12/31(月) 【愛と哀しみのボレロ】
 小さいときから、何度となくくり返し聴いてきたクラシック曲がある。ラベル作曲の「ボレロ」。
 子どもの頃、日曜日になると、父が父の兄から譲り受けたステレオに黒いレコードを置き、「いいだろう、この曲。」と言って私タチ姉弟3人を呼んで何回も聴かせるのだ。
 ずっと小刻みに繰り返される小太鼓のリズム、そして、実はゆっくりとした拍の流れに乗って奏でられる独特のメロディー。決して途絶えることなく脈々とつながる生命の力強さを感じさせてくれるこの名曲の素晴らしさを、子どもながらに何となく感じ取っていたのだろう。ロック曲ばかりが並ぶ弟のCD棚にもこの「ボレロ」がたった1枚のクラシックのCDとして異彩を放ちながらも並んでいる。

 この名曲ラベルの「ボレロ」そのものが主人公になった映画があった。「愛と哀しみのボレロ」である。
 冒頭で紹介される「人生には二つか三つの物語しかない。しかし、それは何度も繰り返されるのだ。その度ごとに初めてのような残酷さで」という言葉とともに、第2次世界大戦に翻弄される4つの家族を中心にストーリーは静かに実に淡々と進む。
 最後は、娘や息子、孫と世代の変わったその4つの家族が、パリの凱旋門広場に集結し、この「ボレロ」を演奏し、歌い、踊るのだ。
 20世紀バレエ団の男性舞踊家たちがジョルジュ・ドンを輪になって囲み、あのリズムとメロディーに全身全霊を傾けて踊るシーンは、「20世紀のみならず21世紀をもしなやかに生き抜いてやる」という生命の叫びがこだましていて、「第2次世界大戦の被害者は日本だけではなかったのだ。」という当たり前のことにはじめて気づかされたような気がした。

 この冬、前からどうしても行きたいと思っていた南九州知覧への旅を実現することができました。特攻平和会館は、飛行場跡らしいなんとも言えぬさみしいところにあり、空を雨雲が覆ってたこともあり、霊感など全く縁のない私でさえ何かを感じてしまうような独特の空気に包まれていました。
 でも、建物の中に入ると、不思議と温かい空気が流れていました。まず目に飛び込んできたのが、日本に2台しかないと言うフッペル社のグランドピアノだったからかもしれません。佐賀県の小学校にフッペル社のピアノがあると知り、出撃前にベートーベンの「月光」を弾きにきた音楽学校出身の学徒出身隊員とその小学校の女教員との心の交流が「月光の夏」という映画になったそうで、一時展示されてあったそのピアノは佐賀県に返されたけれど、もう1台のピアノの持ち主である音楽家が経緯に感動され寄贈されていたのです。

 ホールに入ると、1000人を超える特攻隊員たちの遺影が壁を覆い尽くすように展示されていました。静かに微笑みさえ浮かべるその写真からは、精一杯職務をまっとうしようとする心意気が悲しいほどに伝わってきました。遺書や日記には、丁寧に書かれた文字がびっしり。家族との思い出が、すぐ映像になって現れるかのように優しい言葉で綴られていました。また、未来の日本へのメッセージを熱く書き記しているものもありました。館内に立ちこめる空気の温もりは、この情感あふれる文字からも発せられていたのでした。
 
 何か手がかりが新しく分かったら、きっと付け足していくのでしょう。遺影や展示品には付箋がところどころ貼ってあり、細かい出身地がペンで小さく書かれていました。また、手がかりのない隊員の情報を求めるコーナーもありました。無念に散っていった若い命のために画家たちが描き上げた油絵もいくつか飾られていました。
 館内には、父と同じ世代だと思われる人たちもたくさん訪れていました。遺影や遺品を見つめる涙で潤んだ瞳、そして、ふとこぼれる言葉はとても温かくそしてやりきれないほどの悲しさであふれていました。父が15年前に母とこの会館を訪れていたことを知ったのは、旅から帰ってきてからのことでした。今回、旅に出る前に「知覧に行って来る。」と話したとき、父はただ黙って頷いただけだったのです。戦時中、整備兵を務め、特攻機をも見送ったことのある父は、どんな思いでこの地を訪れたのでしょうか。父の世代にとっては、戦時中もつらかったでしょうけれど、戦後も同じようにつらかったに違いありません。「愛」と「哀しみ」のくり返し。それは何度も何度も残酷な形で訪れたのだろうと思います。

 小さいとき、父は、「ここだ!今ちょっと曲が変わったのがわかるかい?お父さんはこの転調する瞬間が大好きなんだ。」と言い、何度も何度も「ボレロ」を聴かせてくれました。
 2001年はけっしていい年ではありませんでした。「愛と哀しみ」のドラマは、これからも世界中で永遠にくり返されていくのだろうと思います。
 でも、「ボレロ」が終盤で転調し、クライマックス極まる中でみごとな終わりを遂げるように、父たちの人生も明るく安らかなものへと確かに転調しているのだと信じて疑いません。
 そして、2002年は、「愛と哀しみ」ではなく、「愛と喜び」のボレロが世界中の人々の心の中で奏でられるよう願ってやみません。