4     家庭裁判所を出ての
      親父の一言
昭和37年、宮城県立工業高校2年生の夏、<親父の思い出>の中でも特に忘れられない出来事があった。私はこの体験で、「人の育成に対する考え方」に大きな影響を受けたと思っている。

現在では宮城県内の高校は男女共学になっているが、この当時は、男女別校の時代だった。他県の共学の高校が羨ましく思う時もあったが、男子校だからこその楽しみ方があるのだと、明らかな負け惜しみで納得していた。

地元では”県工”と呼ばれ、校風は質実剛健で真面目が評判だった。夏は、高下駄を履いて通学出来た。足が蒸れることが無いし、背を高く見せたい私には、現代の上げ底と同じ格好の履き物だった。3年生の時に禁止になってしまったが、それまでの2年間、この高下駄を履いてのスリル満点のゲームがあった。

通学列車のデッキ(ドアは手動の時代です)から、仙台駅に入って減速停車する中、誰が一番先に勇気を持って飛び降りられるかの競争である。高下駄を履いて、かなりのスピードから飛び降りる訳で、今の運動神経では全く考えられない危険な遊びと言わざるを得ない。一番後方のデッキには審判役が顔を出し、その前のデッキに一人一人が待機するのである。駅員から注意され乍らもこの無茶なゲームは電車通学生には人気があった。身体の柔軟なガキの時代ならではの思い出である。

さて、この昭和30年代は、伝書鳩を飼う事が流行した時で、既にサラリーマンとなった兄貴を手伝って、私も一緒に楽しんだ。青森〜仙台間、300kmを帰還したハトと人間が入っても動ける程の大きな鳩小屋が2人の自慢だった。

伝書鳩は、細かく砕いたトウモロコシを通常食として飼育するが、大好物は麻の実である。自分の鳩を手なずける時、或いはレースから帰った後のご褒美として与える餌である。一寸高価なこの麻の実は小鳥屋で購入するもので、一番近くの店は6Km程離れた隣町であった。

その日は、ミニバイク<スパーカブ>で鳩仲間と二人乗りで裏道を通り、餌を買いに出かけた。偶然、”お巡りさん”に見つかり掴まってしまったのだ。日頃から無免許で乗りまわしていたが、田舎では注意の為に止められることはあっても、いわゆる”掴まる=切符を切られる”事はなかった。油断であった。

勿論この時代も、無免許運転等は高校停学が常識、人身事故では退学処分である。無免許運転にミニバイクの2人乗り違反である。学校に連絡が行けば、停学は確実である。ただ、今日のこの優しそうなお巡りさんなら、家にも学校にも連絡が来そうに無い雰囲気で助かった気がした。少なくとも、その日はそう思っていた。

所がそんなに甘くはなかった。思いも掛けず(?)2週間たって、親父の宛名で仙台家庭裁判所からの呼び出しである。当然ながら、父兄同伴だと言う。それまで何も話していなかったので、此には、流石に困ってしまった。事ここに至っては観念せざるを得ないが、一緒に行くのだけは、お袋になる事を祈った。

親父は農業一本槍の地味な生き方で、世間様に迷惑を掛けたり、後ろ指をさされるようなことは絶対に許さない。明治生まれの男ッキも強く、かなりの短期持ち。気に入らない事があれば、お膳をひっくり返して怒鳴る事もある。この時代の高校生には、まだまだ怖い存在であった。

しかしこの時は、「裁判所なんだから、お父さんが行かないと」と慌てて言うお袋のとんでもない発言で、親父に決まってしまった。親父にはこの件ではまだ何も話していないので、どんな怒り方をしてくるのか全く予想が付かない。お袋が、私の言った通り話した様だが、この時は、親父は何も言わなかった。

いつ怒鳴り散らされるんだろうとそればかり気になって頭から離れない。呼び出しの今日まで、何も言われない事がよけいに不気味である。仙台家庭裁判所までのバスの中の約40分は、お互い黙ったままで生きた心地がしない。勿論自分から声を掛けるなんて事は努々出来るものではない。針の筵状態に口が異常に渇いて来て、「親父!なんか言ってくれよ!」と大声で叫びたかった。

親父の後に続いて中へ入ると、指導員の前に座らされた。年の頃40歳、勿論、親父よりずっと年下である。痩せて神経質そうだが頭は良さそうに見えるのは、この場所の勢だろうか。間もなく、”なんでここへ来るようになったのか”と優しい声で質問された。そんな事は分かり切っているのにと思ったが、目を合わせずに答えた。

私への質問はそこそこに、そこから先は親父の方を向いて、一方的である。口調も変わって全てが何ともきつい言い方で、「親の教育がなってないから、こんな所へ来る様になるんだ。どんな育て方をしているのか」。「子供は親のまねをすると言うが、親はどんな悪いことをしているのか」等々ねちねちあたるのである。隣で聞いていても、腹が立ってくる。それより何より、親父が切れるのが一番不安である。

馬鹿野郎。そんな事は俺に言えよ。親父に関係ないだろう。実質は30分程度だったのだろうが、大変ハラハラした時間が過ぎ、やっと席を立つ事が出来た。私は、終わったことにホットした。しかし、腑が煮えくりかえっているのだろう事を思うと、もう親父の顔を見れない。適当な距離を取って裁判所を出た。

その時だった、親父がやっと口を開いた。こっちを振り向いて口を開いた。「マサル、あの裁判官、頭に来たな〜」。この時は、親父の優しい顔に、目を疑った。全く信じられない言葉に、耳を疑った。感情に任せて注意する訳でなく、むしろ、暖かく包容された気分だった。それっきりこの出来事については、一切触れることはなかった。

もう40年も前のこの出来事に、色んな事を考えさせられたし、心の一片を教えて貰った気がしている。ミスに対して、既に相手が十分に理解している場合は、何も言わなくて良い。言う必要がない。何も言わない方が何倍もの効果があることを。


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雑談

最高裁を別にして、

下級裁判所は、
大都市(8ヶ所と6支部)に
置かれている高等裁判所と

各自治体中心(北海道4)の
50ヶ所と支部を含めて
約200ヶ所の地方裁判所が
設けられている

家庭の平和の維持と
少年の健全な育成を図る
と言う理念で
地方裁判所と同じ場所に
家庭裁判所がある

未成年者の交通違反等
に関する対応は
この家庭裁判所である


簡易裁判所は
簡単な
・民事(90万以下の請求)
・刑事(罰金以下の内容)
に対応するため
全国に400ヶ所以上
設けられている
02/5/14