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クイズ【95】
思想家の名句
LAST UPDATE 2003-09-18

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【95】出題日時 2003年 9月10日(水)15時10分
 思想家の名文句は数ありますが、次の人物と言葉を組み合わせると余るものが出てきます。さてどれでしょうか?
《人物》
 A イエス   B キルケゴール  C 孔子 D 聖徳太子 E 親鸞
 F ソクラテス G デカルト  H ニーチェ I パスカル J 福沢諭吉
《名句》
 1 悪法もまた法なり    2 己の欲せざる所を人に施すなかれ
 3 神は死んだ       4 善人なをもて往生をとぐ、いわんや悪人をや
 5 天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらずと云えり
 6 人間は考える葦である 7 人はパンのみにて生くるにあらず
 8 我思う、故に我あり  9 和をもって尊しとなす

正解者・・・・じゃいママ▽・。・▽さん、Kubocchannさん、ケムンパスさん →3ptゲット
(得点表)

解説と解答

 このところ、授業ネタが多くて、どうもすみません。

 イエスは、ご存じキリスト教の開祖とされる人物ですね。福音書(ゴスペル)という彼の言行録が、人類史最大のベストセラーと言われる新約聖書のメインですから、彼の名句は数限りなくありますね。「人はパンのみに生くるにあらず」も彼の有名な台詞です。誰ですか?「パンだけではのどが渇く」なんて言っているのは!

 キルケゴールは、デンマークの実存主義哲学者で、10歳年下のレギーネとの婚約破棄を大衆誌コルサールにあげつらわれた元祖マスコミ被害のような人です。そうしたマスコミに扇動される大衆を批判し、個人の主体性を説くわけです。それを、「あれかこれか」と表現したんですね。ヘーゲル的な客観的真理を「あれもこれも」と評し、それに対して「あれかこれか」の主体的真理を説いたのです。

 孔子は、諸子百家の初期の代表的人物ですね。儒教の開祖のように言われますが、「怪力乱神を語らず」とも語っているように非合理なことや神秘的なことを排した思想家です。諸子百家とは春秋戦国の乱世に勝ち抜く法や乱世自体を克服する思想を説いた人々のことですが、孔子は人間同士の意志疎通・信頼回復のために仁と礼を説くんですね。彼の言葉は弟子が「論語」としてまとめていますが、「己の欲せざる所を人に施すなかれ」もそうした彼の代表的セリフです。

 聖徳太子は、百済系の王族の子孫に当たる渡来系の人物ですが、十七条憲法制定でも有名ですね。憲法といっても、実は公務員服務規程のことで、その第一条が「一に曰く、和を以て貴しとなし、忤(さから)ふること無きを宗(むね)とせよ」です。個よりも集団を優先する現代日本社会を批判する時にもよく持ち出される文言ですね。

 親鸞は、浄土真宗の開祖ですが、弟子が記した歎異抄の本質が新約聖書に酷似していることから、クシャーナ(クシャン)朝期に成立した大乗仏教の菩薩信仰をメシア思想の影響とし、親鸞がキリスト教的影響部分を純化したのが「絶対他力」だとする考え方もあります。豪勢な寺や仏像をこしらえる貴族のような自力作善の人よりも、貴族から「悪人」と蔑まれていた貧乏人や賤民こそが、他力にすがり、衆生救済の対象として極楽浄土に往生できるのだ、とするのが「善人なをもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」という言葉の意味ですね。kurochanは親鸞の「屠沽の下類〜はみな、いし・かわら・つぶてのごとくなるわれらなり」という言葉も大好きなんですけどね。

