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クイズ【204】
聖武天皇
LAST UPDATE 2005-11-24

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【204】出題日 2005年11月17日(木)
 聖武天皇は、奈良時代で最も長期間、天皇を務め、奈良の大仏造立を命じたりもした人物。さて、彼は生後間もなく母と引き離されて伯母に育てられ、父とも間もなく死別します。さて、実母と引き離されたのは、実母の病気のためとされていますが、その裏にはあるねらいが隠されていました。それは何でしょうか。
 A 実母が長屋王の血を引くことを隠蔽するため
 B 藤原不比等の娘である伯母(父の異父姉)を天皇の母とするため
 C 律令の規定では天皇にはなれない聖武を天皇にするため
 D 道鏡と親しくなった実母を排除するため
応募締切 2005/11/24(木)午前6時 難易度・・・・★★★
正解者・・・・フーセンの羊さん→3ptゲット
(得点表)

解説と解答
 聖武の実母は藤原不比等の娘である宮子です。律令の規定では、天皇の両親は皇族でなければならないとされていました。ということは、天皇家以外の血を引く人間は天皇にはなれないということになりますね。なぜなら、天皇家以外の血を引くということは、父母のどちらかが皇族ではないということになるからです。この原則からすれば、聖武(首[おびと]皇子)は、天皇になる資格がありません。ところがここで裏技がなされます。持統・文武・元明・元正と、4代にわたって天皇に仕えた不比等は奈良時代初期の大物ですが、藤原家の血を天皇家に入れようと画策したのです。つまり、天皇の先祖になろうとしたわけです。

 ここで、天皇家の系譜を説明しておきましょう。天智(中大兄皇子)の弟[実は天智の異父兄ともいわれています]である天武(大海人皇子)が、天智の子である弘文(大友皇子)を攻め滅ぼして、権力を力づくで奪い取ったのが壬申の乱。天皇のカリスマ性を高めた人物です。天武亡き後、皇后持統と草壁皇子が後を継ぎますが、結局草壁が28歳で若死にしたため、草壁の母、持統が即位しました。持統から皇位を受け継いだのが、18歳になった孫の文武です。しかし、文武も父より若く25歳で亡くなります。孫の文武に皇位を譲った持統が亡くなった年に生まれたのが、首皇子(聖武)でした。

 先ほども書いたように、聖武の母の宮子は、皇族ではありません。本来なら天皇にはなれない聖武ですが、実母宮子とは生後すぐに引き離され、父文武の姉に育てられたのです。育ての母は皇族であるという裏技です。律令にうるさい長屋王も不比等と仲が良かったため、不比等の娘が天皇の母であることに口を挟むどころか、むしろフォローしていたぐらいです。生後すぐに母と引き離された聖武は、父の文武とも3歳で死別します。ということで、正解は「C」です。

 実は、聖武は母の妹(光明子)と結婚しました。祖母草壁が、母持統の妹元明と結婚したのと同じパターンです。ちなみに元明と草壁の子が文武です。聖武と光明子にまつわる話も多々あるのですが、これはまたの機会に出題しましょう。