Dスポーツ用品メーカーのYさんは、今でも私の結婚式での親父の挨拶を忘れないでおられる。忘れないでと言うより、私の顔を見るとまず最初に思い出すらしい。いろんな結婚式に出られているし、30年も経っているのにと、実は私の方が驚かされている。
私は18歳で東京の本社に技術者として採用された。この年の5月に従来に無い画期的な最新鋭のコンピュータが発表・発売され、以降、コンピュータ事業は会社を支える3本柱の一角を担う時代に入ることになった。
私は、そのソフト部門の技術要員の1人として配属になった。この事が長年に亘る恵まれた会社生活の最初の幸運であったが、翌年の10月に日本経済の西の拠点”大阪”に、事業を一気に拡大する狙いで、26名のソフト要員と一緒に転勤となった。
そして今日、69年(S44年)4月20日、晴天の中の大阪城共済会館での結婚式。先程から会社の上司、友人が日頃からは想像できない歯の浮くような話を、楽しく披露してくれた。私は酒を飲む事が少ないので、麻雀や競馬等のエピソードが混じったスピーチが多かった。
そして、いよいよ親父が恒例の親族代表挨拶を始める。 式場がそれまでの賑やかさから急に静かになった事も手伝って、私はかなり緊張した。昨日言いずらかったけど、スピーチの打ち合わせをしておけば良かった、今頃になって悔やんだ。
今まで、私は親父が人の前で挨拶するのを見たことがない。時々熱気を帯びた話し方をする事はあったものの、いつもの友人達との会話であり、それを聞いていても決して話が滑らかな方ではない。よく自分の話している事が整理つかなくなり”もとい”を連発する事も多かったのを覚えている。
ついに親父が話し始めた。”今日は、お忙しい中、遠くからもお出で頂きまして、有り難うございます”。前方の人の足元の一点を見つめながら、うわずった様子もなく、一言一言しっかり伝えるように話し始めた。順調な出だしに、エッ!こんな話し方が出来るんだと私は正直驚いた。
しかし、もっと驚いたのは、この後である。「さっきから聞いていたら、私の息子は、麻雀だの、競馬だのと遊んでいるようだ。田舎にいてなんにも知らなかった。真面目に勤めているとばっかり思っていた。 何にも知らずに息子を自慢に思っていた。」
「結婚した今日これからは、これではいけない。心を入れ替えて真面目に仕事に取り組んで、苦しい時には石にかじりついても頑張らないとダメだ。こんなにいい人の中にいるんだから、何でも教わって立派な人間になって欲しい」と、これで終わりである。ご列席の皆さんへの御礼より、まるで息子の説教である。
多分親父は月並みの挨拶を何日も前からしっかり準備していたと思うが、それはすっかり飛んだのだ。会場はそれを推測しているように、全員、一斉に拍手喝采である。
無理もない。生まれたのが明治なら、今では到底想像すら出来ない時代の農家育ちである。自分の小さな体で、子供5人を含む8人の家族を養うのである。派手さ贅沢さ等を全く捨て、ひたすら頑張る事で生きてきた人間である。
麻雀や競馬等は、まっとうな人間がやる物では無いと思っていたとしても不思議ではない。
昨日始めて大阪に来て、この雰囲気に呑まれることなく、堂々と自分の考えを言い切った明治生まれ。失いかけてた日本人の頑固さを見させて貰ったようで、何となくこの親父が大きく見えた。
このアドリブの挨拶(?)は参列者に印象的だったらしく、すばらしい挨拶だと多くの方に褒められた。瞬間、ちょっとしたスターになった親父だが全く意に介さずマイペースで、お帰りの皆さんに丁寧に頭を下げ続けていた。
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