高橋順子『連句のたのしみ』
(1997年1月30日新潮社)

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 「連句は<座の文芸>です。すなわち共同作品ですが、一人一人が個性的なほど、その作品は広がりと深さを増すという不思議なものです。本書では明治から昭和初期にかけて巻かれた子規、虚子、漱石、四方太、寅彦、東洋城、小宮豊隆、柳田國男、折口信夫の連句を鑑賞する傍ら、現代篇として実戦にのぞみ、その悪戦苦闘ぶりも披露、実作に役立つことを心がけました。友人たちをさそって、ぜひ連句の世界に一歩足を踏み入れてください」という著者自身による紹介が表紙カバーに付いています。

 

 何年か前に買って本棚に入れたまんまだったのを、今年(2001年)に入って引っ張り出しました。第1章「連句とは何か」は、完璧な初心者というよりほんのちょっとは知っている人向けに、あっさりと連句を紹介して、作者自身が一座した七吟歌仙「蟲しぐれの巻」を紹介しています。解説が長いと退屈してしまう人も多いですから、この構成は好感が持てます。ただ歴史についても式目についても、私とはちょっと認識が違うな、という点がありました。

「平安時代には、「短連歌」(一句連歌)と称して和歌の上の句と下の句を二人でそれぞれ詠むものだったのが」とありますが、「短連歌」という名称は後に出来た長連歌と対比して後世言い出された名称で、平安時代にそう称してやっていたわけではありません。(一句連歌)という名称は知らなかったです。短連歌は2句なのですが。
「室町時代末になって、連歌に俳諧(滑稽)の要素を盛り込んだ俳諧連歌が興った」とありますが、実は平安から鎌倉にかけて元々俳諧であった連歌が、南北朝時代の菟玖波集成立を契機に和歌化して雅の文芸になってしまった。室町末に俳諧が興ったのは、言ってみれば連歌本来の俳諧的要素が復活したのである、というのが私の認識。

 式目についても、たとえば膝送りと出勝ちの意味が私の認識と違っています。膝送りは「予め順番が決まっていること」という説明でいいですが、「出勝ちというのは、全員が句づくりをし、その中から適当と思われる句を宗匠と呼ばれる捌き手が選ぶのである」というのが違う。出勝ちは早い者勝ちということで、最初に作った人の句を、宗匠ではなく執筆(しゅひつ)が捌き、差し合いがあればご返句して同じ作者が作り直したのを出す。それで決まれば治定。なお差し合いがあれば次に作った人の句を捌く、というものであると理解しています。
 但しこれは遊びのルールなので、高橋さんの言うような方式を出勝ちと称して採用している人たちがいるのであれば、それもまた一つの方式、ということになるのでしょう。

 さて七吟歌仙「蟲しぐれの巻」ですが、作者それぞれの個性が表れて好感の持てる巻ではありますが、気になるところもあれこれ。著者自身も気にしていますが、人情の句が多くて叙景句が少ない。そのため人倫の差し合いになりそうなところがあちこちに。

24 鳥羽僧正も高笑ひする    仁
25 風狂のひと囲はれて山眠る 富
26 白洲正子のただならぬ目が 長

が特に気になるところで、25句を挟んで「鳥羽僧正」と「白洲正子」という二つの固有名詞が出ています。

32 朱の盆につむ豆の大福     富
33 切り炬燵私かに外す足袋の鉤 牙
34 炭焼き小屋に土筆粥炊く    蛍

 これは人倫ではなくて食物が打越に現れる例。著者自身「打越(前々句)が食物の句でちょっと気になるが、大福とお粥は相当ちがうとも言える」と書いてますが、そういう感覚は私にはわかりません。

35 妹は病み花見にゆかず添ひ寝する  長
36 くすぐったきは子猫の尻尾       泣

 挙句の前が恋句で挙句は当然恋でなければならないのに、恋になっていないのも気になりますね。

 以上は第1章のこと。第2章「歌仙気分で」は読んでいて楽しいです。石川淳・安東次男・丸谷才一・大岡信の「四吟歌仙 新酒の巻」に触れてから、職場の先輩と巻き始め、やがてそこに新しい人たちも加わったことなど。特に目を引いたのは、三輪さんという先輩が「ブツを持ってこなければ駄目だ」と言ったというエピソード。要するに句を作るためには抽象的な言葉では駄目で、具体的な物が必要だということ。初心者の句にはいたずらに抽象的で読者に何にも訴えるものがない、というものが多いです。それから最後の「完全無欠を目指すな」という節もいい。「まず始めることである。理論はよりよい歌仙を巻くためのもので、完全無欠を目指すためのものではない。完全無欠だが、ちっとも面白くない歌仙を巻いてみたところでしょうがない」という主張は、その通りだと思います。

