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クイズ【169】
アボリジニの聖地
LAST UPDATE 2005-02-23

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【169】出題日 2005年 2月16日(水)
 アボリジニの聖地とされているのは、次のどれでしょうか?
 A ウルル      B グレート=バリア=リーフ
 C ディジェリドゥ  D ユリイカ=ストッケード
応募締切 2005/ 2/23(水)午前6時 難易度・・・・★★★


正解者・・・・フーセンの羊さん、モリモリさん、neko.さん、じゃいママ▽・。・▽さん
ようちゃん、Kubocchannさん、ケムンパスさん→3ptゲット
(得点表)

解説と解答

 アボリジニは、5〜6万年前(一説では10万年)に、ニューギニア・マレー半島・スリランカからオーストラリアへ渡ってきた人々で、オーストラリアの原住民といわれていますよね。

 その間、戦争を起こさず、自然と調和し、絶滅もせず、人口爆発も抑制しながら部族社会を維持してきた彼らは、トーテミズムと呼ばれる完成度の高い生活規範を作り上げ守ってきたのです。そして、独自の神話・芸術を持ち、高度に組織化された社会を築き、合理的な自然生活を営んできたわけですから、極めて優れた民族であるといえますね。
 欧米や東アジアの近世的価値観で、彼らを見下してきた歴史を反省しなければなりません。

 ところが、1788年にイギリス人がオーストラリアに流刑地を建設したころ約30万人いたとされるアボリジニが、1920年の調査では5分の1の6万人まで激減しています。白人に土地を奪われ、命を奪われ、病気をうつされてきた結果です。

 19世紀半ば頃からは、白人たちの中から、アボリジニを「保護」し「救済」する運動も起こり、アボリジニ文化の豊かさを高く評価すべきだという訴えもなされるようになります。設置されるようになった「保護区」の弊害も認識され、移動の自由も認められるようになりますが、白人社会ではまだだ見下げられた存在でした。
 それでも第一次世界大戦や第二次世界大戦に従軍させられ、第二次世界大戦で日本軍が捕虜にしたオーストラリア兵の中にもアボリジニがいたわけです。とろこが、オーストラリア政府がアボリジニを人口統計に加えたのが、1968年と言いますから驚きですね。

 アジア系の移民も多いオーストラリアは、1970年代には、白豪主義を捨て、文化多元国家をめざし始めますが、景気の低迷で、白豪主義が復活しつつあるとも言われています。さて、実際のところはどうなんでしょう。2005年3月後半に、kurochanは仕事でオーストラリアに行きますが、そのあたりの感触を少しでもつかんできたいと思っています。

 さて、ウルルとはアボリジニの言葉ですが、いわゆる「エアーズロック」のことです。オーストラリア大陸のど真ん中に位置する、世界最大の一枚岩ですね。このウルルを聖地と見なし、決して登ることがないアボリジニたちは、嬉々としててっぺんに登っていく観光客をどんなふうに見ているんでしょうね。正解は「A ウルル」です。