横田濱夫著『はみ出し銀行マンの銀行消滅』
(2000年6月25日角川文庫)

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 家族旅行で青森の古牧温泉に行った帰り、青森駅の駅ビルの本屋で買い、函館に着く直前に読み終えました。ちょうどいい時間潰し。

 作者はたぶん元銀行マンなのでしょう。ペンネームはたぶん元の勤め先を暗示しているのでしょう。私は銀行員の生活なんて全く縁がないので、これが銀行の実態なのかどうか確かめる術もないですが、解説を書いている池井戸潤という人はこれまた元銀行員だったようで、その解説によれば、この小説に登場する「港の見える丘銀行とは、日本の全ての銀行の総称と言っても過言ではない。ここで行われていることはどこの銀行でも等しく行われていることであり、個別銀行に特化したことではないのである」だそうです。

 さてこの小説ですが、港の見える丘銀行分倍河原支店というのが消滅してしまう銀行支店。それが消滅するまでの過程を、行員で作者の分身らしい横田の立場から追っているのが小説の内容。

 日本の銀行は長年大蔵省の護送船団方式でやって来たため、大蔵省からの天下りが要職を占める。本部はこの天下り官僚と東大をはじめとする国立大出の行員達によって構成され、私大出は地方の支店のどさ回り。また支店を出すのは周辺の経済状況をしっかりリサーチしてからではなく、許認可制なので出せそうな所はどこでも申請書を出しておき、許可が出たら出すというものだから、赤字店舗が軒並み。そんな中で分倍河原支店は、行員達の必死の努力で開店10年目で黒字を出し次の年も大幅に業績を伸ばしている。

 ところがその支店を出すことを決定した天下りの副頭取が退職すると、その間押さえられていた反対派があれこれ画策。店舗を競合する別の銀行に信じられないほどの安値で売却し、赤字続きの戸塚支店に統合する。横田達は事前にその策謀を察知するけれどもどうしようもない。支店を買い取った銀行の行員達がやって来て、彼らを差別し、横田達は毎日12時を過ぎるまで移管作業に明け暮れ、中には病気になる人まで現れる。

 消滅を前にして多くの行員はばらばらに配置転換され、残された行員は更に仕事量が増え、移管直前は徹夜の引っ越し作業。時折顔を出す本部行員は、苦労する支店行員達を差別しとんでもない失礼な発言を繰り返すけれども、解雇を恐れる行員達は為す術もない。

 引っ越し作業のさなか、時々顔を出しては行員の神経を逆なでする猿渡という本部の副部長を、横田のほか真理ちゃん幻桐院といった支店行員達が金庫の中に閉じこめ、わずかに憂さを晴らすものの、支店消滅後彼らがどうなるかはわからないところで小説は終わります。

 銀行についての知識が私にあんまりないので、的確にまとめるのが難しいのですが、粗筋は大体こんなところでしょうか。印象に残ったところはあれこれありますが、一つだけ挙げると、銀行員の生活が余りに非人間的なところ。残業時間は限度が決められているので毎日7時何分かまでしか記録しないけれども、実はその後も仕事は続くので、夜中の12時に家に帰れればいい方。だから大学の恩師が死んで同窓生から案内が来ても、銀行に勤めた連中は誰一人として通夜・告別式に参列できない。横田は独身ですが、これでは結婚なんてなかなか出来ないだろうなあ。

 実は私の回りに何人か、元銀行員という人がいます。たとえば東大を出て銀行に勤め、何年かで辞めて大学院に入り直し、全く違う国語学の研究を始めたという人。何でやめたの?あっちの方がずっと給料いいのに、と聞いても余り話したがらない。でもこの小説を読んだら、わかるような気もしますね。

 たとえ給料はよくても、自分の努力がそうやすやすと銀行自体の業績には反映しないし、どんなに頑張って預金を集めたり融資の話をまとめても、上司が認めてくれなければ出世は出来ない。であらかたの上司は自分の出世とか生活の安定を求めているので、部下の努力の成果は出来るだけ自分の功績にしたがり、自分の失敗は部下に押しつける。良心的であればあるほどいづらい職場、のようです。

 悪いことばかりではないと思いたいので、ここに描かれているように多くのどさ回り行員達は毎日誠実に仕事をし、地域や客のことを真剣に考えたりもしているんだろうけれども、そういう人達は一生報われなくて、天下りや一部エリートだけが得をする、そういう職場なんだろうな、ということを考えさせる小説でありました。

 「はみ出し銀行マン」はシリーズ物で、他に勤番日記、乱闘日記、左遷日記、家庭崩壊、お子様教育、珍事件簿、悪徳日記、倒産日記、人事考課、金融崩壊といった作品があるそうです。ほかのも買って読んでみようか、という気にはさせてくれました。

 


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