私は、大阪転勤となったS40年10月から、7年間(仙台転勤まで)に亘り阪神電鉄のシステム構築の支援サービスを行っていた。当時は、先進・大手企業の間でコンピュータの導入が始まったばかりと言うことで、コンピュータ人口も少なかった時代である。
私は、お客様のコンピュータ要員の指導をしていた為に、"先生"として本当に大事にお付き合いをさせて頂いた。そして、数名の実務メンバーのリーダーとしてサポートをした最初のユーザーであった事もあり、今でも大変懐かしい思い出となっている。
システム部は、部長、次長、2課長、2係長、男子4名、女子8名と当時としては驚く程のスタッフだった。この中に、現タイガースの久万オーナーが、次長として在籍されていたことが在り、未熟な私も色々ご指導を頂いた。
阪神電鉄と言えばタイガースであるが、幸いなことに、コンピュータ室と球団オーナー室が隣会わせで、タイガースの選手とは良く顔を合わせる事が出来た。特に、シーズンオフの契約更改日に合わせて、打ち合わせの仕事を作り、お邪魔した記憶がある。
何と言っても、村山投手のスター性が印象的であった。担当記者の数の多さは勿論だが、その記者を後ろに従わせて登場する光景は、大親分そのもので、男が憧れるのに十分な雰囲気である。近くで拝顔すると、二重まぶたが異常に可愛く感じるのは、カリスマとのギャップかもしれない。
またある時、エレベーターに乗ったら、中年の男性と一緒になった。行き先が同じ階だったので何方かと思って様子をうかがったら、何とあのシュート打ちの名人、山内さんであった。村山さんとは正反対で、プロ野球の選手と縁のなさそうな、さり気なさの雰囲気に驚かされた。
私は、近くの喫茶店で頭を休める(?)事が多かったが、一時阪神の監督をやられた、長身の杉下さんを良く見かけた。椅子に腰掛けているのだが、立っている様に見えたので、直ぐ判ったものである。コーヒーが好きで来られていたのだろうが、お一人が多かったので、一寸寂しく写った。
藤田さんの入団発表の日は、エレベータホールが満員で、コンピュータ室まで階段を歩いて上る羽目になった。藤本さんと結婚された島倉千代子さんにも廊下でお会いすることが出来た等、色んなことを次々と思い出す。
さて、ある日の事、急に「君は野球をやるのか」と言う質問があった。私は、中学生時代は野球部で、2年生では3塁、3年生ではピッチャーをやっていた事、隣の中学校のライバルに、後に仙台育英高校を経て「南海ホークス」に入団した山本多聞さんがいた事などを含め、野球が一番好きなスポーツである事を、ちょっと自慢を含んで話した。
何日か過ぎたある日、「明日の社内球技大会にシステム部と総務部の合同メンバーとして参加するように」言われた。どこでやるのか聞いたら、「甲子園球場だよ」こともなげに言う。恒例らしいが、こんな嬉しい話は無い。野球を楽しむ人間としては「憧れの甲子園球場」、ライバル(?)の山本さんがプロのスカウトから脚光を浴びた「甲子園球場」である。
ロッカー室には入れないが、ダックアウトで急いで着替えてグラウンドに立った。スタンドで観戦している景色とは全く違う。かなり顔を上げる為か、グランドから見上げるスタンドがすごく急に思う。球場全体が覆い被さるようで、何と自分が小さく見えることか、本当に圧倒された。
私は興奮する中、先発をやらされたが、何ともキャッチャーが遠い。バックネットまでの距離が長い為に感じるのである。バッキー・小山・そして村山が立ったマウンドである。流石、野球好きの阪神電鉄の皆さんに、ぼかすか打たれて直ぐ交代となった。
今度は内野の花形、3塁を守らされた。私の身長では、ピッチャーマウンドの高さが邪魔して、1塁ダックアウトの下の方が見えない。ホームベースの方へちょっと近づくか、ジャンプしないと見えなかった。このホットコーナーは、巨人戦では長島さんが守るのである。そう思っただけで嬉しくなり、普通の人間には経験できない事を楽しんだ優越感を持たさせて頂いた。
”エッ ! 高校野球?”と思わせておいて、これだけの話である。今は、なんで砂を持ってこなかったのか、写真は撮らなかったのかと残念な思い出である。
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