30  母の涙とバナナ
01年9月10日、結婚してから32年目で始めで5日間ほど入院してしまった。食中毒であった。最初は直ぐに治るものと簡単に考えた為、病院へ行くのが遅くなり”こじらせた”もので、思いの外大変だった。3日間は飲み物も受け付け無い状況で、72時間連続の点滴を受けた。

それでも週末には退院したが、身体が元に戻るには時間が掛かった。数日の自宅療養をしたが、味覚がなかなか戻らず、それまで大好きだったコーヒーが全くおいしく感じなくなってしまい、代わりにバナナジュースを良く飲むようになった。

さて、バナナと言えば、私たちの年代の多くの人が思い出を持っていると思うが、本当に高級な果物で、病気にならないと食べられないと言う時代が在った。

昭和27年の夏休みも終わろうとしていたある日、自宅から200m程の距離にある小・中学校の校庭で、いつもの通り真っ黒になりながら友達と遊んでいた。猛暑の為か、体がだるく熱が出てきたので家に帰って休むことにした。日射病だから直ぐ良くなるよと言う母の言葉とは反対に、熱は日を追うごとに高くなり、寝汗がだんだん激しくなった。そして、3日目には食欲が全く無くなり、今度は全身に寒気を感じ、歯がガクガク震えだす様になった。

4日目だったと思うが、流石に家族も心配になり、近くの診療所に連れて行かれた。診療所は、白髪の老医師が1人と看護婦さんが1人いるだけだったし、注射器等ほんの僅かの器具や応急処置の医薬品があるだけだった。それでも、風邪や簡単な怪我等の時は、この診療所も大事な施設であった。

暫く聴診器で胸を検査していたが、急に大きな針をつけた空の注射器を持って、脇の下を出すように言った。こんな所に注射をされることは始めてだった。怖いのを我慢して言われる通りにしていたが、直ぐ全員が深刻な顔になった。

私も見せて貰ったが、注射器に吸い取った液体は、茶色に濁ってひどく化膿しており、「肋膜炎かもしれない」と老医師が言った。後で聞いたが、この的確な診断が時間的分岐点だったようで、他の診断が出たりすると助からなかった様だった。それまで、田舎の診療所の2流のお医者さんと思っていたが、この時ばかりは、偉いお医者さんに見えた。

直ぐ家に帰ったが何か大変な病気らしいという事しか私には解らない。急に親父が自転車を引っ張り出して、毛布等を載せ始めた。何となく自分が乗るのかなと見ていたが、「入院だな」親父の独り言で、今から病院へ行くことが判った。母親はもう、風呂敷の荷物を持って、家を出発していた。親父の自転車で約30分で隣町の「小島病院」ヘ運ばれた。母親もまもなく歩いて病院へ着いた。

自分が入った部屋は、6人部屋で大人が2人と私と同じ小学2年生の女の子がいた。みんな結核での入院であったが、女の子も元気のいい子だったので、すぐ仲間になれた。しかし、残念な事に、私が退院するまで、男の人と女の子は各々部屋から出ていったきり帰ってこなかった。入院中は部屋を変わったと言っていたが、2人とも助からなかった事を退院してから聞かされた。

入院のその夜は、母親が添い寝をしてくれた。滅多に無い優しさから、何時までもヒソヒソと色んな話をしたが、「バナナ食べさせっからネ」と言ったその時に、母親の目に一瞬涙を見たのを今でも忘れることは出来ない。

後で知ったのだが、昭和27年当時は、結核への抗生物質も田舎では行届かなかったのか死亡率が非常に高かった時代である。特に私の場合は幾日か対応が遅れたせいもあり、かなり悪化していたため、母親は心の中で覚悟していたものだった。

母親は入院の翌日も、朝の4時になると家に帰って行って農作業をし、家族7人の夕食を済ませてから夜の11時ごろ、部屋に戻ってきた。自宅と病院は6km程だから、往復3時間以上かけて、毎日添え寝を続けてくれた。今思い出しても、感謝、感謝である。

2〜3日後、バナナを始めて口にした。ちょっとぬるっとしたが、今まで味わったことがないほど美味しかった。家族のみんながまだ食べた事のない、これがバナナか。俺はバナナを食べたんだぞ。心で自慢している内に、かなり力が沸いてきた気がした。

私は、田舎の診療所の名医とこのバナナのお陰で完治し、幸運(?)にも1ヶ月で退院したが、当時の高価なバナナには病気を治す、不思議な力が備わっていたと信じている。



 
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雑感


昭和27年
当時のバナナの値段は
幾らだったか、
後で調べてみたい。

その前に
勝手に予測すると、

・中学校卒業後の初任給が
1,500〜2,000円前後で、

・バナナ一房は
その3分の1から4分の1の
数百円前後
ではないかと推定する。

その意味では、
価格はそう大きく変わっていない
値段ですが、
給与比率からみれば
相当高価なものだった事が
解ると思います。
01/10/13