クイズ【54】
モンゴル帝国
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2002-11-09
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【54】出題日時 2002年11月1日(金)16時30分
チンギス=ハン(ジンギスカン)がリーダーになってから急激に強くなり、あっという間に史上最大の大帝国を築いたモンゴル帝国ですが、その強さの背景にはいろいろな要素が指摘されています。さて、強さの要因として次にあげたもののうち間違っているものはどれでしょうか?
A 驚異的成長スピードの穀類を戦地で大量栽培し豊富な食料を得ていた。
B 驚異的視力で30q先の人物の顔まで判別し大量で正確な情報を得ていた。
C 驚異的組織力は厳罰を伴う法で維持され組織的集団戦法で他民族を圧倒していた。
D 驚異的持久力を誇る乗換用の馬を各人7〜8頭も持ち恐るべき進軍速度だった。 |
正解者・・・・みみさん、じゃいママ▽・。・▽さん、ケムンパスさん →3ptゲット(得点表)
解説と解答
古いタイプの歴史学者は、文献をことさら重視する傾向があります。そのため、騎馬民族は研究に値しない「レベルの低い」民族だとされてきた傾向がありました。しかし、最近では騎馬民族こそが世界の歴史を作ってきたのではないかとさえ言われることがあるほどです。歴史上有名な騎馬民族は多々ありますが、史上最大版図の大帝国を築いたのは、モンゴル帝国です。モンゴル帝国軍の強さは群を抜いていたのですが、その秘密はいろいろと解明されています。
小型だけれど強靱で大量のモンゴル馬を兵士一人が数頭引き連れて進軍しますので、時々乗り換えることで、進軍スピードが維持できたわけです。また負傷した馬は、一匹で帰巣させましたし、最終的には馬の血も肉も骨も皮も尾までもが衣食や各種道具類として利用されました。さらに、軍事組織・行政組織が確立しており厳罰を伴う規律が徹底されていたことや、軽量の馬具や馬上で扱いやすい小型の弓矢や火砲(てつはう)などの武器の開発がすすんでいたこともあり、モンゴル軍の機動力はすさまじいものだったようです。また、現代人も潜在的にはその能力を有していると言われますが、彼らの視力は5.0程であったといわれます。30q先の人物を見分ける事ができたようです。そのため、彼らのもつ情報の量と質は、他民族のそれと比べて格段に違いがありました。そして活動範囲の広さは、文明の相対化の視点ももたらしていたようです。言い換えれば、農耕定住民の文化を比較しうる視野を持ち、活動範囲の狭い多くの騎馬民族が農耕民への劣等感から同化志向のパターンにはまった道をたどらなかったとも言われています。ということで、正解はAです。
情報と実力と自信を兼ね備えたモンゴル帝国が無敵であった理由はここにあります。といっても、海軍力はありませんでした。インドネシアや日本への遠征に失敗したのは、海軍力のなさと、被支配民族の抵抗があったからで、決して「神風」なんかが原因ではないんですよ。