 ソクラテスは、古代ギリシアの代表的哲学者。元祖サポーター宣言ともいうべき「知の産婆」「アテネの虻」という言葉に彼の思想の本質が現れています。つまり、デルフィ(デルフォイ)の神託で神から評価されたのは、彼が無知を自覚していたからであり、「無知の知(自覚)」が人間としての、また真理探究の大切な姿勢だとして、彼自身は無知だとしながら無知の自覚の大切さを説いて回る彼の立場を示しているのです。その彼が、「エライ」人々にハメられて死刑判決を受けるのですが、弟子達の脱獄の勧めを断った時のセリフが「悪法も法なり」です。ただしこの言葉は、自らの不作為を棚上げしない潔さだとする解釈と、女性差別や奴隷制を擁護する男性市民階級への犠牲発言とする解釈があり、その真意は不明です。

 デカルトは、認識論哲学における大陸合理論をうち立てたフランスの思想家ですね。さて、あなたは今、夢を見ているか目覚めているかどちらか分かりますか?中国の荘子は分からないとしますが(胡蝶の夢)、デカルトは分からないながらもそのことについて考えている意識は確かに存在し、だからこそ自分は実在すると考えます。これが彼のいう哲学の第一原理、「我思う、故に我あり」です。物質と意識を二元的にとらえる思想は、科学技術の発達を促しますが、現代社会の物質的反映をもたらした反面、心の貧困を生んだという批判もあります。彼自身もその辺を予見したのか、論理的演繹的に道徳を説こうとしますが、少々無理があったようです。

 ニーチェは、体力的についていけずに軍隊を除隊したりしますが、弱さをコンプレックスとして思想を展開したと思われます。生きる力を鼓舞する積極的側面と、弱きものへの嫌悪が生む権力社会礼賛の側面を、キチンと分けて評価すべきでしょうね。19世紀ヨーロッパ文化の退廃の原因を「か弱き子羊」のための奴隷道徳キリスト教とし、キリスト教のルーツでもあるゾロアスター教の開祖ゾロアスター(ツァラトゥストゥラ)がキリスト教をこき下ろす設定で書かれたのが「ツァラトゥストラはかくかく語りき(こう言った)」ですね。「神は死んだ」と宣言し、人間が「神に仕える」立場から「主」の立場になるべきだと説くわけです。kurochanも高校時代に「超人」にあこがれたものですが、ファシズムにも利用された彼の思想は、やはり危険性をはらむと思いますよ。

 パスカルは、哲学者であり数学者・物理学者でもあるというフランス人ですが、人間の偉大さを思考力にみました。河原の葦のようにか弱き人間だけど、葦をいとも簡単に押しつぶす大宇宙を思考し理解することができるところに人間の尊厳があるんだというわけです。また葦は、聖書に数カ所登場していることから、神に選ばれし存在ということも意味しているようです。彼の遺稿集を「パンセ(瞑想録)」といいますが、物思う姿に見えるところからパンジーという花の名がつけられたようですよ。

 福沢諭吉は、お馴染み一万円札のおじさんですが、慶應義塾大学の創設者として有名ですね。ところが、慶応関係者以外には、受けが良くないのが諭吉さんです。「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」は「学問のすゝめ」の冒頭部分ですが、これは彼の言葉ではありません。「と云えり」と続いているのが大切なんです。つまり、アメリカ合衆国憲法にはこういうふうに書かれてあると紹介しているだけなんです。理想はあくまで理想で、現実にいい目をみるための「学問のすゝめ」なんですね。父親が同じ武士でも格下だったことから、身分制への反感があったのは確かですが、彼が平等思想を展開したとは言えないというわけです。障害者差別や朝鮮人差別、被差別部落民への差別などが彼の著書や言行に数多く記録されています。まさに、「学問のすゝめ」と同じ年に、視覚障害者やハンセン氏病患者など、身体障害者を露骨に差別する小説(「かたわ娘」)を発表していることからも明らかです。「福翁自伝」でも被差別部落民とつきあう母親を批判し、慶応大学の学生には「朝鮮人みたいだ」と叱りつけ、中国侵略戦争支持のために精力的に募金活動をするなど、数え上げたらきりがないようです。もちろん功績もあるんですけどね。

 解説が長くなりましたが、正解はBのキルケゴールです。