 第3章「新しい人へ」はこれから連句をやろうという人に対してそのための心構えを説いた章、でもありますが、実は自分が常に新しい人でありたい、という意味も込めてあるようです。切れ字の説明などちょっと物足りない部分もありますが、役に立つ、と思われる心得もあれこれ。中で一つだけ抜き出すと、「共同でするからといって、没個性を要求されることはない。むしろ個性と個性のひびきあい、ぶつかりあいが歌仙の世界を豊穣にする。よい句を作ろうとするのなら、句会で鍛えるのがいいと思うが、楽しむためにするのなら歌仙に限る、と思う」というところ。連句とは楽しむもの、というこの本のメッセージが籠められているようです。

 第4章は「近代の連句」で、正岡子規と高浜虚子の両吟歌仙、虚子と坂本四方太、夏目漱石の三吟、小宮豊隆・寺田寅彦・松根東洋城の三吟、柳田國男・折口信夫の両吟の計4巻の鑑賞。近代に入って連句が衰えたのは子規が俳諧を批判して俳句を推奨したという通説に対して、子規ほどの人が連句に全く無理解であったとは思えないという著者の直観から、実は子規も連句に興味は持っていたので、通説を流布したのは虚子であったと推論。その上でこの二人による両吟を鑑賞することから始めて、数は少なくてもしっかり連句の火を灯していた人たちの作品を鑑賞しています。
 その解釈にはところどころ読めてないと思えるところもあって、たとえば柳田・折口両吟の

待たずしもあらず土堤の提灯     柳
淡路島通ふ千鳥に占どひて      空

を、百人一首の「淡路島通ふ千鳥の鳴く声に幾夜寝覚めぬ須磨の関守」を踏まえて、「淡路島から通ってくる千鳥の数やかたちで待ち人がいつ現れるのか一人占いをしている」と解釈していますが、これは江戸時代に恋の辻占というものがあって、少女がこの歌の最後の句を「恋の辻占」と言い換えて歌いながら、辻占というものを売り歩いていたのでした。一人占いではありません。

墨染めは汗に埃に任せつゝ      柳
ほしがる人にくれぬ芋種        空

を「芋が伝わった過程に、墨染めの衣の僧侶が関わっていたのかもしれない」と推測していますが、これは徒然草の盛親僧都の話(60段)。芋頭というものが好きで、「人に食はする事なし。ただひとりのみぞ食ひける」とあるのを踏まえているのでしょう。

 そういう問題はあるものの、あまり丹念に解読されることがなかった近代の連句を、ともかく解読してみたという業績は貴重だし、現代詩人の一人がどういう風に読んでいるのか、ということがわかる、という意味でも興味深いです。また各作者についての解説部分も楽しい読み物になっています。

 5章は「現代の連句」。著者自身が一座した作品3巻を取り上げて解説したもの。49歳の著者が48歳の車谷長吉さんと結婚し、出雲と隠岐に新婚旅行した際の夫婦での両吟、女流詩人3人で一座した三吟、男性二人と巻いた三吟の三巻を取り上げています。最初の両吟は、「新婚夫婦で巻いた両吟歌仙などは、猫も見向きもしないもののようである」と書いており、確かに猫は見向きもしないでしょうが、こういうのもいいなあと私なんかは思います。私が妻と両吟する、なんて、たぶんないだろうなあ。

 それぞれ鑑賞すれば傷もあるので、たとえば著者はどうも激しい句を好むようで、最後の三吟では

百鬼夜行のツアーグループ(ウ2)
鬼のなき世のそぞろに寒し(ナオ10)

と、鬼の句を2句詠んでいます。鬼は百韻の時代から一座一句物で、それを一人で2句詠むとは考えられない荒技。こういう傷はあるものの、連句は基本的に連衆が楽しめばいいので、その楽しさは行間から溢れています。もう一つだけ不満を言うと、この3巻に一座した人がみんな詩人・小説家・編集者といったいわば同業者ばかりであること。もうちょっといろんな職業の人が出て来たら、作品の世界も広がったんじゃないか、と思うのですが。

 以上、あれこれ批判的なことも書きましたが、それは全体から見ればほんの一部分であり、全体的には楽しく読めた本でした。(2001年1月8日)

 

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