クイズ【70】
イラクと米国の蜜月
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2003-03-17
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【70】出題日時 2003年 3月11日(火)20時47分54秒
80年代前半、米国とイラクは大変仲が良く、イランと戦うフセインをレーガンは徹底応援していました。仲良くなったきっかけは、イランイラク戦争で攻勢に転じたイランへの対策だといわれます。さて、その戦争のきっかけになった1979年のイラン革命で親米政権が倒れた後、イランで実権を握った宗教指導者は誰だったでしょうか?
A パフレヴィー B ラムズフェルド
C ホメイニ D ビンラディン |
正解者・・・・Kubocchannさん、じゃいママ▽・。・▽さん、ケムンパスさん →3ptゲット(
得点表)
解説と解答
緊迫した情勢のイラク戦争問題ですが、米国のイラン敵視には、ブッシュやパウエルの表面的な言葉からは見えてこない背景があるようです。
そもそも米国が主張している大量破壊兵器は、核兵器開発資材も含めて、レーガン政権時代に米国自身によって供給されたものなんですね。
なぜそんなものを米国がイラクに供給したかというと、隣のイランで、パフレヴィー2世親米独裁政権が1979年のイラン革命で倒れ、その後ホメイニが主導するイラン政府は、反米・反ソの姿勢を明らかにし、アラブ諸国とも対立するんですね。そして翌年、国境問題の小競り合いから9年にも及んだイラン=イラク戦争が勃発します。革命により弱体化していたイラン軍は、緒戦では劣勢だったんですが、命を奉じるかのごとくの国民の犠牲により、やがてイラクを席巻しはじめす。周辺諸国も「革命の輸出」をおそれますが、石油支配に支障をきたしたくない米国は、何としてでもイランの勝利を阻止しなければならないと、なりふり構わず徹底的にイラク支援に乗り出します。これが80年代前半の、イラクと米国の蜜月です。現米国国防長官のラムズフェルドは、当時民間人でしたが、レーガン大統領の密使として、バグダッドのフセインに親書を手渡しに行っているんですよ。というわけで、正解は「C ホメイニ」です。
1990年、イラクのクウェート侵攻で、米国のイラク支援は終わりを告げますが、湾岸戦争もまたCNN等の相当な情報操作によって米国の石油利権が覆い隠されていたことは、やがて米国では周知の事実になったようです。
イラクが民主国家だとは言えないかもしれませんが、イラクを「悪の枢軸」とまで言う米国の主張には、あまりに手前勝手な「エコノミック=キラー」ぶりが見え見えだし、多くの罪無き犠牲が確実に予想される事態を見過ごすわけにはいかないと、kurochanも強く思うんです。
クイズの解説というより、「時の話題」風になってしまいましたね。 (^^ゞ