変興味深い内容に、一気に読み終わったのを覚えている。対人関係で参考になっただけでなく、苦手な話題作りにも役立った。
色んな準備の中、先輩の顧客を引き継ぐのは自分の気性に合わないと、新規顧客の開拓を申し出た。「どうせやるなら」との気負いが、営業の中で最もストレスの多い"他社リプレース活動"を選ばせたのだが、振り返って見ると、この営業の修行時代に、何度、机に貼ったこの標語を眺め元気を取り戻したことだろう。
リプレースの場合、役員クラスのキーマンの外に、既存メーカーと太いパイプを持っている技術者との関係構築が特に難しい。その上、幾つかの競合メーカーと激しい活動を展開する事になる。全く情勢が掴めない中、不安と戦いながら良い結果を信じてセールス活動を続けて行くのである。そして、色んな状況を判断し一気にクロージングに持ち込むのであるが、正に"集中力"のいる活動である。
30歳代は、この「鍛錬千日 勝負一瞬」を見て気力を高めていた時期だが、40歳代になると、何故か全く別の言葉に変わっていた。「4・バカ、5・理屈」と言う変なものである。理屈をこねるのは、バカより悪いと言う意味で、因みに上位から 1・引き、2・運、3・平凡、4・バカ、5・理屈、である。先ずは、お引き立てがあっての商いであると諭されたのである。
この言葉は、得意先の懇意にしていた社長さんが、地元の新聞に連続掲載していた随筆のタイトルである。少々仕事が順調になり、能書きを言い始めていた頃に出合ったもので、頭を殴られた思いがした。以後、何事にも"感謝の心"を忘れないようにと、この言葉に変えたものだった。
久しぶりにこの随筆を読んで、「勝負一瞬」に勇気を貰っていた時代から、「お引き立てに感謝」した時代の経験を通して、今では少しは大人に近づいたのかなぁと考えたりしている。特に、勝者にだけ憧れを感じた若い時代から、年を重ねる事によって敗者にも目がいくようになって来たこと。そして今、勝者でもない、敗者でもない、オンリーワンの生き方があるのかなぁ・・・と感じつつ。
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