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クイズ【112】
ニューハーモニー村
LAST UPDATE 2004-01-21

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【112】出題日時 2004年 1月14日(水)15時00分
 ロバート=オーウェンは、イギリス最大の紡績工場主の地位と財産を投げ打ち、公平な労働と分配をめざした理想社会を求めて、北米インディアナに購入した広大な土地でニューハーモニー村を始めますが、この試みは4年目に失敗してしまいます。さて、その直接の失敗の原因はなんだったのでしょうか?
 A)作付品目の失敗による栄養の偏り
 B)天候不順による不作
 C)厳しい男女差別
 D)キリスト教の強制

正解者・・・・じゃいママ▽・。・▽さん →3ptゲット
(得点表)

解説と解答


 この解説を書くために、今朝からGoogleで「ニューハーモニー村」をキーワードに検索すると、このクイズ第112問の出題ページがトップに出てきて苦笑してしまいました。で、その他のサイトを26件ほど一通り開いてみたんですが、失敗の直接の原因については、見あたりませんでした。ということで、僕がかつて読んだ本の記憶でこれから作文します。

 そもそもロバート=オーウェン(1771〜1858)はどんな人物かというと、イギリスに生まれ、奉公人として各地を転々としながら10代を過ごし、21歳でマンチェスター最大の工場支配人に就きます。業績を上げた彼は、27歳でニュー=ラナーク工場に移り、イギリス一の大工場を経営する「紡績王」として名声をはせ、「世界の工場」イギリス産業界でトップの座に上り詰めるわけです。

 17時間労働が当たり前の当時、夫婦共働きで幼子を自宅に残して出勤する労働者家庭では、0歳児のアルコール中毒が蔓延し、死亡する乳幼児も多かったようです。オーウェンはそうした社会状況に胸を痛めていたようで、独特の労務管理で有名になります。当時の労働者の劣悪な生活環境を改善することが、無知や道徳的な退廃を克服することにもつながると考え、彼は工場内に保育所を設置し、子連れで出勤するように社員に指示するわけです。オーウェンにとって、この保育所は、利益追求の事業ではなく、社会改良のための教育的実験だったんです。これによって、それまで毎日17時間もの間、酔っぱらわされて眠り、目覚めてからは泣くしかなかった幼児たちは、工場内の保育所で友達とともに遊んだり、本を読んだりすることができるようになったのですね。これは、親にとっても劇的に嬉しい状況で、従業員の労働意欲も増して、結果的に工場の収益が上がるんですね。その他にも、家庭での親子や夫婦の会話を増やすようにしむけようと勤務時間を短くしたりと、利潤追求とは違う尺度からしたことが、結果的には利潤にもつながるという、奇跡的経営を実践したんですね。

 また、労働者の生活を追いつめる不況や失業は生産過剰に原因があるとみた彼は、適正な生産と公平な分配を実現する自給自足的な経済システムを提起します。また、子どもたちの教育・信仰の自由・男女平等を保障し、公正な選挙制度に基づく行政のあり方まで考えた理想社会の設計図を作ります。なんと、健康を維持するための栄養素のバランスまで考えて、農産物の作付け割合を決めました。基本的には、春・夏・秋はみんなで農作業に従事し、冬は食器や衣類などの製造に従事するのですが、作業効率も考えあわせ、それらの生産と分配を適正に行うには、900人程度が役割分担しながら自給自足共同体を形成するのが理想であるとのモデルまで描いてしまったのですね。

 そして、私財をなげうち、ちょうど売りに出ていた北米インディアナ州に広大な土地を購入し、1825年から「ニューハーモニー村」を開始したのです。世界各地から約960人の人々が集まったようです。もちろん、当時は江戸時代の日本では宣伝されなかったんですけどね。

 同時期のサン=シモンやフーリエといった空想的社会主義学者たちも理想社会の設計図を構想していたんですが、それを実際に実現しようとしたのがこのオーウェンだったのです。

 さて、その「ニューハーモニー村」は、必要なだけ生産し、公平に分配するというのが大原則ですから、それまでの過酷な労働状況から解放され、逆に豊かな生活が保障されることになりました。ところが、それも3年しか続きませんでした。4年目には失敗して解散せざるを得なくなります。その直接の原因が今回のクイズなんですが、どうやら天候不順による不作で、食糧不足に陥り、分配をめぐってもめたようです。ということで、正解は「B」です。

 ただし、根本的な原因は、そうした危機を乗り越えられなかったこの村の住民の意識の問題であり、また「理想社会を維持しようとする意志」を共有させられなかったオーウェンの設計図が原因であるともいえます。

 しかし、彼の壮大な実験の理念は多くの労働者に大きな反響を与えましたし、また彼自身も、誰かが設計図を描くのではなくて労働者一人一人が理想社会を求める意識をもつことが大切であると考えて、協同組合運動や労働組合運動を組織するようになります。彼自身は、莫大な資産をすべて失い、晩年は寂しく没したようですが、その生き方と理想は、労働者の組織や工場法の制定につながり、今日の労働組合運動やILO(国際労働機関)につながっていると言えますね。

 オーウェンもまた空想的社会主義者にくくられることが多いわけですが、社会主義の是非はともかく、彼のようなロマンチックな生き方は、ある意味で理想ですよね。