私はS50年から、東北の民需マーケットの営業に異動したが、守りは面白くないので、攻める方に傾注した。小さいマーケットを競合の数社で凌ぎをけずるのであるが、怖いもの知らずで楽しく展開できた。
仙台の有名な量販小売業E社は、約30店舗を持つ中堅企業である。中央資本の系列化が進む中で、地方小売として独自資本で経営できる”誇り”を感じさせる元気さがあった時である。成長企業の多くが、創業者の先見性と個性(ワンマン性)に寄るところが強いが、このE社の社長も大変ユニークでる。愉快な話題も多いので、別の項にしたいと思っているが、ここでは取引を開始するまでの一幕である。
私たちがセールスするS部長(後に役員)は、同社の創業時代からE社長と一緒に頑張ってきたキーマンである。常に冷静な判断と、どんな憎まれ役が廻ってきてもへこたれない強さを持っていた方である。社長が全面陽気なのに対し、まるっきり取っ付き難い雰囲気で、この2人方の阿吽の呼吸は、外の人には何とも迷(?)コンビに写った筈である。
この頃は、日本の量販小売業の歴史は浅く、概ね20年前後であり、外資メーカーN社の業務ノウハウを活用するしかない時代であった。このE社も、創業段階から情報提供と経営コンサルを受けたN社を、長年に亘って大切なパートナーとしていた。
一方、我々はこの業界は最も後発でノウハウも少ない。東京の本社から何人もの支援者が来仙し攻勢を掛けたが、数年間何の成果もなかった。むしろ”ノウハウのないセールスはお断り”とばかり、訪問を断られるような状況になりつつあった。まして、現地仙台のメンバーの知識で食い込むことは不可能だった。
私が担当する事になってからも、ノウハウ不足の弱点を突かれるパターンが毎回続いた。それでも、上司の表敬訪問、セミナー、デモ等可能な攻略手段は全てやったが、以前と変わりない状況に陥り、一向にセールスが前に進まない。今まで担当していた方の苦労をしみじみ感じた。
あきらめても良いが、このまま尻込みするのではあまりにも悔しい。こうなったら、とことん食らいついてやるかと思い直して見たが、やはり対策が無くなってしまっている。それなら、”あたって砕けろ”と最後の手段、自宅訪問に賭けて最後にしようと決めた。
さて、S部長の家を調べて見たら、約20分を歩いて通勤する事が判った。そうか雨の中、20分の通勤は辛いはずである。車で会社まで送って見よう。そこから、糸口が見つかるだろう。
今朝雨が降り、今、S部長が家から出てくるのを車の中で待っているが、この場に及んでも”簡単に乗ってくれるかな”、”失敗したら後が気まずいよな”と思う気持ちが沸いてくる。”どうせ他社ユーザーじゃないか”と独り言を繰り返し、何回も大きな深呼吸をしているこの時が、最高に緊張する時間である。
大通りから一寸入った住宅街の一方通行の道で、しばらく待つと傘をさして出てこられた。急いで車から降りて、「おはようございます。送りますので、乗ってください」とお願いした。S部長は目を見開いてかなりびっくりした様子だったが、直ぐに状況を把握したのか、すたすた1人無言で歩き出した。
私は車に戻って半分窓を明け、S部長の歩行スピードに会わせながら、また乗るように勧めるが、聞こえないように黙って歩いて行く。ノロノロと私の車がS部長の脇をついて行くのを、一緒に傘をさして急ぐ人達が、怪訝そうに、そして迷惑そうに歩いている。
後ろから車が来た。狭い道なので自分が前に出て避けなければならない。避けた地点で、一寸待っているとS部長が追いついてくる。まるで、S部長と私の車が、”じゃんけん遊び”をしている様だった。
約10分程で大通りまで来てしまったが、大通りではこれ以上続ける事が出来ない。”今日はこれくらいにしてやるか”とギャグよろしくその日は帰ったが、その時、全身でホットするものを感じた事を思うと、自宅訪問はかなり緊張するものだった。
これを次の雨の日も続けた。前回と全く一緒で、この次はもう止めようと思ったが、こちらから一方的に仕掛けたものだ。勝手に止めるのは失礼だし、止めた時点でE社とはセールスが切れる事になる。但し、相手が怒って来たらその時は止めようと決めていたのは、半ば、断られるのを期待する弱気な気持ちだったからかもしれない。
そうこうしている内に4回目になって、乗った来た。エッ 真かと思ったが乗ってくれた。この時は全く予想していなかったので、話す言葉が出てこない。緊張の中で少し乾いた声で、「改めまして、おはようございます」とやっと声をかけたが、黙ったままだった。しばらくは、寒い空気の中で運転を続けた。会社が近くなった所で、「ここで」と言ってすたすた歩いて行かれた。
この日を機会に、我々のセールスも受け入れられ、本格的な展開になっていくが、以降S部長には、麻雀・ゴルフ等公私に長い親密な付き合いをさせて頂く事になった。
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