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【103】出題日時 2003年11月10日(月)20時39分25秒 第一次世界大戦時、ドイツの西部戦線は膠着状態が続きました。さて、150万人もの死者を出したソンムの戦いで初めて登場したといわれる兵器とはなんでしょうか? A 戦車(タンク) B 毒ガス C 潜水艦 D 爆撃機 |
「戦争には、善も悪もない。戦争そのものが悪だ」とは、まさに真理だと思いますが、「戦争」という「金儲けの茶番劇」が、戦場の兵士のみならず、いわゆる銃後の市民にまで、犠牲を強いる「総力戦」と呼ばれる段階に入ったのが、第一次世界大戦ですね。
19世紀後半のビスマルクの登場で、分裂していたドイツが統一されますが、やがて即位したヴィルヘルム2世はビスマルクを引退させて、「3B政策」と呼ばれた、西アジア・インド方面への侵略政策を展開します。これに対し、イギリス・フランス・ロシアは、三国協商を形成してドイツを中心とする三国同盟を包囲します。そして、ドイツに痛い目をあわせようとチャンスを窺うわけですが、二回のバルカン戦争を経て緊張が高まり、サラエボ事件をきっかけに大戦が勃発しまた。
サラエボ事件とは、ボスニア=ヘルツェゴビナの領有をめぐる対立を背景に、セルビア人右翼がオーストリア皇太子夫妻を暗殺した事件です。ロシアがセルビアに、ドイツがオーストリアにつきますが、ドイツはまずフランスを攻めてパリを陥落させた後、ロシアを攻めるというシュリー=フェン=プランを実行に移します。しかし、ドイツ軍の強引なベルギー通過に対し、ベルギー人民が激しく抵抗、これを根拠にイギリスが参戦、フランス軍は体勢を整え、ドイツのシュリー=フェン=プランは失敗、西部戦線は泥沼の戦いに陥ります。「西部戦線」とはドイツ西部=フランスとの国境周辺の戦いをさしますが、「西部戦線異状なし」という反戦小説・映画でも、耳にすることがある言葉ですね。
1914年の8月始め、「クリスマスまでに帰る」と出陣したはずのドイツ兵でしたが、31ヶ国が参加することになった第一次世界大戦が終わったのは、1918年の暮れでした。この大戦争では、毒ガス兵器・ツェッペリン飛行船・ゴータ型爆撃機・戦車(タンク)・潜水艦(Uボート)と、新兵器が次々と用いられ、また、物資を次々と戦地へ送らねばならない総力戦となり、戦死者だけでも1000万人にも及ぶ悲劇となりました。
1916年7月から11月まで約4か月続いたソンムの戦いは、初日の7月1日、30キロを越える荷物を背負った未熟な新米兵たちがほとんどだったイギリス軍がドイツの機銃掃射を受けて5万7000人以上が戦死するという悲劇から始まりました。この日は、第一次世界大戦での戦死者の最悪の記録と言われます。9月に入り、イギリスは「マーク1型」戦車を投入し、兵器としては威力を発揮しますが、たったの9台では戦局を左右するほどではありませんでした。この戦いでの戦死者は120万人とも150万人ともいわれます。正解は「A
戦車(タンク)」です。
同じ年の2〜12月にかけて繰り広げられたのが、ヴェルダン要塞の攻防です。10か月に及ぶ戦いで、ドイツ軍が、前年に初めて使った毒ガス兵器をここでも使いますが、風向きが変わって自軍がやられるという悲惨な事件も起こりました。毒ガス兵器は残酷過ぎるとして、すでに1907年のハーグ議定書で禁止されていたにもかかわらずです。この戦いでは、70〜80万人の戦死者を出しましたが、両軍の戦線は開始前とほとんど変わりませんでした。史上まれにみる消耗戦といわれる所以です。