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クイズ【33】
LAST UPDATE 2002-07-01

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【33】出題日時 2002年 6月 9日(日)13時07分16秒
 息子の彼女に惚れてしまい、部下に命じて別れさせ、自分のもとに呼びよせてからは溺愛のあまり本来の仕事もそっちのけ。そのため菅原道真が遣唐使を廃止するという事態を招いた歴史的エピソードがありますが、さてその「息子の彼女」とは誰でしょうか?☆ヒント:「息子」は中国皇帝です。

正解者・・・・ケムンパスさん →3ptゲット(得点表)

解説と解答

 すみません。かなり飛躍した問題になってしまいました。「そのため菅原道真が」というより「そのため起こった内乱後は衰退の一途をたどり、やがて菅原道真は」とすべきでした。ヒントによって無理無理答えていただいたようで、お詫び申し上げます。

 唐の時代は、李一族の時代ですが、三百年間に三度ほど特に栄えた時期があります。「開元の治」と呼ばれた玄宗(げんそう)皇帝の時代もその一つです。

 中宗(ちゅうそう)の皇后の韋后(いこう)が、先の皇帝の死後権力をふるった則天武后(そくてんぶこう)を真似て権力を握ろうとして、中宗を毒殺する事件が起こります。しかし、殺された中宗のおい李隆基(りりゅうき)が韋后を殺し、中宗の弟の父睿宗(えいそう)を即位させます。やがて李隆基自らが玄宗皇帝として即位してもたらされたのが「開元の治」でした。

 ところが、玄宗が56歳(740年)の秋、息子(皇太子)の若妻に惚れてしまったのです。彼女は22才の楊玉環(ようぎょくかん)でした。聡明な彼女は歌舞音曲にも優れた「美女」で、玄宗の寵愛を受け、貴妃の位が与えられます。そこから彼女は楊貴妃(ようきひ)とよばれるんですね。

だいたい古今東西の権力者は後継者を確保するため、多数の女性たちを後宮(こうきゅう)に住まわせ、毎夜小作りに励むのですが、唐制では、皇后(1人)と、貴妃・淑妃・徳妃・賢妃の4妃(各1人)が夫人とよばれる上位、その下に昭儀・昭容・昭媛・脩儀・脩容・脩媛・充儀・充容・充媛を各1人ずつの9嬪(ひん)、その下に、ショウ、(しょうよ)・美人・才人が各9人ずつの27人、その下に室林・御女・采女が各27人ずつで81人、合計121人の女性たちが「皇帝婦人」とされました。ローテーションに従って「夜の相手」も決められていたんですよ。さらにこのローテーションにも入らない女性たちが多い時で三千人もいたといいますから驚きですね。

ところが、政治に有能なはずだった玄宗は、ローテーションも無視して楊貴妃を溺愛し、彼女の一族を高官に登用しましたから、当然反発を招きます。そうして起こった安史の乱で都から逃れるときに玄宗は部下に命じて彼女を絞殺させています。この時楊貴妃38才。ちなみに遣唐使として唐に渡り朝廷に出仕する官僚となっていたが阿倍仲麻呂は、帰国船が暴風雨でベトナムに漂着、唐の都長安に戻った彼は安史の乱で玄宗に従って南へ逃れています。再度長安へ戻るが帰国できなかった彼の歌「天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山に出でし月かも」はあまりにも有名ですね。

 ということで正解は「楊貴妃」です。