岡村道雄『縄文の生活誌』
(2000年10月24日講談社。但し手元の版は11月10日発行の第2刷)

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 藤村新一という人の遺跡捏造が発覚して日本の考古学界は大混乱に陥りましたが、この本もその騒動の余波をもろに被った本のようです。中に藤村氏の名はあちこちに出て、その神の手を讃える記述があるとか。それで丸谷才一氏はこれは明らかな欠陥本だから、出版社は良心に従って回収すべきであるとどこかに書いた。ところがよくよく考えたら丸谷氏はこのシリーズの推薦者の一人だったことに気づいてはたと困ったという。それでどうしたのだったか覚えてませんが。
 藤村氏の業績を素直に信じてしまった著者や、そういう記述を疑いもせずに出版した出版社は当然反省すべきでしょう。将来もしこの本を改訂する予定があるならば、その時はシリーズ購読者には無料で配る、なんてことをしてくれたら嬉しいな、とは思うものの、藤村氏の業績を素直に信じていた段階で書かれた著作物、というのも一つの歴史的産物であり、持っている価値はあるのではないかと思うので、回収すると言われても困ってしまう。私は返しません。

 ところが2000年12月21日の複数の新聞報道によると、講談社はこの巻の販売を中止。事実上の絶版にして来夏内容を差し替えたものを出版し、既に購入した人には改訂版と取り替えるとか。取り替えられるのは困るなあ。新しいのは欲しいけど。

 ともかく読み始めてみると、なるほどすごいですね。まず第1章「「原人」たちの秋」冒頭、「1 日本列島人の起源」という節の1ページ目(ページ数は012ですが)から登場します。本文3行目から引用。

 一九九五年、宮城県築館町上高森遺跡で、六十万年前のものと思われる地層を掘っていた人たちの間に衝撃が走った。
 先ほどから黙々と土を掘っていた石器発見の名人、藤村新一氏が突然、「ここだけ土が円く軟らかい。小さな穴があるんじゃないか」といいはじめた。彼が慎重に竹串を刺して土の下を探っていくと、手ごたえがあった。少しずつ掘り進むと、石器が顔をのぞかせた。

 次に同じ節の終わりの方で、「旧石器発見の「神様」と、全国への広がり」という小見出しのある部分から。

 これら(山形県尾花沢市の袖原3遺跡とか北海道の総進不動坂遺跡等の旧石器が発見されたという遺跡群)は、鎌田俊昭・藤村新一・梶原洋各氏らによる民間の研究団体「東北旧石器文化研究所」が中心になって、ほとんどの調査研究を進めている。とくに石器の発見は、冒頭に紹介した、当時会社員であった藤村新一氏の独壇場で、みんなで石器探しに出かけても第一発見者はほとんど彼であった。(中略)
 その後も彼による遺跡の発見は続き、馬場壇A遺跡など宮城県内の重要遺跡、関東地方で初の中期旧石器文化が確認された多摩ニュータウン471-B遺跡、山形・福島県あるいは北海道石狩川中流域の総進不動坂遺跡での前期・中期旧石器時代遺跡の発掘調査は、すべてといっていいほど彼の発見を契機としている。彼が遺跡を探し求めて歩き回る範囲がそのまま、前期・中期旧石器文化が確認された範囲と同じであるのも、彼の業績のすごさを証明している。
 私たちが発掘調査区を設定して掘り進め、地質学者の所見も踏まえて地層の古さの見通しが立ち、ようやく目あての石器が出土しそうな層位に到達しても、なかなか石器は発見されない。疲労がたまった頃、待ちに待った休日を迎えた彼が、やおら現れて黙々と掘りはじめる。すると発掘現場に緊張感が走り、やがて発見の勝ち鬨が上がってあたりが途端に活気づく。石器集中地点(数十点の石器が平面的にまとまった場所)と呼ぶ場所をみんなで一通り掘り終わると、彼は緊張が解けてぐったりと疲れていた。(023〜025ページ)

 思うにここら辺は新聞でも何度となく紹介されたあたりですね。読み始めてすぐにこういう記述が出て来るのでした。書いた人は確かに恥ずかしいでしょうね、これじゃ。

 とはいえ、全部読み通してみれば旧石器発見に関わる記述は、全体の中ではごく一部でした。「縄文の生活誌」というタイトルですから、それは当然。で縄文時代についての記述は、専門家じゃないのでわかりませんが結構読み応えがありました。たぶん著者は石器時代の専門家ではないのでしょう。石器時代の専門家達が藤村氏の業績を評価しているならばそれを尊重せざるをえなかった、ということなのでしょう。勿論自分の著書として書く以上、書いたことには全て責任を持たなければならないのが当然ではありますが。

 で、縄文時代に関しては、三内丸山遺跡をはじめとする新発見の遺跡発掘成果を踏まえて、縄文時代が気候と食物に恵まれた結構豊かな時代だったこと、弥生人とは朝鮮半島から渡って来た人達であったという従来の常識に対して、実は渡来人はわずかで、縄文時代人が稲作を受け入れたのだ、という見通しを示すなど、従来の教科書的知識を覆す提案をしていたりして、結構充実した内容なのではないかと思います。

 但し、私が読み終えるまでに半年もかかってしまったのはなぜでしょう。1.私が怠け者だから、2.私の読書がのろいから、3.私が気まぐれであっちこっちに寄り道するから、4.著者の文章が若干散漫で読者の集中力を妨げるから、とあれこれ理由は考えられますが、真相は不明。ともかくそうこうするうちにこのシリーズ、後続の巻が次々出版されて、本棚に溜まるだけという現実があるのは確かです。はよ次に進みたい。(2001/6/18)


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