講座14>俳諧の発生と展開

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※ちょっと最初に書いてあることがわかりにくいですね。「くりさん」という人名からすると、これはHUE−NETに連載したときの記事のようです。HUE−NETは北海道教育大学函館校NETの事で、発足以来私はサブオペでした。今は・・・ないんでしょうね。(2001/06/10)


 くりさんの催促があったので、続けます。何の反応もないと読んでくれているのか不安になったりもするもんなんですよね。「わかんねぇーぞー」でもいいですから何か書いて下さい。

 でもくりさん、催促はこのボードでしてくれない?なお笑顔はキョン太のトレードマーク、別に金太郎さんに似てると思ったわけじゃないですよ。ん、似てるかな?

 ところで坂田金太郎さんの息子の金平(きんぴら)さんって知ってます?親父勝りの力持ちで、そのパワーの秘密がきんぴら牛蒡。「きんぴらごぼう」という料理の名前はここから来たんです。

 と寄り道しないで・・・

[資料編]**************************************************

  W 俳諧の発生と展開

 ○竹馬狂吟集(一四九九)より
<A>足なくて雲の走るはあやしきに
   何をふまへて霞たつらん

<B>王も位をすべるとぞ聞く
   縁までも油みがきの院の御所

<C>暗き夜に小便所をやたづぬらん
   そこと教へばやがてしと(尿・師と)せよ

<D>あながち(強ち・穴勝ち)なりと人や笑はん
   生まるるもまた生まるるも女ヲナゴにて

 ○新撰犬筑波集より
<E>霞の衣すそは濡れけり
   佐保姫の春立ちながら尿シトをして

<F>月日の下に我は寝にけり
   暦にて破れをつづる古ぶすま

<G>命知らずとよし言はば言へ
   君故に腎虚せんこそ望みなれ

<H>誠にはまだうちとけぬ仲直り
   めうとながらや夜を待つらん

<I>ふぐりのあたりよくぞ洗はん
   昔より玉磨かざれば光なし

<J>人を突きたるとがは逃れじ
   あはれにも越ゆる蚊遣りの死出の山

 ○守武千句(俳諧之連歌独吟千句−天文九年一五四〇成
  立)より
  飛梅やかろがろしくも神の春
   われもわれものからす鴬
  のどかなる風ふくろふに山見えて
   目もとすさまじ月のこるかげ
  あさがほの花のしげくやしをるらん
   これ重宝の松のつゆけさ
  むら雨のあとにつなげる馬のつの
   かたつぶりかと夕暮の空
      −以下略−

[解説編]**************************************************

 中世に入って百韻の形式が確立するとともに、連歌はその表現を洗練させて行き、その傾向は良基・宗祇の時代を通して一層進められましたが、誰もが良基や宗祇のような優美な作品を詠んでいたわけではありません。むしろ圧倒的多数の人々は、菟玖波集や新撰菟玖波集といった公的な撰集には採られるべくもない、庶民生活に密着した作品を詠んでいたのだろうと思われます。

 その多くは記録されることもなく詠み捨てられていたのだろうと考えられますが、新撰菟玖波集の数年後、15世紀の最末期に成立した『竹馬狂吟集』、更にその数十年後に山崎宗鑑によって編纂されたと伝えられる『新撰犬筑波集』(正式には「俳諧連歌抄」)に、そうした作品の一部が伝えられています。ここには前者から4つ、後者から6つ、比較的わかりやすいと思われる付合を抜き出しました。

 <A>は「雲が走る」という表現に対して、「足がないのに雲が走るってのは変だなあ」と無邪気に疑ってみせた前句に、「それじゃあ霞は何を踏んで立つんだい」と、これまた無邪気に切り返したもの。

 <B>は「王も位をすべる」、即ち退位することがあるものだという幾分政治的な内容をも持つ前句に対して、それは院の御所は縁まで油で磨いてあるからだよと即物的に応じたもの。

 <C>は暗い夜に小便所を尋ねるという卑近な前句に対して、「尿」と「師と」の掛け詞で、「そこと教えたらすぐにオシッコしなさい」、同時にこんな些細なことでも、教えを受けたのだから「師と」して尊敬しなさいと答えたもの。

 <D>の前句は「あんまりだと人が笑うんじゃないか」というかなり汎用性のある内容。付句作者はその「強ち」という言葉を「穴勝」にすり替えて、いささかHに付けました。

 実は両集を通して量的に目立つのは、このような猥褻なもの。しかしこれはかなり綺麗に付けた方で、露骨に性器の名前を出すものも多く、<I>がその1例です。また説明していると時間がかかると思って抜き出しませんでしたが、時代色を反映して男色関係の作品が目立ちます。中世俳諧の実態を知るためには例示した方がよいのですが、私が気持ち悪い。それから現在差別語とされている語を話題にして笑いの対象にするといったものも目立ち、これまた実際にある以上取り上げてもよいと個人的には考えますが、気にする人
もいると思うので取り上げませんでした。両集とも新潮古典集成の一冊として出ていますので、全部見たい方はそれをご覧下さい。

 さて『新撰犬筑波集』に移って<E>はその巻頭の付合。霞を「霞の衣」と言う「衣」の縁で「裾」を出し、その裾が濡れたとする前句に対して、付句は裾が濡れた理由を、春の女神である佐保姫が、立春の今日「春立つ」の縁で立ち小便をしたからだ、ととりなしたもの。猥褻、と言うよりは大らかな付け味なのだろうと思いますが、ともかく春の女神に対していささか失礼な付句ではありますね。但し女性が立ち小便をするというのは当時としては別に珍しいことではなかったそうで、女神をお転婆娘にしたというわけではないよう
です。

 <F>は「月日の下に寝た」という前句の「月日」を暦の月日に取り成して、旅寝を思わせる前句の世界を、破れた衾を暦でつづった貧しい人の姿に転じたもの。

 <G>については余り説明する必要はないですね。<H>もそうだと思いますが、夫婦喧嘩は夜になって解決するものだという付合です、と一応説明してしまった。

 <I>はさっき書いたように男性性器「ふぐり」を出した前句に、「玉磨かざれば光なし」という金言で応じたもの。

 <J>はいささか殺伐な前句に、それは蚊のことだったのだと無難に応じたものでした。

 『竹馬狂吟集』は中世最初の俳諧撰集として注目すべきものですが、撰者不明、また余り流布しなかったので、多くの写本版本となって流布した『新撰犬筑波集』の撰者と伝えられる山崎宗鑑が、次の荒木田守武と並んで、後世俳諧の祖と目されることになりました。

 その守武は伊勢神宮の神官。古くから伊勢神宮は連歌の中心地の一つで、そこの神官の間では連歌が愛好されていました。守武もそこの神官として純正連歌の詠み手としても活躍しましたが、ある時思い立って数年がかりで、全て俳諧の句だけを千句詠み通したというのが「守武千句」(正式には「俳諧之連歌独吟千句」、別名「飛梅千句」)。守武の目論見通り面白い作品であるかどうか、問題はありますが、試みとしては確かに画期的でした。

 なお「千句」とか「万句」とかいうのは、連歌でも俳諧でもあくまでも百韻を基本としたもので、百韻10巻をまとめたものが「千句」、100巻まとめたものが「万句」です。
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キョン太

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